センスは努力で決まる【脳筋】

「このアウトプット、センス無いな」

こんな感じで、ハイスペ界隈ではよく「センス」という言葉が使われる
センスが有ること・良いことを賞賛するポジティブなというよりは、例文の通りネガティブな文脈で使われることが多い
コンプラが厳しくなった昨今においては(といっても昔をリアルには知らないけれど)直接的に、嫌味のように投げかけられることは無くなったのかもしれない
しかしながら、当人のいない場所で、或いは少しふざけたようなニュアンスで使われることはある

センスが無いと言われると、まるで自分に才能が無かったかのように捉えてしまいそうになる。しかし、2年弱投資銀行に身を置いて思うのは、その認識はたぶん間違っている

もちろん、才能的な意味合いでセンスが有ると言いたくなる人も一部存在する
他方で、センスの有無を判断する際に見られているのは、そうした才能的なものではなくて、次のような観点が充たされているか否かに過ぎない
・相手に伝えるべき内容・結論は明確にされているか
・相手に期待するアクションは明示されているか
・相手にとって理解しやすい文章になっているか
・不測の事態を想定しているか   etc.

上述した内容はよくあるビジネス書に書いてあるような内容で、詰まるところ想像力と思いやりと論理的思考力があるかという話に至る
書き下すと、その後何が起こり得るか(想像力)、受手はどのように感じるか(思いやり)について妥当な推論(論理的思考力)を組み立てられる人こそ、センスが有ると言われるのだ

そして、こうした能力は、往々にして経験値と吸収率に左右される場合が多い。ここでいう経験値とはシンプルに仕事の中で何度センスを発揮しようとする機会に遭遇したか(センスを発揮する機会だと自身で捉えたか)を指しており、また吸収率はその機会の中でいかに主体的に吸収しようとしたかを指している
要は、いかに努力したかに掛かっている

例えば、スケジュールの作成を頼まれた際、出来上がったものを上司に見せて「確認お願いします」と言ったとする
この対応は言われたことを言われた通りに進めており、全く責められる謂れはない。しかし、努力する人は次のようなコメントで確認を依頼する
「過去案件を踏まえて作成したので問題ないとは思うものの、本件においても問題ないか確認をお願いします」
「少しタイトなスケジュールで進めければならない前提で作成しており、関係各所とのやり取り踏まえて実現可能か念の為確認をお願いします」

また、その後、上司から「顧客の社内手続きに掛かる時間が読めないから数日余裕を持った方がいい」とフィードバックをもらった場合に、努力する人はスケジュールをただ言われた通りに修正するだけでなく、以下のようなことを考える
「他に余裕を見ておくべき箇所はないか」
「タイトスケジュール前提なら勝手に余裕を持つより、可能なら事前に顧客に確認した方がいいのではないか」
「余裕を持ってはいるが間に合わない場合のリカバリーはどうするか」

こう書くと、自分はそんなことまで気が回らないと落ち込む人もいるかもしれない。しかし、最初から上手くできる人はほとんどいない
ここで書きたいのは正に、最初から卒なくこなせるセンスの有る人は少数で、むしろ多くの人が努力によりセンスが有ると評価される状態に至っているのではないかということだ

この努力するプロセスを高速回転できるという意味で天才的な人・才能のある人は確かにいるかもしれないが、いずれにせよセンスの有無が語られる時には、その裏側にある当人の努力が問われていることが多いように思う

この業界に来てまず抱いたのは、凄い経歴を持った優秀な人たちが“死ぬほど”働いているという驚きだった。もっとゆるゆると高給取りな生活を送る選択肢もあっただろうに、戦闘狂よろしく働いているのだ
その中に、甘い蜜を啜ろうとするフリーライダーの居場所なんてあるはずもない

本当に数年は修行期間になるんだろうなーと物思いに耽ることが多々あるが、地道で泥臭い努力の先に、粋でかっこいいセンスを得たいものである

個人的にはいい業界だと思っているのでネガキャンになっていないことを願うばかりだが、少しでも生の声として届いていれば嬉しい限りです

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