見出し画像

神様は乗り越えられる試練しか与えない

○○に苦労する
○○に困る

といった場合、この○○という体験を通して
学びたい、体験したいことがあるのだそうです。

また、どんな苦難だったとしても
自分で乗り越えていけるものしか与えないともいいます。

と、わかった風なことを言ってる私も同様に
頭ではわかっていても、真っ只中では
逃れよう、避けよう、早く楽になりたいと思ってしまいます。

具体的には、悩みとして多いものは
健康、時間、お金、人間関係・・・このあたりかな。

私は過去、親子関係で悩んでいました。
ここもある程度、完了しました。

何をしても、してなくても、どんな人でも
ただただ存在しているだけで価値がある。

誰かの許可はいらないし、誰かの機嫌に左右されるのではなく
自分自身で決めること。

この氣づきは根底から
私の安心や充足を満たすものでした。

他者を通してしか、愛情や安心感が与えられない。
外側の出来事からでしか、満足や幸せを得られない。

これらは全てうそで、すべて自分の中にあります。
他者や出来事をきっかけとして、自分の中に備え持つ愛情や安心感、満足や幸せに共鳴するのです。

私は、このことを
ダシやお茶から教えてもらいました。

内なる自分との対話に、ダシやお茶を飲みます。
湯氣がのぼり、口に含み身体を通り
ホォッとする瞬間、自分の中にあるものと繋がります。

今、ここ、私と一体となります。
過去の自分を癒し、育む。未来への活力となる。

私という存在にありがとう。
私にありがとう。

これがすごく氣持ちいいのです。

愛情や安心感、満足や幸せという感覚は、
レイキを通して感じてたものと一緒でした。

この感覚をレイキで先に意識できていたからこそ
ダシとお茶が好きな理由もわかりました。

日本人には絶対に欠かせないものであり、
これが本来のあるべき姿です。


私は、ダシとお茶で氣づきましたが
いろんな方法で氣づきを得ている方が周りには多くいらっしゃいます。

氣づいてる方とは話が早いのです。

本来あるべき姿、とは
リラックスして、幸福や満足に満たされている状態。

何があってもその状態で在り続けれたらいいんだけど
やっぱり生きていると、ズレます。

でも、戻ってくる感覚がわかってるから
あまり引きずらないし、流されないのです。

感情を主体的に感じること
感情に流されてしまうのとは全然違います。

あえて体験してると思えば、こそ。
氣づくことも多くあります。

それが冒頭に書いた
○○という体験を通して学びたいことがあるということです。

私にとっての長年苦労した○○は
親子関係と、お金でした。

今朝がた、瞑想をしていたら
「苦労してきたお金のことはもう完了。よく頑張りました」
というメッセージが下りてきたので
少しずつシェアしていきます。

今朝、スタンドFMで話しています。
ゲーム・ジャンクフード・お金 全部繋がっていました。


この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?