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梅の香り

2月中旬とは思えないあたたかい夜だった。夜6時ごろ、私は駅から少し離れた友人の駅に向かっていた。閑静な住宅街は思いがけず暗く、春めいた空気とは裏腹に冷ややかな印象があった。

ふと、鼻をかすめる香りがあった。暗闇の中に薄ぼんやりと浮かぶ花の白が認められた。

梅だった。それはあたたかさと冷たさの同居した夜の空気にそっと彩りを添えていた。芳香そのものは強くなかったが、しっかりとした存在感を湛えていた。

ふと、昨年のこの時期のことを思い出した。余命いくばくかの母の介護を私の家でしていた時、友人からお見舞いに梅の植木鉢をもらった。枝という枝に花を携えたその木は、その濃密で甘美な香りで周囲を圧倒していた。

その小さな梅の木を見た時に彼女の心から漏れ出た感嘆の声を今でも忘れることができない。死の間近にいる彼女が美しさに触れて深く感動する姿は、不可思議でありながらも尊かった。

この梅の木は母が旅立つまでの1ヶ月間、花の数を減らしながらも最後まで芳香を放ち続けていた。

その梅の木は今年もきちんと花をつけた。ただ、その数は去年よりかは少なく、また香りも幾分控えめだ。花が散って葉が出た後に何かをするとよかったらしいのだが、それを知った時にはもう手遅れだった。

昨年のあの数多の花とねっとりとした香りの梅の木は、最期を強烈に生きた母を象徴していた。死の淵に立たされながらも、残された生を燃やし尽くしながら彼女は煌めいていた。

住宅街ですれ違った梅の香りは、母と共に最期を過ごしたあの小さな梅の木に比べると貧弱に感じられた。


友人宅には思いがけず多くの人が集まっていた。私ともうひとりの友人の誕生日のお祝いだったのだが、誰が来るかは知らされていなかった。久しぶりの人とも会えたし、予想以上に盛大に祝ってもらえた。

一通りお祝いが終わり、少しずつ帰宅者も出て、最終的には誕生日を祝ってもらったふたりと家主の3人だけになった。

「あれからもう1年なんだね、早いね」

家主がいう。その場にいた私以外のふたりは私の去年の介護生活をよく知っている。

早い…私はこの1年が、早かったのかどうかについて改めて吟味をしてみた。

この1年を、私は結果的に自分を取り戻すことに充てたように感じている。母の死によるダメージは思いの外大きかった。「母がいない世界」に自分を慣らすまでにとても時間がかかってしまった。今年になってようやく、私は「母の不在」をきちんと受け止められるようになったと思う。

とても時間がかかった。だから、「早い」とは到底思えなかった。


家に着いたのは日付が変わる少し前だった。その時間でもまだ空気はあたたかさを多分に含んでいた。

梅の植木鉢に目をやった。まばらについた白い花は、ほんの刹那、記憶から少しずつ剥がれ落ちていく母のように思えた。

いや、きっと違う。そこに芳香がある限り、母は私の中にいつもの姿で居続ける。母の死が受け入れられていなかった頃は、私は母から遠ざかるのが怖かったのだ。今はそうではない。時が前に進めば、母は遠ざかっていく。それは自然なことだし、私はそうやって自分を取り戻した。母が遠くなっても、ちょっとしたことでまたすぐ母の近くに行けることを、今の私は知っているのだ。たとえば、梅の香りを思い出すことなんかで。


長かった冬は終わりを告げ、春を迎えようとしている。かすみゆく梅の香りが、私にそのことを教えてくれた。


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