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自分の居場所

ぼくは半年後、いま住んでいる場所を離れる。
かれこれ6年住んだところだ。

6年ぐらいだと、寂しさもあまりないでしょ

ある人にそう言われた。

寂しいかと言われたら、微妙なのだけど、
長く、深く、大きな6年間だったのだ。

6年というと、人に言わせるとそう長いものではないらしい。
ぼくの人生の中の1/4。せっかくなので、居場所の移り変わりを振り返ってみる。
生まれてからの6年間、小学校の6年間、中学高校の6年間、大学大学院の6年間。ぼくはそれぞれ、違う場所にいた。違う場所で生活をしていた。

両親が転勤族だったのだ。
最初の6年間は色々な場所で暮らしていた...らしい。
都会のど真ん中、排ガスでケホケホしてたし、常夏の真っ青な小笠原の海でサメの上を遊泳...していたらしい。記憶にないので、これは全て両親のモンタージュ。6年間で4回も引っ越した。バタバタの生活。

次の6年間は、奄美大島という南の島にいた。南の島の北の端っこ、それが僕らの住まいだった。
かろうじて、電気が通っているだけの生活。夏は毎日、海に行った。日に焼けて真っ黒クロスケになった。遊び道具は本と自然だけ。泥んこになって帰って、本に齧り付く生活。
この生活は、ぼくの本当に大切な宝物になった。ふかいふかい芯を作った生活。

その次の6年間は、東京にいた。開発されたニュータウンで暮らした。ある日宇宙人が来て、そこらへんの人間を無作為に、どーんと一個のカゴに入れた共同体。嫌な奴もいたし、優しい奴、困った奴、色んな出会いがあった。遊び場所もいっぱいあった。大人たちもいっぱいいた。
勉強って楽しいなぁって思った。尊敬できる人もいた。目標ができた。成りたいものが見つかった。やっぱり、精一杯勉強することにした。

家族といた18年間。次は、一人になった。見知らぬ街、でも憧れた街で生活を始めた。
初めての、一人での生活。不安と期待の混じった生活。初めての一人はなんとも心地よかった。自分の意思と行動が100%一致する生活。自己責任なふり、大人になれない生活。縛られない生活は、甘美で危うげな蜜だった。
迷惑をかけた。いっぱい、失敗した。たくさん、ごめんなさいを言った。たくさん、ありがとうを言った。

幸せはどこにある?

自分のために生きれるかなと思った。好きなことだけをやろうと決めた。好きなものを見つけようとした。

そんな生活も、もう終わり。次に行く場所はもう決まっている。
特急号大人行き、責任とは何かを知る旅へレッツゴー。

気づいたら、いつの間にか大人になっていた。

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