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なにやったってアホらしい

バカやってんな、そう思わずにいられない。
たった今、東小金井のゲストハウスに向かうため、入谷から真っ直ぐ反対方向に向かってしまった。電車でこの文章を書き連ねている。

入谷に用事があったか聞かれると。そこまで…。そう言い返せる自信がどこかに潜んでいる。
時間を巻き戻せば、青山で個展を開ている写真家のところまで行ったはいいが、閉まっていたので。そんな情けないにも似た醜態をオシャレ街に残してきた。そんな帰り。

もう少し言えば、入谷のゲストハウスに顔を出せば誰かにあえるだろう、寂しさを埋めるためにも「誰か」がいる場所に足を運びたかった。

ところが、こういう時に限って不運に強いのがオレだ。

丁度その日はスタッフが卒業する日らしく、常駐のスタッフがお別れの儀式をしていた。
その脇では20代前半であろう若者6,7人が来るべき未来に花を咲かせて談笑していた。

『ビッチビチのアウェイかましてもうた』

私はここにいません、そう言わんばかりのオーラを真っ赤なNORTH FACEのフリースを着ていながらもついさっき買った又吉直樹の本をじっくり読みながら、NORTH FACEのキャップを深々と被りながらも一人、テーブルに鎮座していた。

当然のごとく、「何ハナシてるんすか~」のテンションは持ち合わせていなかった。だが、話の中心にいた男の子がラジオを好きだという展開にもっていったのをボクの耳は聴き逃さなかった。
オレも好きだ!なんなら君より語れる自信ありますけど?的なカッコつけたテンションだけ胸の内にとどめておいた。

ふと我に気づく。寂しさや孤独を埋めるために立ち寄ってしまったことを。

自分自身の弱さやどうしようもなさから逃避したいがためにきたのか。それが最も情けないと思えた。

何度か東京に訪れては、自分自身がココで何を成し遂げたいのか、自問自答していたことを思い返す。
何かから逃れるように転がり込んでは失敗と成功に似た味を覚えている。そう、”それ”はちがう。”ココ”にはない。シアワセはそこらへんに転がり落ちているもんじゃない。過去のオレが語りかけるように教えてくれる。
確かめながらも無謀か挑戦の判別もできない旅を繰り返したあの日がようやく顔を出した。

そんなグルグルした頭でいたらなんだか落ち着きを取り戻せている自分にも気づけた。そもそも、東京に知り合いらしい知り合いなんて一人もいない。「知り合い」と名付けた顔見知りがまばらに存在しているだけだ。
そういった事実を一つ一つ確かめていくと、今までコワいと思っていた東京に抱いていた幻想がほどけていった。

ほんの少し強くなれたと口に出して言ってもイイのだろうか。
許せるのは自分自身だけだ。肯定も否定も、全てに判断を下すのは例外なく、”アナタだよ”そう返してくる自分自身なのだ。

もう一つ、今まで静岡で生活していた時、気を紛らわすためなのか、はたまた、その場にとどまり続けてることを否定したくない気持ちなのか、BGM代わりになっていたラジオや楽曲は今まで挑戦をためらっていた東京の地に足を踏み入れた途端に、一音一語、全てが意味を成して耳から脳内に飛び込んでくる。

「そう、コレだ。」

欲しかったものが見つかった。誰かに欲しいとねだられようと、”コレ”は売り渡すができない、物質的な意味でも、真の意味でも。
まるで自分自身を武装しているかのようなベールに包まれた感じだ。
絶対に渡すことができない。

この文章を書いている数日前は静岡にいた。
きを紛らわすかのように、遠くに住んでいる友達に連絡をしていた。一体、あの行為は何だったのか。何から逃れたかったのか。あの日を思い返すと、逃避行の繰り返し。ただただ情けない。

アイツの心配をする前に、自分の心配が最優先なのに。

ただ、気がかりなのは、その子が男に傷つけられていることだ。

ことごとく男に振り回されてしまうのは何故だろうか、そう考えてしまうくらい、あの子はもったいない。正確に言えば、もったいなくされてしまっている。

愛し方を知らない人に、愛し方を教えている。あの子を思うたび、そう考えているようにしている。

傷つけられた側に責任はない、どうして、間違って非難される側の人間が移り変わってしまうのか、不思議でならない。
そこに溝はないハズだ。あってはならない。

まとまりの文章になってしまった。

今の自分によく似ている、もう朝だ。

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