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論語から始まる1日 第3回

今日は、朝起きるのが辛かった。

夜遅くまで起きていたからだろう。

友達と夏休みにそっちに遊びに行く話をしていたらもう2時を回っていて、

毎日楽しいなと小さなことで幸せを感じれるようになったのも

論語を学び始めてからなのかもしれない。

まあ、なんにしろ、朝起きるのは辛い。笑

さて、今日の論語は


書き下し文

子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。

現代語訳
先生(孔子)はおっしゃいました。「人に気に入られるように、口先でうまいことだけ言って中身が伴わない人間には、思いやりの心がないものです。」と。


巧言令色とは、口先でうまいことを言って人に媚びへつらう様を意味します。


僕は、この一文を読んだとに別の言葉とある人を思い出しました。

その言葉は、「言動一致」です。言葉で話すことと、成し遂げるために行動することが一致している状態です。

日本人は、真の意味で思いやりの心がないのかもしれないと思いました。

至って人間は利己的です。

その場の雰囲気い合わせて、人が言ったから、いい人に見られたいから、好きになってほしいから、

そのような理由でみんな口先で上手いことばかり言います。

でも、映画に出てくるロマンチックな言葉には皮肉さを感じません。

言動が一致しているから。思いやり、心がそこにあるから。

つまり、

思いやり、心が存在している人は口先で上手いことなんて言わないのです。

この論語は逆なのではないかと思います。

人間には、感情、心が存在します。それは様々でなかなか見えません。

それを隠すためにうまい言葉を使います。つまり、

言葉巧みに操る前提に心が思っていることが存在するのです。

しかし、孔子はそこに気づくことができない我々に教えてくれているのだと思います。

自分の心すら、どのような状態か分からない我々に、このように過ごせば心は綺麗になりますと伝えてくれているのだと思います。

僕はよく、「君の言葉は深い」とか「君の言葉は心に刺さる」と言われます。

それは、人に気に入られたいからなのでしょうか。それとも、本当に相手を思うからこそ出てくる言葉なのでしょうか。

いや、ロマンチックなだけなのでしょうか。

自分自身の言動も見なすいい機会でした。

眠たいけど、今日も一日頑張ろう!

コーヒー飲んで起きよっ!

ではまた、


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