人生どん底からの這い上がりエピソード 【9】やっぴー編

”人生どん底からの這い上がりエピソード”
記念すべき第9回目のゲスト様は...
『楽農家族』管理人の、やっぴーです!

▽やっぴー (@yappy_press)

✅全文文字起こし

【前半パート:どん底 】▶0:00~

ー妊娠中にお腹を蹴られていた

人生の一番のどん底っていうのは、
やっぱ子供の時かなって思うんですよね。

子供の頃に、私長女だったんですけど、
東京生まれの東京育ちの父と、
関西出身・大阪育ちの母が結婚して
で、私がすぐお腹にできたんですけど。

父からは、母がお腹を蹴られていたっていうエピソードもあるくらい
(生まれてくることを)望まれてなかったっていう認識なんですよね、私からすると。

P: お母さんのお腹にいた時に、お父さんがお腹を蹴っていたんですか?

そうそう。

『妊娠してんじゃねえ!!』

生まれてからも父と母がやっぱり喧嘩をして、
母がまだね小さい私を抱っこして雪の中、
外に出て車で時間が経つのを過ごしたりとかしてたらしいし、
私も物心ついてから結構父と母が喧嘩してるところが多くて。

よくご飯食べるのも遅くてね、
カレー食べるのに1時間とかかかってたんですけど、
そうすると、

『食う気がねえなら食うな!!』

とかね、怒られたりとか
結構家の外に放り出されてたんですよね。
その度に、

”なんで…じゃあ子供を産んだんだろう”

みたいな何か凄い無力感みたいな、
子供って親がいないと家がない、食べ物がない、生きていけない、
みたいな凄い無力感を何度も感じて。

ー八方塞がりな幼少期

その時はすごい辛かったし幼稚園に入っても
運動会とかで用意ドンって鳴ったピストルの音にビビって
まず出発できず、自分が走り出したら今度靴が脱げて
で、その間にもみんなゴールするんですよね。
もう30mとかそのぐらいの競争だったんだけど。

それで、結局親がもう、

『この子は大丈夫か?』

みたいな感じの目で見てて、
競争がどうこうってよりも、
親に自分の存在とかやってることを
喜んでもらえてないっていうのが本当に悲しくて、


喘息もあったし、食べ物のアレルギーも結構あって
週に3回ぐらい母親が病院に連れてってくれたんですけど、
夜咳したり、痰が絡んで眠れなくて
泣いたりしちゃうわけですよ、子供だったから。

で、それを父親が母親に自分が眠れないっていうことで、
キレるみたいな感じの日々だったので、
そういう意味では子供の時が一番辛かったですね。

そんな父が嫌いだったんですけど、
母から、母は音楽が得意だったんですね。
でも生まれてきた時にお父さんにそっくりでショックだったとか、

私が歌うのが下手くそで音痴だって言われる度に、
お母さんに好かれたいのにお父さんに似てるみたいに言われてるのは
すごい悲しくて、そういう意味で自己肯定感みたいなもの、
大人になってから分かったんですけど、
あんまり育てられずに大人になったなっていうの
今を振り返るとそう思います。

ーある日突然、能力が開花

P:今はお父さんとは絶縁とかになったりしたんですか?

そこから私も結構貪欲だったんで、
親にすごい好かれた過ぎて小学校の高学年ぐらいから
急に勉強もずっと出来なかったんですけど、
勉強もできるようになったり、

中学校入ったらソフトボール部に入って足が早くなったり、
なかなか成長っぷりが激しかったんですね。

【やれば出来るモード】になって、
何やっても駄目な子だったんだけど、
ある時から小4ぐらいから急になんかやれば出来るってなって、
合唱部入って歌を練習したりとか色々やってったら
何かやれば出来るじゃんみたいになっていって、
だから父も母もそれは喜んでくれてたんですよね。

ー実親に夢を潰される

ただやっぱり色んな場面で長女っていうこともあって、
私が進学とかね就職とかっていう度にちょっと父が、
私のことを考えて言ってくれることにより、
私が夢とか思ってたものを結構ことごとく潰されていた
ってのは自分が弱かったからね、それを押し通せなかったんですけど。

やっぱり親の言う通りに生きてきた感じにはなって、
銀行に私就職して10年ぐらい居たのも結構親は喜んでくれてたし、
結婚して子供が生まれたのも両親共に喜んでくれてたので。
絶縁までは行ってなかったんですね。

ー母が亡くなる

ただやっぱり母が乳がんを患ってたんですけど、
2回目が2018年ぐらいに分かって再発ですね、いわゆる。

その後に父と別居してて1年経って、
結局は癌が原因で亡くなったんですね。去年。

だけど、その父と別居するっていう前に
ずっと離婚したいってことで、
離婚調停とかも受けたけど離婚できなかったりして。

その時は母が大事で私はちょっと父に対して
今までされてきたことを、暴力だとか、
言葉の暴力も含めて後はモラハラみたいなものですよね。

お金のこととかでこう言うことを聞かせようとするっていうのかな。
そういうものをすごい恨んでたので、その当時は。
もう母が離婚できるようにみたいな風にまでは思っちゃってましたね。

で、ただやっぱり自分が親になってみて、
子育てをしてみて父と母が当時子供ができて
自分たちで仕事で嫌なことがあったり、
ご近所付き合いで嫌なことがあったり、
お互いの実家の考え方の相違でぶつかったり
っていうことを色々やってきたっていうのが、
親になってみて分かって。

今は言われたことを忘れられてはないし、
今でも父に会うとそういうことを思い出したりとかして
やっぱり防御っていうかな?
自分を守る行動に出てしまうことがまだあるんですけど。

今30代なんですけど、
30代で生まれたての何もできない人を育てるって、
30代ってもっと大人だと思ってたけど、
今思うと30もまだまだ未熟だよな…って思うと、

親も頑張ってたんだなっていうか、
今は感謝の気持ちもあって、過去のことは過去のことで
今の親と向き合っていこうっていう気持ちが今はあります。
(泣けてくるね…話してると。)

P:相手を恨み続ける道もある中で、人を恨むことよりも許すって凄いことですよね…

いや…めちゃくちゃ恨んでましたけどね。

”もう誰か捕まえてくれ、こいつを!”
”逮捕してくれ!”

って思ってた。

でも本当に自分が望んでたのは、
父さんにもお母さんにも愛されたかった。

そこだから。

愛ってやっぱ目に見えなくて自分の思う愛情表現と、
愛情表現が人それぞれ、父は私を勉強ができる環境、
お金を出して安心して生活をして食べていけて、
良い学校に入って良い会社に就職するっていうことを
私に提供と言うか導くそういうお金を出す、
そこまで育てるっていうことが彼の愛情表現だった。

でも思い出すとね、家族でね、
キャンプに行った思い出とかもあるんですよ。
一人100円のキャンプとかね、何にもないキャンプ場でね、
家族4人で400円って随分安上がりなんだけど、
何かそういう思い出もあるなって。

人ってやっぱり”ない方に” 目を向けちゃうんだよね
あれもないこれもないって。
じゃあそっちにずっと居たいかって言ったら、
コロナのお陰で凄く気づきがあったんですけど

あれができない”
”これができない”

って思うより、

”これのお陰でこんな発見があった!”
”こんな気づきがあった!”

とか、そういう風な方がね、楽しいっていうか。

自分の人生をどう自分が時間を使っていくか
ってのも全部【自分次第】だってことに気がついた。

で、どっちで居たいかって思った時に
あれもない、これもないって言って恨んでいるよりもね、
してくれたことや今自分がこうして銀行員だったことも
全部なかったことにと思わなくて全部自分の糧になってるな
って思ったらありがたいなって。
そういう自分の方が自分が気持ちがいいんですよね。

そういう視点っていうのは私の中からは出てこなくて、
私はもう子供の頃から、ずっと溜めて溜めて溜めて
恨みばかり溜めてきたんですけど、
やっぱり色んな方と出会って色々話して、
そういう視点があるんだなって思うと、
ちょっとずつでも気づきがあって、
そうやってやっと感謝まで来れてるなっていう感覚です。

やっとです。本当に苦しかった。
ぎゃふんと言わせたいことも多々あるよ。

P:一旦懲らしめたいって言うか、何かもうねじ伏せたい気持ちだったり、『お前もドン底見ろよ』みたいな気持ちにもなりますよね。

そう!

”お前も同じ気持ちを味わえよ!”

って何度も思ったよ。

何度も思ったしそういう念を送り続けてきてました。
かなりやってきた。

けど、結局お母さんがね、去年亡くなって…
やっぱりこの2人が出会ってなかったら、
私はいないわけだし

ー母との最後の会話

P:お母さんとは最後何を話しましたか?

最後ね、母がね、亡くなる1年前から、
私実家が元々千葉県なんですけど、
岡山県徳島町っていうね、本州の最南端に
ひいおばあちゃんの家があってそこに住んでたんですね。

父と別居するっていうことで、
ちょっと離れて暮らしてたんですけども、
やっぱり体調悪くなってから何とかね、
おばとか色んな方の手を借りながら、
最後、千葉に帰ってきてくれて、
私の家で少し過ごした後は、もう病院で入院してたんですね。

コロナでなかなか面会が難しい病院が多かったんですけど、
たまたまそこは個室で、私がそこに寝泊まりもさせてもらえたので、
もう最後は薬とかも飲みたがらなかったけど、

私があげたら飲んだし、私があげたらアイスも食べたし、
歯磨きとかしてあげたりとか、
お風呂に入れなかったんでね、身体を拭いてあげたり、
ちょっとでも痛みが取れるようにって
全身ね、マッサージをさせてもらって
母も結構強い人だったので、
私を頼ってくれることってあんまりなかったんですけど。

もうその最後は、
私がしてくれることなら何でも嬉しいっていう様子で、
全部喜んでくれてて、
私の名前靖子って言うんですけど、

『靖子、みんなの希望』

って言ってくれて…
そう思ってくれてたんだなんて。

"そうやって生きていくね"
って思って。

お母さんが大事にしてたモノとかコトとか想いを
私が大事にしていこうって思って、
今ね結構メインで農家さんと繋がったりする活動やってるんですけど、

母が代々続いてきたひいおばあちゃんの家を大事にしたいと思って、
そこに最後住んでたので、そこの古民家とちょっとある農地を
守っていけたらなっていうのもあるし。

そういうね、相続っていうところで、
お金や財産ね、土地や不動産だけじゃなくて、
【想いを繋いでいく】
っていうことが
制度上はね、なかなか難しいんだけど、
私は想いを繋いでいきたいな
って思いまして、
今それを母の応援を受けてるような気持ちで、
活動に力を入れてます。

P: 古民家は和歌山県のどんな場所にありますか?

和歌山の串本町っていう本州の最南端で、
歩いてもう5分で海なのね。で、後ろは山なのよ。
すっごい田舎で私もね、子供の頃よく夏休みとか
遊びに行ってたんだけども川も綺麗でじゃぶじゃぶ遊べるし、
海も貝とか取ってきてね、遊べるんだよね。
すごいTHE・夏休みっていう感じの場所。

海が先っぽだから台風とかね、
そういうリスクと言えばリスクもあるんだけれども、
魚も美味しいし本当に日本の田舎の暮らしっていうのがあるなー
って思えるような場所かな。

【後半パート:這い上がり 】 ▶15:09~

ー3年前と今の変化

3年前はもっと”自分は何者なんだ”っていう感覚が
凄いあったんですよ。

何のために生きてるんだ?じゃないけど、
人生の迷子みたいな状態だったなって思う。

で、そんな中でやっぱりTwitterには、
色々チャレンジされてる方とか
自己表現にチャレンジされてる方が沢山いたから
すごいエネルギーをもらってて
自分はまだ何をするか分かってなかったけど、
そういう方々と繋がっていることで、
何か頑張れるみたいな状態だったんですね。

ただ、自分が何をするのかが分かってなかったんだけど、
今は何て言うんだろう…使命って言ったら大げさなんですけど、
自分がこの命がある間、こういう風に生きていきたいな、
こういう人たちと繋がってこんなことを大事にして

出来ればこういうこと成し遂げて死にたいなみたいな。

何かそういうミッションが湧いてくるんですよね。
どこから飛んできたのか分からないんですけど、
受け取ってたんですよね、気づいたら。
それがあるからすごく楽しいし、
それをね、Pさんのツイートにも書いてるけど
【これをやらねば死ねない】みたいな成仏しませんみたいな
書いてあったんですけれども、

もちろんね、そこで死ぬ時は死ぬんだけども
何か自分の命を将来とかの不安だったり、
過去の恨みとか後悔とかっていうことよりも、
今生きてることが嬉しいだとか、
今こうして生きている人とこう話せるのが嬉しいなとか
そうしてあーでもないこうでもないって喋ってる
この時間そのものがまず楽しいですよね。

そういう感覚が3年前よりハッキリと得られたっていうのかな。
すごい力になっていて、そういう意味では落ち着いたのかもしれないです。

P:この音声はずっとこれからも残り続けるので、是非やっぴーがこの命で繋がりたい人の特徴とか声にしてみて聞かせてくれませんか?

私、元々ね、やりたいことがないから、
やりたいことがある人を応援したい
っていう風に思っていたんですけど、

で、やりたいことがある人としては、
・絵を描く人
・音楽を演奏する人
・陶芸する人
・農家さん

人の人生を豊かにしてくれる人が稼げるようになる
プロデューサーになりたいな
っていうのは
銀行辞めた後に最初に持った目標だったんですけど、

でも色んなことを活動をね、繋がりでやらせていただくうちに
まず一人ひとりが思っていること、
結局、音楽も陶芸も農業も全部自己表現
自分の思いを形にしたものなんだけど、
それだけじゃなくて、こうやってスペースで話してることや
Twitterに呟くことも含めて全部自己表現なんだなって思って。

で、そういう自己表現って凄く大事だし、
そういう発信が誰でも出来る時代になったので、
5Gにもなったし、一人1台スマホ持ってるような時代なので、
そういう発信をしてどちらかと言うと自分がっていうよりも、
相手も自分も良くなる。Win-Winっていうのかな。
Win-Winの関係を築いていける人と応援し合えたら

やりたいことって続けていくのが大変なんですよね、
自分のやりたいことをね。
続けていけば失敗ってなくて絶対失敗の先に成功があるんですよ。
続けてさえいれば。でもそこで辞めちゃうから失敗になる。
よくねエジソンとかで聞く話かと思うんですけど。

それを続けていける仲間みたいな方と
応援し合っていきたいなっていうのが一つと、
あとは子育てしてるお母さんで、
やっぱり子供をね、私もそうでしたけど
愛そうと愛そうと思ってと言うか、
愛すべき存在としてこの世に産み落としてるんだけど、
子育てって結構なプレッシャーだったり、
大変なこともあるんですよね。

子供が言うこと聞かないとか
成長に合わせて色んなことが起きるので

なんかこんな形じゃなかった…”

ってなってるお母さん沢山いると思っていて、
それでその仕事があったりね、
今女性の仕事をすることを求められるというか、
人口が減ってるからそうなんだと思うんですけど、
色んな立場がある。

例えば、
・妻であり
・娘であり
・母親であり

会社では、
・上司
・部下

がいるみたいなね。
そうすると色んな役割を1人でやらなくちゃいけない
って結構大変なんですよね。

それを例えば、何組かの家族が集まって、
週に1日でも一緒に過ごせたら
〜じゃあ私が掃除やります!
〜私、料理作ります!
〜私子供好きだから見ときます!
〜私じゃあ草刈りしときます

みたいな役割分担してね、
できる人ができることをやって助け合っていくと
子育ても楽しくできるんですよね。

それに気づいて、そういうコミュニティー的に
子育てをしていきたいなっていうのがあって、
それがね、結果的に、農家さんのところで忙しい時ね、
田植えとか草刈りとかお手伝いをしながら
子供と遊びながら農とか食とか命に関係することなんで、
そういうものを人間らしく子供と一緒に学びながら
子育てもしちゃうみたいなことを
ちょっと全国のあちこちでやっていきたいなって思ってるんですね。

それが結局ね、私銀行員だったんで60歳になったら、
年金2000万問題みたいな話もあったと思うんですけど、
お金で解決する方法もあるとは思うんだけど、
例えば、地震が起きたら困るから保険に入ろうとかね、
死んだら困るから保険に入るって言うんだけど、
その死ぬことすら親が亡くなることが悲しいことだけじゃなくて
ギフトだったりするわけですよね。

親が居ないってどうやって生きていくかっていう所だったり、
全て必要なことだとしたら、
あとはお金ってよりも生きていくのに必要なもの、
例えば全国の農家さんと繋がってたら、
いざという時に、
じゃあ千葉で米が取れませんって言っても、
じゃあ山形とか岡山で農家さんのお米をいただいたりとか。

あとはじゃあ千葉で地震が起きました。
家が壊れましたってなった時にも、
どこかの農家さんの所に行って
ちょっと住まわせてもらいながらお仕事手伝わせてもらいながら
ちょっと食べさしてもらうみたいな、
そういう。全国に親戚じゃないんですけど。

家とかこれから余っていくんですよね。
日本は基本的に人口減ってるから。
家とかその食べ物とか人的なリソース、
いだという時に地方で若者がいなくて困るのって
やっぱりその共有部分の草刈りとか、
溝掃除とかに人手が必要なのに若者がいないってなってるから、
何かそういうのお互いね、困ってることを助け合いながら、
いざという時、助けるよっていうものさえあれば、
家がなくなっても大丈夫。
食べるものも大丈夫。
って思えてたら
将来の不安じゃないところにフォーカスして
みんなが生きやすい世の中になるんじゃないかなみたいな
勝手に今妄想してるんですけど。

そういうことを政府とか学校がやってくれなかった
っていう風に文句言うんじゃなくて、
じゃあ自分たちが何を選んでどんな未来を描いて、
どんな人と繋がって生きていくのか

っていうことをちょっと今やっているので。
何かそういう思いとかアイデアですけど、今の時点では。

ちょっとでも共感するよと、
自分はね農業はできないけど例えば情報発信は出来るとかね、
じゃあこういうイベントの画像を作れるとか
色んなことで助か合えると思っていて、
お金出せる人はお金出すっていう方法もあると思うんですけど
そういう繋がりを作っていきたいなっていうのが
今の私の思いです。

自分で自分の目で情報を得てほしい。
そんで自分がどうするかっていうのも
自分で決めれるんだよっていうことが一番言いたいね。

だから無能薬が良いとかって言うけど、
じゃあ無農薬のものちゃんと買ってますか?
みたいなこととか、
色々そういう知らないことって世の中沢山あるから、
自分で話を聞いたりとかして自分なりに真実というか、
色んな解釈はあっていいとは思うんだけど、
自分はこうだからこういう行動取ってるみたいにしていくと、
他責で生きてるとどうしても、
やっぱさっき言ってた”ない方”だったり、
不満ばかりになっちゃうんで、それってみんな楽しくないじゃん。
って思って。

特に農家さんのこととかでは、思ってますね。
今食料自給率とか食品の値上げとか色んなニュースが出てるけども、
知れば知るほど自分の知らなかった具合に衝撃を受けている。

あと人の不安を煽る商売とかビジネスも凄く多いんですけど、
そういうのもちょっと自分はそう在りたくはないなって
思っていてワクワクしてるとそういうのが好きだって
人が集まってきてくれるっていう本当そうだなって思っていて、
見ててくれる人もいるし、ちゃんと。

だから周りがっていうより自分が、
これ!って決めたことをコツコツやっていくんだなっていう感覚ですね。

例えばね、お互いちょっとやりたいことが、
今は交わってないように見えてもどっかで交わるな
っていう人とは続いていくって思うし、
そういうの楽しみだなって思いますね。

✅番外編: やっぴーのかっこいい名言集(Pセレクション) ▶26:05~


行ったら何とかなるよ。
何とかするって決めていけば


今そこを目指してんのねって知るとさ、
つい応援したくなっちゃうよね。


会いたい人に会わないと


自己採点3/100でも、
今の100%でやってるんだから良いのよ。

▽やっぴー Twitter

▽やっぴー ブログ

✅リプレイ再生はこちらから!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?