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「海外に住みたい」昔からの憧れを消せた話

「いつか海外に住んでみたい」
誰しも1度は思ったことがあるんじゃないかと思う。

少なくても私は小さい頃、まだ海外に行ったことがなかったときに思った。
テレビ番組に映る美しい景色や日本にはない街並みを見て
「こんな街に住んでみたい」
そう思った。

しかし社会人になって会社員として働きだすと、そんな子供のころの願望は忘れてしまう。
それくらい毎日が忙しかったし、生きていくには金が要る。
働くことを辞められなかった。
海外に行ってやっていけるような英語のスキルもなかった。

いつしかその願望は、きっと叶えることができない夢なのだと思った。
このままずっと
「ああ、海外で住んでみたかったな」
そんな願望、嘆きを心の奥底に抱えながら
ときにはその憧れと目を合わせて後悔しながら
そうやって生きていくのだろうと悟った。

けれど私は30歳にして、オーストラリアに住むことができ
その願望を消すことができた。


「ワーキングホリデーに来て1番良かったことは?」
そう友人に聞かれたら私はまずこう答える。

「一生”海外に住みたかった”と思わなくて済むこと」

これは30歳でワーキングホリデーに来るという決断をした私の話。

ふとしたきっかけで始めた副業

私は5年ほど前から細々と副業を始め、約1年ほど前からフリーランスとして細々と生活できるようになった。

もちろん大きく収入を上げる月もあれば、社会保険料分も稼げない月もある。
帳簿はまさにジェットコースターのようであったが、紆余曲折ありいまではなんとか生きられている。
それにいまオーストラリアで現地の仕事をほとんどせずに、フリーランスの仕事で生活できているのは本当にありがたいことだなと思う。
そのことはいつも思っているし、クライアントには感謝が尽きない。

そんな副業を始めるきっかけは、居酒屋で飲んでいたとき飲み友達の連れから言われた一言だった。

「いま会社が忙しくて、事務仕事が全然終わらないんだよね」
「私エクセル得意ですよ。なにか手伝いましょうか」

私はそのとき事務の仕事をしていて、特にエクセルが得意だった。関数式を組むことに凝っていて、多少エクセルVBAも触れた。事務の仕事は定時出勤の定時上がりで少し退屈していたのもある。

飲みの場の言葉と言えばそうだ。けれど。
「ぜひやってよ。来週の土曜日とかどう?」
と、仕事をすることになった。

それが私が初めて会社の名前でなく私の名前で受けた仕事だった。
最初は1か月に2日ほどの事務手伝い、エクセルの打ち込みや給与計算の補助をした。大したスキルは要らない仕事、それが始まりだった。

会社帰りにカフェで副業の仕事をすることもあった

その後デザインやライティングなどもするようになり、最近ではゲストハウスの運営の仕事もいただいた。

本当になんてことないきっかけで始めた副業が、いまのフリーランスの生き方に繋がっていると感じる。

沖縄の海で過ごした1年間

私はワーキングホリデーに出る1年前、生まれてから長年住んでいた関東を離れ沖縄に移住していた。

沖縄移住のきっかけは、正直言うと都会の喧騒に嫌気が差したからだ。
20代前半は自分への刺激のため、今後の人生での選択肢を増やすため、あえて東京に住むことを選んだ。
しかし東京での生活に満足し、趣味だったスキューバダイビングを本格的にやりたいと感じダイビングの地として人気のある沖縄に生活拠点を移した。

沖縄の海でダイビングをする私

ちょうどコロナだったそのとき、沖縄のダイビングショップには海外のショップで働いていたがコロナで仕事が減り日本に帰ってきたインストラクター(ダイビングのガイド)がたくさんいた。
「オーストラリアのケアンズで働いていた」
「グアムで働いていた」
海に潜りに行く度、ダイビングで知り合った仲間とお酒を飲む度に海外の話を聞いた。

そんな人たちに
「まだ30歳になっていないなら、ワーキングホリデーで行ってみたら?」
と勧められて私は”海外に住みたい”という子供の頃からの夢を鮮明に思い出したのだった。

ワーキングホリデーは30歳までしか申請できない。
インターネットさえ繋がっていれば仕事ができる。
貯金も結構たまってる。

そして私は、オーストラリアにワーキングホリデーに行くことを決めた。いままでの人生のいろんなものが私の背中を押してくれたんだと思っている。

実際に海外に住んでみて

ゴールドコーストの花火大会

夢だった海外に住んでみて思ったことは、想像してたよりも大したことじゃなかったなということだ。
やってみなければ、それに気づくこともなかった。

日本は世界の中でもかなり安全な国だが、オーストラリアもそうだ。
銃社会ではないし、スリや強盗、恐喝などもほとんど聞かない。落としたパスポートや財布(中身は抜かれている)が2週間後くらいにふと手元に戻ってきたりするような国だった。

海外に住む、というにはイージーな国だったかもしれない。

ただ周りには英語を話す外国人ばかりで、
家賃が日本の1.5~2倍くらいで、
海外のルールに合わせなくてはいけない部分があるだけだった。
根本の部分は日本で住むことと変わらなかった。

だから生きるということは、
寝て、飯を食い、お金を稼ぐ、そういうシンプルなことなんだと私は本当の意味で気づいた。
住む場所が日本でも海外でも、人間だからやっていることは同じだった。
それに気づけなかったから、きっと海外に幻想を抱いていたのかもしれない。

住んでいたシェアハウス

それに日本をいかに自分が好きかも気づけた。
私は日本語が好きだ。日本のサブカルチャーが大好きだ。
ご飯、納豆、みそ汁は我慢できるけど、日本のアニメや小説は我慢できない。

そういったことに気づけたこと、海外に住みたいという自分を納得させられたから私はオーストラリアに住むことができて良かったと思う。

ワーキングホリデー以外にも選択肢はある

日本からオーストラリアに来るのに私はワーキングホリデーという制度を利用したが、実は他にもオーストラリアに住む方法はあった。

ひとつは学生ビザ。学校に通う代わりに長期間のビザを得られる。年齢制限はないので何歳でも使えるビザだ。しかもオーストラリアは学生ビザでも週24時間のアルバイトがOKとされている。
24時間働けば時給が日本の倍なので、週に日本円で5万程度稼ぐことは不可能ではない。学生ビザでも十分オーストラリアの生活を満喫できるだろう。

もうひとつは観光ビザ。オーストラリアは観光ビザで最大90日間の滞在が可能だ。90日間あれば、短期留学もできるし、ホームステイや実際に部屋を借りて住んでみることもできる。
しかもビザ代は2000円前後と格安でプチ海外移住が滞在できるのだ。

私はいまオーストラリアにきて4か月が経った。
海外で生活するという目的は果たしたし、オーストラリアで生活に満足したので近々日本に帰国するつもりだ。

挑戦は何歳でもできる

人生で関わってきた様々な人の些細な一言が、私の人生を変えた。
そんなきっかけは誰しも起こりえることだと思う。

無理だ、できないかも。なんて思わずに何でもやってみることが人生を楽しく生きるために私が大切にしていることだ。

もし海外に住んでみたい、そう思っている人がいたら1週間でも2週間でも短期からできることを覚えておいて欲しい。
ワーキングホリデーの対象年齢ではなかった、そう諦めないで欲しい。
観光ビザでだって90日も滞在できる。

日本の生活に疲れたり、新しい刺激が欲しくなったらふらっと海外で住んでみるのも悪くない。子供の頃からの夢を叶えることは思っているよりも難しくない。それを頭の片隅に覚えておいて欲しい。

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