又春廓🌸奴

ゆうしゅんかく・やっこです。近代史、町歩きが好きで、主に奈良県大和郡山市の岡町遊廓や旧…

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ゆうしゅんかく・やっこです。近代史、町歩きが好きで、主に奈良県大和郡山市の岡町遊廓や旧川本楼(町家物語館)について調べています。多くのスキ、フォロー、シェアは執筆の励みになります。ここが奈良遊廓史研究の一助になれば幸いです。※無断転載はご遠慮ください。必ずご連絡をお願いします。

マガジン

  • 昭和30年代 赤線消滅 岡町・洞泉寺遊廓の終焉

    昭和33年4月の売春防止法施行とともに、近世から続く奈良県大和郡山市にあった二つの遊廓、岡町と洞泉寺の紅灯もその灯火が消える。行政と業者のせめぎ合い、さまざまな思惑に翻弄される接待婦(娼妓)そして、その行方を見守る周辺住民の眼差し。売春防止法の法案成立から施行後の様子を新聞記事をもとにまとめた。

  • 自己紹介、目的、私見

    Noteを始めた理由や、自分について、意見や考え方などを書いた記事を集めました。 奴について、興味をもたれた方はこちらから😊

  • 大和郡山洞泉寺町の旧遊廓川本楼(町家物語館)について

    旧川本楼は奈良県大和郡山市洞泉寺町に残る旧遊廓建造物(国登録有形文化財)です。現在、町家物語館とよばれ町の人々に親しまれています。正しい情報を是非とも多くの来訪者に知っていただきたいと思い、現在わかっている情報をまとめました。

最近の記事

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ちょっとむかしの大和郡山市洞泉寺町~元遊廓街のおもかげ~#01 メインストリート編

    • #13 まとめ〜新聞から見えた赤線終焉の時代 〜

       12回にわたり、みなさんと一緒に見てきた「新聞で見る昭和33年の奈良赤線地帯のようす」ですが、いかがでしたか?  当初わたしは、二つの赤線を抱える大和郡山市の市民が「この法案をどう思っていたのか?」ということを調べたくて連載をはじめたのでした。知りたかったのは、赤線地帯と共存する一般市民のまなざしで、身近に存在していた当時、一般市民は赤線をそれほど蔑視していなかったのではないか?という考えでした。  そしてその時代の社会はどうなっていたのかも知りたかったのです。  この回で

      • #12 赤線廃業後の奈良木辻、郡山岡町、洞泉寺はどうなったのか

         昭和33年3月15日、奈良県では3箇所の赤線地帯が最後の営業を行なった。翌日には解散式を行い、それぞれが新たな人生のスタートを切ることになった。4月1日には「売春防止法」の施行、一切の性売買が禁じられた。その後、芸妓街などの歓楽街はどのような影響を受け、赤線地帯はどのように変化し、懸念だった接待婦はどうしているのか。それぞれ見ていきたい。 さびれたバーやスタンド人声もない11時過ぎ 風俗営業法が効く  木辻特飲街の廃止、南市検番が明かし花を廃止して営業時間を午後11時まで

        • #11 奈良三赤線の終焉 一斉に解散式 洞泉寺特飲街組合は伊勢参りで“慰労会“へ

           ついにこの日が来た。大和タイムスは連日一面トップで大きく赤線最後の日について報じている。それだけ世間の関心が高かったことを表している。業者や接待婦たちはどのように最後の日を迎えたのか、以下で紹介する。 県下三特飲街 従業婦も人生の再出発 今日15日で県下三特殊飲街の街灯が消える。過去三百有余年、日本女性の悲しみを秘めて性売買した公娼制度が売春防止法の全面発効でついに姿を消すことになったわけだ。必要悪の名のもとに女性の紅涙を絞った歴史に終止符を打つ県化の赤線地帯、奈良市木辻

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          ここの内容の転載は事前にお知らせを!無断は厳禁。

           いつも沢山の方に見ていただいてとても嬉しいです。ありがとうございます。今まであまり知られていなかったことをたくさんアップしているため、関心が高いことに驚いています。ですので、このページのリンク、シェアは大歓迎です。その際、ここで紹介している内容、文章及び画像のみを無断使用することはお断りします。もし使用されたい場合は必ずご連絡いただき、転用先にこのページのURLをご記入ください。 実は、現在いくつかのサイトで、無断転用を確認しています。新聞記事ですのでバレないと思われてる

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          #10 紅い灯もあとすこし、廃業を待つ県下の赤線地帯

           昭和33年3月。4月1日の売春防止法施行にさきがけ、15日で一斉廃業することを決めた奈良県の赤線地帯。営業できるのもあと数日と、終わりへのカウントダウンが始まった頃の木辻、岡町、洞泉寺の様子をサンデー郡山(郡山町の週刊誌)と、大和タイムス(奈良県全域の地方誌)から紹介する。  他地域では名古屋の中村遊廓のように、すでに転廃業したところもあり、その後の状況はあまり良くないとの噂も流れる。この時期、新聞の三面記事に「遊廓」に関する話題が立て続けに掲載されていることから、世間で

          #10 紅い灯もあとすこし、廃業を待つ県下の赤線地帯

          大和郡山市旧遊廓「東岡町」の惨状に思うこと

          東岡町の現在 奈良県大和郡山市の二つの遊廓、洞泉寺遊廓と岡町遊廓を研究し始めて4年目めになるが、まだ聞き取り調査が不十分である。特に岡町は、様々な大人の理由でどこから手をつけたら良いのかも、まったくわからないままだ。  そうこうしているうちに、いまの行政区分でいう「東岡町」はかつての遊廓建造物がどんどん解体され、集合住宅が立ち並び新しい町に生まれ変わりつつある。この流れはどうしようも無いと自分に言い聞かせてはいるのだが、先日久しぶりに訪れて驚いた。  かつて「料理旅館京富」が

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          洞泉寺遊廓 旧川本楼#03 登楼遊客と娼妓の勤務実態について

          1.遊客名簿について 奈良県大和郡山市洞泉寺町にある、旧遊廓川本楼に残されている帳簿のうち、遊廓に登楼する客の名簿を「遊客名簿」といいます。ヘッダ部に掲載している写真は、川本楼にあった「遊客名簿」で、現在展示されているものです。未記入の帳簿であるため、町家物語館としてオープンされた当初から展示されていると言うことです。この写真をパッと見ると、まず昭和のモノだと言うことが分かります。しかし、いつ頃のものなのかハッキリしません。ただ、同じ洞泉寺遊廓の松月楼、昭和15年の遊客名簿の

          洞泉寺遊廓 旧川本楼#03 登楼遊客と娼妓の勤務実態について

          洞泉寺遊廓 旧川本楼 #02 残された資料からわかる従業員のこと

          1.旧川本楼に残された資料について 前回の記事で、奈良県大和郡山市洞泉寺町にある、旧遊廓旧川本楼には大正期の建物と、遊廓経営に関する資料が残されているとお話ししました。その資料とはどのようなものだったのか、2020年に行われた市職員の講演会資料を用いて簡単に紹介したいと思います。  まず、資料点数ですが、図1のように2019年10月時点で37点と説明がありましたが、その後整理が進み現在ざっと100点くらいに増えたと聞きました。点数を見る限り少ないように見えますが、帳簿類はかな

          洞泉寺遊廓 旧川本楼 #02 残された資料からわかる従業員のこと

          洞泉寺遊廓 旧川本楼 #01 その概要と歴史

          1.洞泉寺遊廓 旧川本楼(町家物語館)とは 旧川本楼は奈良県大和郡山市洞泉寺町に残る旧遊廓建造物(国登録有形文化財/写真1)です。現在、町家物語館とよばれ町の人々に親しまれていますが、この建造物の特性を多くの人に正確にお伝えしたいので、ここではあえて「旧川本楼」と表記させていただきます。  旧川本楼は、1958年の売春防止法施行以降は廃業し、下宿所を営んだのち一般の住居となっていましたが、1999年に大和郡山市が買い取り、大掛かりな耐震工事、及び修理が行われ2018年2月か

          洞泉寺遊廓 旧川本楼 #01 その概要と歴史

          #9 売春問題座談会 行政 vs 特飲店業者 本音を語る

          1.座談会の目的と座談会参加者 売春防止法の施行があと1ヶ月に迫った昭和33年2月27日。翌日の2日間にわたり大和タイムスでは「売春問題座談会」と題して、県の対策委員や観光協会長、特殊飲食店経営者の座談会を開いた。赤線廃業を目前に控え、明治以降80年以上続いた近代遊廓の終焉について関係者は何を思うのか。法案成立から、施行まで何があったのか。新聞社という中立の第三者を置き、普段対立している人たちの本音を聞き出すことを目的としている。とても興味深い内容だったので紹介する。 いか

          #9 売春問題座談会 行政 vs 特飲店業者 本音を語る

          #8 最後の賑わいをみせる奈良3大遊廓、接待婦・引子の嘆き

           昭和33年2月に入ると、いよいよ売春防止法施行まで2ヶ月を切り、転廃業へのスケジュールが具体的に定まってくる。法案可決の際には皆が「本当に実行されるのか」と疑ったものだったが、この時期になると、接待婦のほとんどがその後の身の振り方を真剣に考えるようになっていた。今回は、そういった接待婦に焦点を当てた記事を紹介したい。  まずは、2月以降の奈良三大遊廓の状況から。 2月20日一斉廃業届 県下の三大赤線地帯 3月15日から新しい職業に 【郡山発】既報、売春防止法の施行を目前に

          #8 最後の賑わいをみせる奈良3大遊廓、接待婦・引子の嘆き

          #7 大阪・京都・名古屋等他府県における赤線転廃業の状況

           それでは同じ時期、他府県の赤線地帯はどうなっていたのか、大和タイムスに記載されている内容からみていきたい。まずは昭和33年1月24日の記事から。 名古屋と大阪の赤線地帯 愛知県下の実情を調査してきた谷井氏の話によると,同県下約1000軒の全業者が昨年12月15日で営業をやめており、不夜城を誇った名古屋市中村も今は人通りも少なく、81業者のうちトルコ風呂に転業した9軒、バーやカフェーに転業した9軒がまばらにネオンを灯しているだけで,残り約63軒は旅館への転業許可はとったもの

          #7 大阪・京都・名古屋等他府県における赤線転廃業の状況

          #6 洞泉寺・岡町遊廓 最期の日は3月15日と決定

           「赤線最後の日」というと、昭和49年(1974)に公開された映画「赤線最後の日」の影響が大きいのか、どうしても昭和33年3月31日と考える人が多いようだ。しかし実際はそうではなかったようで、最後の日は都道府県や市町村によってまちまちだった。ほとんどの赤線がギリギリ最後まで営業してたわけではなく、比較的早い段階で廃業していたことが当時の新聞からも読み取れる。奈良県では紆余曲折あったが最終的に昭和33年3月15日に一斉廃業することになった。その決定までの記事を紹介しながら、行政

          #6 洞泉寺・岡町遊廓 最期の日は3月15日と決定

          #5 奈良県内の赤線と青線白線

           昭和32年前後、奈良県の赤線地帯は奈良市内の木辻と郡山の岡町、洞泉寺の3箇所のみである。それ以外の地域は青線白線といわれ、非合法で性売買が行われている地域となる。奈良では芸妓街のあった南市などもそのひとつだったようで、そのほかにも大和八木や五條、十津川にも青線・白線があったという。今回はそういった、売春防止法施行前の赤線を取り巻く状況、人の流れなどを見ていきたい。まずは、青線地帯の様子について、昭和32年9月の記事を紹介する。 ※紙面の保存状態が悪く読めない文字は◼️であ

          #5 奈良県内の赤線と青線白線

          #4 洞泉寺遊廓の山中楼が貸本屋へ 赤線からの転業

          1.洞泉寺遊廓を知っていますか? 遊廓や赤線に興味がある方なら、もしかするとご存知かもしれない。奈良県大和郡山市の洞泉寺遊廓。実は2020年3月、一度に4棟もの歴史的建造物が解体されるので多くの新聞やテレビで話題になった場所である。そのうち山中楼は解体直前に1日限定で一般公開が行われ、多くの方々訪れた。内部は廃業後住居として使われていたために遊廓の香りは薄れていたが、一般住居や商家とは違う独特の作りに多くの来訪者が目を見張った。 2.奈良の地方新聞『大和タイムス』に見える赤

          #4 洞泉寺遊廓の山中楼が貸本屋へ 赤線からの転業