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#2-21 ウォーキング帰りの人

 ──2024年1月28日、日曜日。朝の8時に目が覚めた。二度寝しようと思ったがどうして、普段よりも瞼は軽かった。8億年ぶりの早起きに嬉しくなり、朝シャンした後、マルジェラのドライバーズニットとモンベルのパーマフロストライトダウンジャケットに着替え、颯爽と家を出た。練馬駅前のマクナルでソーセージエッグマフィン&アイコーをキメ、またまた颯爽と店を出た。今日の最高気温は9度。朝の冷気が心地をきもちくしてくれる。ありがとう。今日は久々に阿佐ヶ谷にでも行ってみよう。そんな気分だ。

 大江戸線と総武線を乗り継ぎ、阿佐ヶ谷に到着した。住んだことはないが、いつ来ても懐かしさを感じる町だ。北口にはセイユーが、南口には阿佐ヶ谷パールセンターという長い商店街がある。セイユーと個人商店が共存する唯一の街かもしれない。

商店街の裏路地

 ──ふらふら歩きつつあたりを見渡すとひとりのおじいちゃんを発見した。ナイスファッションだったので声を掛けてみたが、怪訝そうな顔をされ断られてしまった。まあしょうがない──。気を取り直して、駅前の生活道路用柵に腰を掛け、15分ほどあたりを見渡してみた。すると、ひとりのカラフルなおじいちゃんがセイユーから出てきた。阿佐ヶ谷の町には鮮やかすぎるようなその装いにビッときた。足早に駆け寄って声を掛けてみる。

YT「あのう〜すみませんぅ〜、ちょっといいですかぁ〜?」
OJ「ええ?ああ、はい」
YT「ぼくぅ〜カメラマンしてんすけぇどぉ〜、年配の方のファッション写真撮ってましてぇ〜、ジャケットすごいかっこいいなっつ思ったんすっけぇどぉ〜、よかったら写真一枚撮あせぇてもえねぃすかねぇ〜?」
OJ「ああ、いいですよ」
YT「よっしゃあ!!!!!あざっすぅ!!!」

 おじいちゃんは快く了承してくれた。

YT「このジャケットはどれくらい着られてるんですか?」
OJ「んん〜、10年くらいかな」
YT「めっちゃ年季入ってますね!どこで買われたんですか?」
OJ「いや〜買ったていうか、拾い物。電車で(笑)」

 クレイジーすぎるやろ。
心のツッコミと並行して話を聞いていた。かれこれ10年くらいは着ているそうでかなり年季が入っている。デザイン自体はもっと昔のもののように見える。胸元には「GORE-TEX」のタグが縫い付けてある。機能性も申し分なさそうだ。

YT「この靴もタンが逆向きになって独特な履き方されてますね。」

 話を聞くと、このおじいちゃんはウォーキングをしてきた帰りらしい。足を休めるために紐を緩めたことで、シュータンがお辞儀をするような姿勢になったのだ。
70代のこのおじいちゃんは体を動かすことが好きで、マラソンなんかも参加したりするらしい。この日身につけているキャップは東京マラソン2013のものだった。

YT「じゃあこのローソンの前で、1枚お願いします!」

 横道に逸れてもらって、ローソンの前で2枚写真を撮った。

 僕はおじいちゃんにお礼を言ってその場をあとにした──

 拾い物を有効活用する姿勢は、「#2-17 赤ピステの人(自主)」「#2-2 VETEMENTSのMA-1の人」にも見ることができる。貰い物が、もらった人との関係性を内包するのに対して、拾い物にはそのような関係性はない。この時、おじいちゃんが拾い物に向ける眼差しは、純粋にモノそのものに対する愛着や有用性に対してである。

 ──拾い物。
 僕はひとつ、拾い物に関する自分の体験を思い出した。
みなさんは「ホワイトバンド」なるものをご存じだろうか?2005年に始まった「グローバルな貧困根絶キャンペーン」の象徴であり、ひとつ300円のこのホワイトバンドを購入すれば、その利益は貧困問題に対する活動に支援されるのだ。これが当時私の小学校で流行り、クラスのイケてる男子の手首にはこのバンドが付けられていた。
 例に倣って私も欲しかったのだが、ファッションのファの字も知らない小学5年生のぼくは、その300円をホワイトバンドではなくデュエマに使っていた。一部のませたガキにはホワイトバンドを通じたファッション意識の萌芽が見られ、一方でケツの青い私はデュエリスト仲間とトリプル・ブレイカーの登場に嬉々としていた。
 そんなこんなで近所の書店でシコシコとレア抜きに勤しんでいたある日、道端で私は偶然の出会いをする。なんと、ホワイトバンドならぬブルーバンドを見つけたのだ。当時ホワイトバンドの流行りに乗っかり、様々な色の亜種が売り出されていた。私が道端で見つけたそれは、紛れもないその亜種であった。路上のブルーバンドは土埃や排気ガスでひどく黒ずんでいた。私はそれを家に持って帰りハンドソープで綺麗に洗い流した。
 ──翌日からぼくはそのホワイトバンド(亜種)を学校につけていった。気分がウキウキしたことを覚えている。気に入って割と長い期間身につけていた記憶があるが、いつから身につけなくなり、その後どうなったかは何も覚えていない──

ホワイトバンド。3つのアスタリスクは3秒に1人の子供が死んでいることを象徴する

 ──少し横道に逸れてしまったが、このおじいちゃんと拾い物の真理を追求するために、もう少し考えてみたい。まず、このおじちゃんのジャケットと一般人のジャケットの大きな違いとしてそれが、「買ったモノ」なのか「拾ったモノ」なのかということである。ここでは「買いモノ」と「拾いモノ」の比較を行うことで、「拾いモノ」についての理解を深めて、ひいては拾い物おじいちゃんの真理に近づきたい。
「買いモノ」と「拾いモノ」の違いとしてここでは大きく2点挙げたいと思う。

1つ目の相違点として、それが「非社会的な行為」か否かということだ。 ──あえてここで断言したいが、拾い物を身につける行為は非社会的な行為である。もちろん他人の落とし物を拾って自分のものにするということは法に触れる可能性もあるが、ここでいう「非社会的な行為」とはそのような法律のお話ではない。 
 ボードリヤールも言っていたように、消費とはコミュニケーションである。グッチのジャケットを購入し着用する者は自らの富を周囲にアピールできる。他人とは違う輸入車を乗り回すことで自らのセンスを誇示できる。人々は消費によって、自己の特性や社会的な地位を示し、消費というコミュニケーションを通じて社会と接続しているのである。そういった意味で、金銭を対価にモノを手に入れる「消費」という行為は社会的な行為だと言える。そして、この消費のコミュニケーションを喜んで受け入れているのが現代の我々だ。
 では、「拾い物」はどうだろうか?ここに金銭のやりとりは生じない。故に社会とのコミュニケーションも生じない「非社会的な行為」と言えるだろう。

 そして、2つ目の相違点、「買いモノ」と「拾いモノ」の違いとして、「価値の担保問題」がある。
モノに値付けられたその金額は、そのモノの価値を担保するひとつの尺度である。例えばルイヴィトンの数十万円するバッグの実物をみてその価値を判断できはしない。バッグの周辺にただようあらゆる記号を加味して我々はそこに価値があることに安堵する。ブランドネーム、街中の広告、どの有名人が身につけているか。高価な金額もただよう記号の1つなのであり、金額は我々を安堵させる一つの担保なのだ。そして重要なのは、消費社会においては金額が、モノの価値を決定する1番強力な尺度であるということだ。
 それ相応の金額を払うからこそ、そのモノの価値を実感できる。
実は拾い物に価値を見出すということは大人にとってはとても難しいのかもしれない。なぜならそこには価値を担保してくれる値札は付いていないから。あからさまに高価なブランド品とわかるモノを除いて、金額という尺度を失った正体不明の落しモノに対しては、拾ったその人自身がそのモノの価値を決定しなければならない。

 ──「非社会的な行為」「価値の担保」
この2つのキーワードを当てはめて、拾い物を身につけるおじいちゃんの真理を端的に言い表すとすれば、"社会的責任から解放されたおじいちゃんの童心帰り"とでも言えるだろうか。
 勤め先では一家の大黒柱としてモーレツに働き、そこそこ社内で偉くなり、責任も増していく。休日の取引先とのゴルフに備えゴルフクラブを新調する。ゴルフに行くための車だって持っている。トヨタの新車だ。そして40代、念願のマイホーム。田園調布の一等地。親戚にも鼻が高い。
家に帰れば、休日に家族と遠出、家族サービス。たまには少し綺麗めの襟付きの私服で授業参観や学校行事にだって顔を出す──
 社会的責任と役割が増えることで消費のコミュニケーションは加速し、消費のコミュニケーションが増えれば社会的信用も増える。その繰り返し。ひとたび消費と社会の特急列車に乗ってしまえば、その列車は定年までノンストップで止まらない。人生の中で、成人から60歳までを怒涛の社会生活(=消費生活)だとすれば、それ以降は定年や子供の独立により社会との接続・責任から解放される時期だと言えるだろう。

 この時期のおじいちゃんは、もはや消費を通して社会とのコミュニケーションを強制される必要はない。社会的な役割・責任と悪魔的消費コミュニケーションから解放された、(あるいは疎外された)非社会的な存在だからこそ、純粋な眼差しでそのモノの価値に向き合うことができる。これは、社会というものをまだ知らないケツの青いガキだったぼくが、ブルーバンドに価値を見出した体験にも通ずる。

 ──ぼくは、人生というのは1本の長い長い道でできていて、進めば進むほど違う景色が見えてくるものだと信じていた。でも、もしかしたらその道はまるでホワイトバンドみたいに円状になっていて、死ぬ時には元いた地点に戻るのかもしれない──。
 ──「ベンジャミン・バトン 数奇なファッション」──

ウォーキング帰りの人


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