体型とか外見に関して

鬱状態・摂食障害、精神科に関する記述があります。
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外見についてのこと、とか。
最近、ルッキズムに関して色々思っている、みたいな文章に触れることがあったな、という気持ちから、キーボードを叩いている。

僕自身はそういうのに対して何も思わないわけじゃないな、という感覚はあるんだけれど、たとえば教訓みたいなことを言えた方がいいのかとか、ただただ感想を連ねたら誰かが見てくれるのかとか、それが誰かにとって有用なのかとか、散々迷った。

でも、この記事は僕自身のために。
今の僕が思うことを、ここに残しておきたいというだけで、それ以上を望みはしない。

(以前の記事にも書いたけれど)僕は精神科に入院したことがある。
入院の理由として書き連ねてあったいくつかの症状だか診断だかの中に、「摂食障害の傾向」とあった。
「いくつかの症状」は、どれもそんなに重かった気がしない。
まあ、そういう感想は自分自身の症状を僕は軽んじているのかもしれないんだけれど、希死念慮は確かにあったにもかかわらず、重大なこととはどうも思えなかった。
今でも時折頭をもたげる感覚だけど、自分の肉体や精神を邪魔だと思っていた。

当時の体型について、写真とか出すわけにはいかないけれど、BMIが18.8くらいだった。身長と体重が、僕の感性では割と綺麗な数字の組み合わせだったと覚えている。
僕自身が使った言葉を具体的には覚えていないけれど、自分を多少なりとも肯定するためには体重と体型は大事で、体重が増えたら自分を許せない理由が一つ増えるだけだと思っていた。
学歴はそれなりにあるのに、ニートだということ。それも理由が就活に失敗したからだということ。自分の肉体も、感情も、運良く得た経歴も、生きた痕跡全てが邪魔でしかなかった中で、だらしないと思われないような体型を持つこととか、そういう感覚、うまく人に伝わるように言えるかは怪しいんだけど、そんな何かにひどく縋っていたのだと思う。

入院中の食事に関することも書いておこうか。
病院で提供される食事は多分薄味の部類で(それは想像に難くないか)、割と僕の口にあった。最初の日に出たのは白身魚を蒸してタルタルソースを添えたものだった。写真も文字も残していないのに思い出せる。
けれど、どうも白米や揚げ物が怖かった。
バカみたいな弁明かもしれないけれど、残したものが捨てられることに対する罪悪感がだんだん薄れる自分も嫌いだった。

若い看護師さんが、こっそりと「もし口に合わないなら、コンビニとかで買い物してもいいからね」と言う。糖尿病とか高血圧ではなかったし、全く食べられないわけでもなかったから、多分カロリーを摂ることが優先だと思われてたんだろう、と推測する。
1度、朝食の片付けをした後に低血圧で倒れた。聞いたのか血圧計を見たのかも覚えていないけれど、血圧の上が70で下が50くらいだったと思う。

でも、調子が悪くない日は毎日のように外出の届けを書き、ほぼ決まった8㎞くらいのルートをひたすらに歩いた。何を考えていたんだか、まるで思い出せない。太ることが怖かった。
さほど体重は変わらないまま退院した。

退院した後、とりわけコロナ禍で外に出られなかった時期は、荒れた生活を送った。
深夜にコンビニで買ってきたインスタント麺にお湯を注ぎ、ストロング系のチューハイを飲んだ日々があって、なのに毎日体重計に乗ることがやめられなくて、強烈な自己嫌悪を抱えていた。許せない、みたいな言葉が口をついたような気がする。
結局、それから体型は戻らないままだ。

どうして体型に関する悩みが薄れたのかがよくわからない。
互いに「外見に自信がないんだ」とオンラインの通話で言い合った、会ったことのない男の人と親しくなれたと思ったのに、それなりに残酷だと感じさせる形で別れを告げられたことを、たまに思い出す。
その後実際に会った、つまり僕の話し方とかだけじゃなくて顔も体型も知った、そんな人と付き合って、かわいいかわいいと褒められていた期間の長さには確かに効果があるけれど。

肉体に直接付随するものではないけれど、選ぶ服を褒めてくれる人がいる。
オフ会で出会った人に「おしゃれ」と褒められたこともあるから、それは自信をもっていいのかもしれない。
「アイシャドウパレット多すぎて目が5対くらいあるのかと」みたいなことをTwitter(現X)でほざく僕には勿体ない褒め言葉だ。

表情が明るくなったと言われることがある。
覚えている限りで、それに類することを言ってくれた人は3人。高校からの付き合いの人も、社会人になってから知り合った人も。
かわいい、とか、何か惹かれるような外見とかいうものは、体型とかメイクだけで作れるものじゃないんだろうな、みたいなことがだんだんわかってきた。

あと、もう一つ、体型だけじゃなくてもうちょっと一般的に言えることもある。
「他人に向けない言葉は、自分にも向けてはいけない」と最近思えるようになった。
たとえば僕は僕のことを粗大ゴミに出したいと何年も思っていたし、他のたくさんの暴言を僕自身に向けてきたけれど、人のことを粗大ゴミと言わないなら自分のこともそう言っちゃいけないなって、
それだけのことに気づくのに仰々しいまでの勉強という長い道のりがあった。
功利主義の哲学者を少しでも知り、カントの道徳論やギリガンのケアの倫理も一応は買って読んだ。

自分を他人と対等な一人としてカウントすることは、多分とても難しい。
だけど、自分に関すること、自分の持ち物っぽいものたちを、あんまりボロボロに言うことないよなってことは、だんだん感じてきた。
他の人の自己評価があまりに低いのが悲しいなって経験を積んだからかもしれない。

真っ当な意見、みたいなものが、以前の僕にはきっと届かなかったことは、僕自身がわかっている。
届くタイミングとかがきっとあるんだろうけれど、どうか、それが遅すぎることのありませんように。

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