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背伸びして生きる?等身大で生きる?

(2021/06/07 改訂)

コーヒーを飲んで一息ついていたら、ふと頭をよぎった。言語化します。

私の場合、自分を背伸びして見せようとする傾向がある。

だから気をつけている。

今日、2021年4月27日という人生の1ページは、

等身大で過ごすという、

実はなかなか難しい立ち居振る舞いが出来たのではないか。

《等身大の自分》でいるっていうのは、

その場その場で

これ以上は無理とか、

もう少しイケるとか、

判断できなければ不可能だから。


わざわざ、このようなことをつぶやくのには訳がある。

背伸びして成功せず、暗くて深い海の中を漂った経験があるから。

人には決して知られたくないこと(コンプレックス)をひた隠しに隠して、

自分はこんなに凄いんだと、強がって、

足るを知るなんて敗北だと信じ、

走って走って走り続けないと、

生き抜いていけなかった。

気がついたら、カラダの色んなとこが機能しなくなった。

その頃は、自滅への道を突っ走っていると、

気づくことができなかった。

悔やまれるのは、
「足るを知ることは自滅を意味するのではなく、自分の個性をそのまま映すことなんだ」
と、気づけなかったこと。

ただ、その時の自分へ
「そのままの自分で良いんだよ」
と、今、言えようか。
カラダを壊したからこそ、言えるのかもね。

人生、五体満足が一番!

いずれにしても、
「そんなこともできないの?」と思われようが、
肩の力を抜いて、そのままの自分でいたい。

そう思うまであまりに時間がかかった。


ある日、
ある仏像に、
「時間がかかり過ぎか」
と、問うてみた。

そしたら、

「あなたが、今、そう思ったのなら、
それで結構ではないか。
なんの不満があるのか?」

と、逆に問われてしまった。だから、

「それもそうですね。
自分には必要な時間だった。
そう思うことにします」

と、返事した。

そしたら、仏像さん、にっこり笑ってくれた。

救われたと思った。

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