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140字では語りつくせぬ映画愛:『フォルトゥナの瞳』

皆さんはバナナを食べたことがあるだろうか。
バショウ科バショウ属の広く食用として親しまれるあの黄色い果実だ。
日本名は芭蕉といい、なんでも松尾芭蕉は門下生からバナナをもらったことがきっかけで俳名を芭蕉としたそうだが、当時から呼び名が「バナナ」でなくてよかった。松尾バナナ先生が日本を代表する稀代の俳人として歴史に名を刻んでしまうところだった。
沖津もバナナは大好きでよく食べる。特にお家ではバナナジュースを好んで作っている。隠し味に「明治エッセルスーパーカップ」を入れるのが味噌だ。隠し味で味噌なんて単語を使うと余計な混乱を生む。

しかしこのバナナという存在、どうにも怪しいのである。あまりに"食べやすい"のだ。不自然なほどに。
まずバナナ手に取ってみる。棒状である。そう、棒状である。あまりに持ちやすい。サイズも形状も「片手で手に持ってお食べください」と言わんばかりである。
次に皮を剥いてみよう。そう剥けるのである。素手で、いともカンタンに。素手で皮を剥ける果物など珍しくもないが、あんなにキレイに皮を取り除ける植物があるだろうか。例えばブドウなんかは手先が不器用な人間には意外ときつい。一発でキレイに剥けない。手も濡れてしまう。バナナはどうだ。バナナの皮を剥けない人間などいない。サルでも剥けるくらいだ。棒状のフォルムに対して縦方向に筋っぽくなっているので縦に引っ張ればキレイに取り除ける。キリトリ線のようなものだ。「どうぞこちらからお剥きください。」手もよごれることはない。
いよいよ恐ろしいが最後に味である。甘い。圧倒して甘い。よくテレビで「このいちごはとっても甘くて~」などと言っているが結局はいちごだ。いちご界でどれだけ甘かろうがバナナに敵うことはない。

都合が良すぎる。人間にとって。我々には文明がある。手が汚れることをなんとも思わない、そもそも手など使わない、皮など気にせずそのまま食らいつく、味など大した問題ではない、そんな野生動物ならいざ知らず。バナナは文明を有してしまった我々にこれ以上ないほど優しい。ミントのようにスースーしてみたり、唐辛子のように辛くなってみたり、栗のように尖ってみたり。「食べられないための進化」を多くの植物が行う中で。こうも無条件に食べやすくては疑いたくもなる。不自然である。そんなことを考えながらこの果実を眺めると不気味にすら思えてくるのである。
うわ、なんだこの得体の知れない果実は。なんでそんなにヒトに都合よくできてる。怪しいぞ怪しすぎる。何を企んでる。

ちなみにミカンも怖い。なんであんな風に中で小分けのパックみたいになってるの?食べやすすぎるだろ。


さて閑話休題、タイトルの『フォルトゥナの瞳』だが、心底つまらなかった。
予知っぽい能力を持った主人公が列車駅で、これから事故を起こす電車に乗ってしまった恋人を止めることができずに取った行動が「走って次の駅に先回りする」だったのは笑ってしまった。この世界には「緊急停止ボタン」が存在しなかったのだろうか。

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