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わたしはわたしで最高だ

父が弱々しい姿をしていることをたった一度だけ見たことがある。父の癌の検査結果を聞きに行ったとき。癌だということはもう明らかで、その日は癌の進行具合、つまりステージのレベルが分かる日だった。父と母と弟と4人で聞きに行った。狭い診察室にぎゅうぎゅうで、家族総出で来るなんて、と医師は少し驚いた様子で、でもわたしたちは至って緊張していた。

結果は想像していたよりも軽くて、でもやっぱり良くない結果だった。

そのまま手術や治療の説明がなされて、父は同意書だったかなにかにサインを求められた。そのとき、父の手が震えていた。うまく字が書けない父の姿は弱々しくて見ていられなかった。死への恐怖を感じている顔だった。いつだって強くて、丈夫で、なにもかもから家族を守ってくれる父が、あの瞬間だけは弱々しかった。

でもその代わり、母は誰よりも強かった。父が聞けないことも、センシティブなことも、気になることを核心をついた言葉で聞いて、ちゃんと納得させていた。わたしと弟はとくになにも言葉を発せられず、ただ説明を聞いているだけだったけれど、ありのままに父の病状を理解できたのはすごくよかったし、うちの家族らしいなと思う。

あれから父は大切な身体機能を失った。でも、癌を通して母の大切さを知り、ふたりの絆はずっとずっと強くなったと側から見ていて思う。前よりも健康に気をつけて、そしてその身体を存分に使ってる。検査に行く暇もないくらい朝から晩まで家族のために働いていた父もかっこよかったけれど、健康のことを1番に考えて、人生を楽しんでいる父のほうがずっとずっと大好きだ。

西加奈子さんの「くもをさがす」を読みながら、わたしはそんなことを思い出していた。今回の大阪の旅に選んだ一冊。西さんが育ったという大阪の地で、西さんのエッセイを読みたかった。

西さんの本からも病気はなにもかもを奪っていくだけではないことを再確認した。痛々しい描写、苦しい心情表現の中に、確固たる強さがあって、辛いのに清々しかった。がんばれ、がんばれ、って思いながら読んだ。西さんだけではなくて、その周りにいる人たちも、本当に素敵だった。家族、友人、そして医療関係者。命とは、自分自身の手で紡いでいくものなのだと教えてもらった。周りの人にしっかり助けを求めることもまた、それは自分の命を紡ぐことと同等なのだと思う。

日本ではなくバンクーバーでの体験が主だったので、そんな日々の描写からは、いろんなことを考えさせられた。文化のこと、多様性のこと、環境のこと、それから戦争のことも。日本はやっぱり恵まれているけれど、でも自分で選択していくことがすごく難しい環境にあるようにも思う。それは安心な国だからこその良さであり、マイノリティを恐れることや自分に責任を持てない弱さからくる欠点でもあるように思う。

「あなたの体のボスは、あなたやねんから」

くもをさがす/西加奈子

なんて当たり前でなんてハッとさせられたことだろう。西さんがバンクーバーで医師に言われた一言。自分に責任を持って生きていく、自分で命を決めていく。

わたしもいつか、癌になるかもしれない。もっと大きな病気に出会うかもしれない。病気ではなくても命の危機とか、苦しみとか。生きていくことを諦めそうになることとか。あるかもしれない。わたしには訪れなくても大切なひとには起きてしまうかもしれない。

苦しみの中に落ちたら、この本をまた読もう。関西弁で描かれたカナダ人の言葉に力をもらおう。

大切な誰かがその渦中にいたら、わたしも西さんの友人のようにいつだって温かくて、優しくて、そうしてユニークであろう。手を差し伸べられるように、自分の荷物はいつも軽くしておこう。リュックにおさめて、両手を空けて、しっかりここに立っているよ。

わたしたちが考えなければならない問題はいつも山積みだけれど、本当はただひとつだけ、生きていることだけがたったひとつ、尊いということ。

ただそれだけのこと。

どんな運命に翻弄されたって、いつもたったひとつ分かっていること。わたしはわたしだけであること。わたしであることはいつだって最高なんだ。

身体的な特徴で、自分のジェンダーや、自分が何者であるかを他者に決められる謂れはない。自分が自分のことを女性だと思ったら女性だし、男性だと思ったら男性だし、女性でも男性でもどちらでもないと思ったら女性でも男性でもない。私は私だ。「見え」は関係がない。自分が、自分自身がどう思うかが大切なのだ。
私は、私だ。私は女性で、そして最高だ。

くもをさがす/西加奈子

これからも西さんの本を読めることを楽しみに楽しみにしています。


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