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短篇小説「うるせぇ、馬鹿」

「吉原、週末から出張頼める?」また俺かよなんて言える訳もなく「分かりました、また海外っすか?」と嫌味を込めた返答で部長に最大限の抵抗をする。「またってことはないだろ。近頃トラブル続きで海外の工場が大変なんだよ。」そこそこデカい製造系の会社に務め始めて十数年。三十も後半の俺は良い仕事をしても昇進できる訳でもなく、良いように使われていた。機械の基礎知識や、ある程度の英語を買われて営業に配属されている。その実、営業とは名ばかりの何でも屋だ。他の部署の奴らは現場がどうとか知らなすぎる。だから製造ラインがトラブったことを何でも屋の俺たちに押し付けてくる。部長も「営業ってのは〜」みたいに説教っぽく俺らに仕事を押し付けてくる。仕事の責任は重くなるのに、給料は上がらない。海外出張が増えたからマイルが貯まり始めたのが不幸中の幸いだろうか。出張先は北京らしい。 中国に赴任中で同期の佐伯って奴が『週末からこっち来るんだってな。担当俺だからよろしく。』とLINEを送ってきた。普段はうるさい通知もたまには良いかもしれない。

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耳元でうるさくなり出すスマホを手に取ってアラームを止める。朝の4時半。念の為かけてあったスヌーズも止めて、ベッドを出る。足元に置いてあるスーツケースが余計に俺を憂鬱にさせた。洗顔や髭剃りなど一通り済ませてスーツに着替える。高速バスの時間まで少し余裕をもって家を出れそうだ。すり減った革靴に足を入れながら外に出た。高速バスが出ている最寄りの駅に向かう。珍しく今日は俺より先にバス停に並ぶ人がいた。大学生らしき青年はヘッドホンから音が漏れる位の音量で今時の流行りであろう曲を聞いていた。俺の知ってる音楽はハイスタで止まってるから、漏れ聞こえる音楽は雑音にしか聞こえない。俺もイヤホン持ってくれば良かったなと忘れ物に気づくと同時にバスが見えた。

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寝足りない分をバスの中で補った。丁度目が覚めるとそろそろ羽田に着く頃だった。スマホを見ると妻から『気をつけてね、いってらっしゃい。お土産待ってます。』と丁寧にスタンプ付きでLINEが来ていた。少しシャキッとした気がする。バスを降りて荷物を受け取る。こんな朝でも空港は人や車、音で溢れていた。俺と同じ目をしたサラリーマン、連休取って旅行に行くであろう家族、バカでかいバックパック背負った外人。見ているだけで情報量に疲れてしまう。俺は国際線ターミナルに向かった。モニターで中国行きの便を探している途中、部長からメールが入った。『先方にトラブルが治り次第、早急にラインを再起させて納期を遅れさせないように言ってください。』ふざけんな、現場の辛さも分からない癖に。途端に人の波が余計にうるさく聞こえた。

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出国手続きを済ませて飛行機に乗り込む。俺は窓側の席だった。乗客は少ない。シートベルトを閉めて、手荷物に持ってきたバックからiPadを取り出す。映画を見ようとNetflixを開いたがイヤホンを忘れたことを思い出す。備え付けの画面とヘッドホンで映画を見ることにした。適当に気になったものを再生した。見始めた映画の半分もしない所で寝てしまった。起きたら再生は終わっていた。2時間位が経った。中国の北京まではもう2時間ある。映画を見る気もなくなった俺はiPadでスケジュールの確認と、トラブル箇所の再確認をする。エンジンの音が気になってしまった。手が付かないので、また映画を見ることにした。今度は見たことある映画にしよう。

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中国に着くと、佐伯が先方さんと一緒に待っていてくれた。「吉原、久しぶり、助かるよ。」その一言だけで多少は気が楽になった。 用意された車に乗り込んだ。久々に会うので俺も佐伯も少し緊張と気恥しさがあった。「そうだ、仕事終わりに飲みに行こうぜ。いい店あんだよ。」と言われ今回の出張に楽しみを見つけた。そんな仕事に関係ない話や、今の本社での話をしているとすぐに工場に着いた。

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仕事は割と早く終わった。先方さんもなんとか納期
遅れを避けれるよう尽力すると言ってくれて肩の荷が降りた。「よし、飲みに行くか。」と佐伯が店まで案内してくれた。まさかの和食屋だった。「ここの店主、日本人で本物食べれるんだよ。」と自慢げに語る。てっきり中華料理かと思っていた節もあったので少し驚いた。店に入り、2人並んででカウンターに座った。とても静かな店内。客は俺と佐伯の2人だけ。「あー、生2つ」佐伯が言う。「佐伯、ありがとな、ほんと助かった」「いやいや、仕事ですから」『乾杯』ジョッキを軽く当てる。静かな店内に響いた。

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どんどん酒は進んだ。人と飲むのは久しぶりだった俺は部長の愚痴をこぼした。仕事を押し付けてくること、それなのに昇進できないこと、説教が長いこと。佐伯はうなずく。俺は更に中国に来るまでの愚痴もこぼした。音漏れして迷惑かけてることに気が付かない大学生、部長の気が使えないメール、空港の人の多さ、飛行機の居心地の悪さ。佐伯はうなずく。そして、1口だけビールを飲んでから「うるせえ、馬鹿」と一言だけ言った。

終わり

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