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子育ての目的は、「子どもの自立」 それだけ

この間まで横で手を繋いでいた子ども達だが、最近は後ろ姿の写真が多くなってきた。これが子どもの成長ということなのかもしれない。

子育ての目的はただひとつ、「子どもの自立」それだけだ。
親が子どもを使って自己実現しようとしたり、親の利益のために飼い殺しするようなものではない。

子どもの自立のため、それは子どもが社会の中で生きていくためだ。
どれだけ逃げても、社会の中で生きていくことからだけは逃れられない。それはただの現実逃避なのだ。
2年前に独立して個人で活動していても、むしろ個人で活動するようになってからこそ社会の中のひとりであるということを痛感する日々である。
 
だから子ども自身の自由の選択肢が少ないうちは、つまり親が子どもの責任を持つ間は、本人の意思を尊重するのは勿論だが場合によっては強制的に導くことも必要なのだと思う。
子どもが大きくなって、その方向が間違っていたと言うのなら親のせいにすればいい。それが責任を持つということだ。
だがまだ右も左も上下も分からない、選択肢の少ない子どもに選ばせて、大きくなって問題があったときに「あのときあなたが選んだ、自己責任でしょう」と言うのは、親の責任放棄なのだと思う。
良い親でいたいというのと、子どもの顔色を伺うのは違う。
どちらかがどちらかの顔色を見て寄せてしまうのは、良くないことなんだと思う。

たとえ親子でも、成長して価値観が違ってくれば離れた方がいい。
そうやって自分の価値観を発見し、親との違いを認識して、自分だけの「自分」を確立していくのだ。
だからこそ子どもに対しては一線が必要だし、あくまで他人として関わり、ひとりの人間として敬意を持って接する。
一番近くにいる大好きな人、だけど一番遠くにいる存在。それくらいの距離がちょうどいいのかもしれない。
親子の問題のほとんどは、この距離が取れないために、子どもを自分と同一化してしまうがために生まれているものがほとんどだと思う。
「俺と親父は違う!」と言って出て行った日には、「よく言った」と送り出すのが父親の役目なのかもしれない。

僕の実家はそういった心の距離感がおかしな家族だったので、今は散り散りになっている。
気をつけていないと同じようになってしまうという恐怖心がある。
だから僕は今も、子どもに対して他人という一線を越えないよう、グッと地面を踏みしめている。
心の底から、愛しているからこそ。

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