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静謐に想うこと【言の葉Cafe深夜営業】

深夜の静けさは、

時として想いだしたくないことまで

鮮明にします。

さて、深夜と言う時間帯は少しセンチメンタルと言いますか、
静謐な雰囲気の中では気持ちの内面が浮き出してしまいます。

良くも悪くも。

お昼のテンションではまだビジネスの勢いがあるので、比較的「上手く」書くことが癖になっています。少なくとも、意識はしているように感じます。

ただ、こうして夜の静謐に身体を置いて書くことになると、そうした事は何故か指が動かないものです。
つい、心情のままに書いてしまいます。

本当の意味で「アルゴリズムから解放されている」というのでしょうね。

ただ、こうした時間に考えごとをすると
良いことではなく、どちらかと言うと思い出したくないことが浮かんでしまいます。

特に人を傷つけたことは、どんなに時間が過ぎても鮮明に記憶の真ん中に鎮座しています。

人は何でもできるわけではなく、
どちらかと言うと出来ない事の方が多いのに、
その出来なかったことを悩み続ける。

以前も、深夜のブログに離婚した時のことや、
亡くなった恋人のこと、
自ら命を絶った母の事を想い出したことを書いた(ような)気がします。

昨日の事は思い出せないけど、忘れたい日々の事は忘れない。
忘れ物をしない旅行は無い。

忘れたいと思いつつ、定期的に想いだしてしまう。
亡くなった人に対して、時は戻らないし、
想いだすごとに苦しみの方が増します。

自分が苦しんだから、こんな出品をしたりも。↓
https://coconala.com/services/2360365

それでも解決できないものですが、
それでも、誰かに聞いてほしくなることもあります。

そんな時に、こうしたサービスがあることに
なんだかダイレクト過ぎて個人情報が抜かれたかと不安になりますが
ココナラの出品者の視点の広さを感じますね。
https://coconala.com/services/2428404?ref=profile_top_service

たしかに、誰かに聞いてもらうというのは本当に「自分を広げる」事に繋がります。
僕がコンサルティングをするときに、先ずは聞き役になります。
自由にクライアントの心が広がるように言葉を引き出します。

それと同じように、この出品もそうした「あなたが塞いでいること」を、とても優しく広げてくれるのかもしれませんね。

やはり、深夜の静寂はどこかしら心の内面に意識を向けてしまうのでセンチメンタルになりがちですね。
だから、素直になれるのかもしれません。

「大好き」も「大嫌い」も
「おやすみなさい」も、どこか心に沁みわたるサウンドになっているのかもしれません。



「季節を感じる」とは

暦ではなく風に触れたときの

記憶のことなのかもしれません。

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