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キャンサーギフトという言葉から考える幸福について

前職でがん経験者にインタビューをして記事を書いていた時期があります。

病気を持ちつつも、どのように日常生活を送っているのかをインタビューしていたのですが、病気になったことに対して悲観的にならないというだけでなく、病気をきっかけに、幸せを感じながら生活しているとおっしゃる方にしばしばお会いしたことを印象深く覚えています。

がんになったことで気づいたり、新たに得た大切なもののことを 「キャンサーギフト」と言います。

ある70代の女性に一日密着させていただいたことがあります。

その方は、毎朝5時前に起きて、近所の神社まで旦那さんとお参りに行き、帰ったら朝食を1時間かけてゆっくり味わい、庭で植物を育て、旦那さんと短歌を詠み、赤い鮮やかなコートとおしゃれなウィッグをつけてたまにお出かけする。

そういう一日一日を「とても幸せに満ちている」と話をしてくださいました。

他にも旦那さんが優しく気を遣ってくれたり、娘さんが家事を手伝いにきてくれるようになり、家族の愛が深まったともおっしゃっていました。

何気ない日常の素晴らしさは、病気がなければ気づかなかったことなのでしょう。

ないものを求めて喪失感を感じるのではなく、自分のある環境が素晴らしく満ち足りたものに変わるということなのだと思います。これがキャンサーギフトではないかと解釈しています。

日本語では「幸福」は一つの言葉ですが、英語にすると「happy」と「well-being」と2つの言葉で使い分けられています。

「happy」というのは、何か瞬間的に嬉しいという状態を指します。

たとえば宝くじがあたるとか、スポーツで目標記録を達成するなど、特別な興奮や刺激を得ることによってもたらされます。

それに対して、「well-being」というのは、直訳すると「よく生きる」。

自分らしく、健やかな状態ということであり、日常の中の在り方を指すようなものだと思います。

求められるキャラクターを演じたり、納得できないと思うような時間が増えると、人は自分らしさを失い、「well-being」だとは感じられず、幸福感から遠のいてしまいます。

私は、ずっと組織に関心を持ち続けていますが、この組織というものも、特性としてwell-beingと相性が悪いように思います。

というのも、違う価値観の人が集まる組織というものは、構造上、容易に一人ひとりの「らしさ」を損なわせる性質があるからではないでしょうか。

考えてみると、「職場では自分らしさが出せない。」「職場とプライベートの自分が違う」と言う人がいかに多いことかと思います。

仕事がつまらない、苦痛だということの多くも、こうした「らしさを発揮できてない」ことと密接に関係しているように思います。

同僚や上司、お客様との関係性の中で、自分の考え方や大事にしているものを損なう時間が増え、幸福感が下がってしまうのです。

仕事を楽しそうに、イキイキと働く人の中に、フリーランスや個人裁量で評価される仕事をする人が比較的多いように感じますが、その理由の一つとして、自分らしさを損なうことが少ない環境であることがあるのではないでしょうか。

しかし、(フリーランスのような仕事をせずとも)普通の組織の中で、本当に自分らしく働けないのでしょうか。

冒頭のがんを経験された方のように、人は自分一人で幸せを感じるというよりも、よい関係性の中で自分らしさが増しますし、その中にいる時の幸福感は特別なものです。

多くの人が諦めている日常の職場が素晴らしいものに変わるヒントは、そこにいる一人ひとりが自分らしさを発揮して組織に貢献することであり、自分のキャラクターがそのまま出せて、成果につながることなのだと思います。

私はそうした組織を実現するお手伝いをしたいと思います。

また来月もよろしくお願いします!

2016/2/26 VOL69                                                                                    sakaguchi yuto

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