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銀座「樹の花」店主の成澤弘子さんを偲んで

銀座の老舗のカフェ「樹の花」店主の成澤弘子さん(87)が旅立たれたと、つい先ほど知りました。

「田辺さん、『樹の花』という銀座で素敵なお店があって、でもご苦労されているようなので、経営コンサルティングをしてもらえませんか」

スローコーヒー代表の小澤陽祐さんからのご紹介で、2004年に成澤さんに私はお会いしました。

ですが早速、沈痛な表情で、成澤さんはお心を打ち明けられました。

「1979年に開店して25年。周りを見たら、コーヒーチェーン店がどんどん出店している。家賃が高い銀座で、うちのような個人店が生き残るのはもう無理。お店をやめようと思う」。

ですが、私は「絶対に、うまくいく」との確信がありました。

むしろ、「樹の花」が銀座から消え失せる社会的損失の方が大きすぎると思いました。

カギは「無い物ねだりでなく、あるもの探し」です。

「樹の花」は、開店した1979年夏に、来日中にお忍びで来店したジョン・レノンとオノヨーコさんご夫妻が偶然訪ねた、美意識にあふれるお店です。

都心の一等地・銀座にありながら、ビルの2階にある「樹の花」に入ると、落ち着いた木目の店内で、あたかも山荘に足を踏み入れたような感覚になります(店内の様子を「レトロに恋して」さんがこちらの記事で紹介くださっています)。

成澤さんは気さくな庶民派で、メニューは健康に配慮し、銀座で、高品質なのに、良心的な価格でした。

メニューは当初、文字だけでしたので、お客様に価値が伝わるようにと、私は仲間の若手カメラマンに来てもらい、コーヒーや食材たちの撮影をしてもらい、写真が中心のメニューに変わりました。

そして、2004年ゆえ、開店25周年イベントを私は成澤さんに提案しました。

「そういうの、やったことないけど…」と戸惑う成澤さん。

一定期間、来店されたお客様へ緑の葉の形をした厚紙一枚一枚に、寄せ書きの呼びかけをします。

書かれた寄せ書きは、そのまま店内に設置した大きなコルクボードにお客様の各自でピンどめをいただきました。

すると、「樹の花」を大切に思うお客様が大変多いことが見える化されたのです。

お客様からの激励でいっぱいになったコルクボードをご覧になって、成澤さんは閉店を思いとどまり、私に「続けようと思う」。

セカンド・フォロワーである顧客の方々のお声が、2004年で閉店に心が傾いていた成澤さんに、大きな勇気をくださったのです。

その後も私は当時の学生インターンと共に、お店の紙の伝票からデータをエクセルに入力して販売管理のお手伝い等を続けました。

ですが、「経営コンサルティングで成澤さんが窮屈になって、ほんわかした成澤さんの良さが失われないように」を、常に私は自らに徹底し続けました。

成澤さんが「樹の花」の聖域とされた厨房に、私は一回も立ち入りませんでした。

成澤さんのお気持ちに添って、「そっとしておいてほしい」雰囲気では、何も申しませんでした。

成澤さんはお客様とのコミュニケーションをとても大切にしておられました。

雑誌やテレビでも取り上げられた有名なお話ですが、「樹の花」では数多くのデザインのコーヒーカップを厨房に取り揃えており、来店したお客様の雰囲気から、成澤さんや店員さんは、マッチすると感じたデザインのコーヒーカップを選んで、ハンドドリップで一杯一杯のコーヒーを淹れるのです。

文化人の方々にも「樹の花」は愛され、あたかもご自身の事務所のように、店内で出版社との打ち合わせをなさるお姿も日常の風景でした。

装幀の第一人者である菊地信義さん(2022年にご逝去された記事)も、生前に「樹の花」を愛されたお一人です。

菊地信義さんを追った映画「つつんで、ひらいて」の予告編動画の1:40-1:44で「樹の花」のカウンターにたたずむ菊地信義さんとハンドドリップの様子が収められています。

歌舞伎座の裏に「樹の花」はあり、舞台後にお茶する方々が通われます。専門家をお招きした歌舞伎を語る会も店内で開かれていました。

例年ジョン・レノンの命日となる12月8日には、彼の数々の楽曲が終日店内で流され、多くの彼のファンが日本各地から集いました。

激変を続ける日本社会の中で、銀座はまだ古き良さ、そして美意識や独自性を保つ意志が強い街ではあり、しかし全国チェーン店の大波は、容赦なく銀座を襲います。

「銀座に◯◯が出店なんて、信じられない。銀座らしくない」が、当時の地元の受け止めだったのです。

銀座の片隅で、成澤さんは時代の変化を見つめ続け、またはその変化に翻弄され、抗いながら、顧客愛を絶やさず、かぼそい個人店を続けて、代替りをされ、開業から44年になる2023年の今も、「樹の花」は、人々から愛され続けています。

今夜気づいたのですが、1979年に開業された成澤さんは、日本の女性起業家の元祖の一人なのかもしれません。

経営コンサルティングの伴走は2004年から数年間で終了し、その後はお店の一ファンとして、「樹の花」に私は伺っていました。

昨春長野に移住し、都内帰省ができる機会がほぼなく、「成澤さんはお元気だろうか」と、遠く長野の空のもとで私は案じる日々でした。

偶然でしたが、今夜Twitterで成澤さんが旅立たれたと拝見し、「ついにお迎えが」という思いと、「いつまでもお歳をとらない成澤さんなのに」という思いが、複雑に入り混じっています。

天国でも、あのはつらつとした明るい笑顔で、お好きだった山歩きを楽しまれることを、願っています。

(冒頭の写真は、2018年1月に「樹の花」を訪ねたときのものです。その後パンデミックになり、成澤さんとお会いできた最後になりました)

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