2023年の振り返り。私が好きな私を好きな人たち
あけましておめでとうございます。
毎年年が明ける前にやるぞ!と思っているのですが、
今回も年が明けるスピードに負けました。師走早すぎ。
沖縄に移住したのが2022年4月。
ダイビングをしたり、お酒におぼれたりしながらしばらく過ごし、2023年はオーストラリアにワーホリ、宮古島に移住…と動きの多い1年になりました。
そんな私の2023年の振り返り、2024年の展望を述べたいと思います。
各月をハイライトで振り返り
2023年の年明けは那覇の港の近くで迎えました。仕事終わりに飲み友達と飲んで、24時まで粘って船からのポーッという音を聞いて解散。最近の中では穏やかな年越し。
2023年を一言でいうと、
とにかく長い一年でした。
そして、オーストラリアは広かった。
いろんなことに挑戦したり、あっちこっちに行くことが多すぎて
1月ってまだ那覇にいたの!?とか
オーストラリア行ったの幻だった!?とか
よく私の頭が時間認識の誤作動を起こしてました。
今年30歳になるので、社会人歴8年目を迎えようとしていますが、
社会人の中でこんなに充実した年はなかったです。
海外もグアム、オーストラリア、マレーシア、ベトナムと4カ国に行き、たくさんの刺激をもらいました。
やりたいことをやりたいようにさせてくれる家族や仕事で関わる方々、彼女には感謝が尽きないです。
2023年に感じたこと。学んだこと
オーストラリアで暮らし、たくさんの人種の方、いろんな考え方に触れながら
「考え方や幸せの形は人それぞれ」
を実感する1年になりました。
また宮古島にゲストハウスを建てる!とプロジェクトを始動させたことで、
いままでのフリーランスでの個人主義の姿勢から
”誰かのためにやる仕事”
を意識し始める年にもなりました。
1:本当にどこでも生きていけるらしい
オーストラリアに移住して、自分がどこでも生きていけるんだと気づきました。
それに海外で住むってこんなものだったのか、とも思いました。
なめている、とかではないんですけど、
肩透かしにあったって感じ。
オーストラリアに行く日本人って出稼ぎのイメージが多いと思うのですが、私は現地では大した仕事をしませんでした(ちょっとの掃除くらい)
仕事探しを早々に辞めてしまった、のもあるのですが、
もともとやっていたフリーの仕事だけでなんとかやれてしまったのが大きいです。
私の仕事は基本はライター、あとはデザイン、ゲストハウスのプロジェクトもしていて、生きるだけのお金はオンラインで賄えてしまっていました。
そのことが更に私に”どこでも生きていける”という想いを強くしたと思います。
全ての人に「フリーランスになれ!」とは言いませんが、副業でオンラインの仕事ができると行動範囲と動くハードルはかなり下がるのではないかと思いました。
2:日本に住みたい、海外じゃなくて日本が良い
みなさんは海外に住みたいですか。日本に住みたいですか。
私はオーストラリアに住んで、
「やっぱり住むなら日本だな」と思いました。
なぜならオーストラリアで手に入るものとそうでないものに気づいたからです。
私はアニメなどのサブカルが好きですし、本が好きです。
オーストラリアにいて悲しかったことは、以下の3つ。
見れないアニメがあること
新刊が手に入らないこと(全ての本をkindleに入れて欲しい…)
イベントや推しのライブにいけないこと
自分がこんなにもサブカルを生きがいにしていると気づきました。
海外楽しいけど、私が生きていくにはサブカルがいる!とワーホリ半年で帰国しました苦笑
そして。
のどかで海が見えるところがいいので、沖縄に戻りました。
日本にいれば配信見れるし、通販届くし、本当にこんな離島までありがとうございます!!の気持ち。
3:会社員にはしばらく戻れないと理解した
ワーホリも大きな挑戦でしたが、宮古島でゲストハウスを運営する!と腹決めしたのも、私の中では大きな決断でした。
と、いうのもフリーランスではずっと無形商売だったからです。
パソコンがあれば、ツールとオンラインを駆使してお金を稼げました。
もし仕事がなくても固定費はほとんどありません。
だから精神的なストレスは、フリーランスと言えど多くなかったと思います。
でも箱もの商売は違います。
箱があるので、固定費がかかります。
今回物件を買うか借りるかはかなり悩みましたが、結局融資を受け購入することになりました。
なので毎月どえらいお金が無くなっていきます。
運営しなくてもお金は減る。水光熱費も馬鹿にならない、いろんな名目でお金が引かれる。
そして会社員には戻れないと悟りました。
とてもじゃないですが、30歳会社員が返せる金額じゃなかった。
20代いろんなことに挑戦してきました。
身になったこともあれば、身にならなかったこともありますが、
30代で棚卸ししろってことなんだろうなと思いました。
だから私は今後の生き方を決めて、宮古島にやってきたわけなんですよね。
あとは自分ができることをするだけ。
私が好きな私を好きな人たち
人の気持ちの矢印を知るのって難しい。
誰が誰を好きで、誰が誰に好かれているか。
年齢を重ねて人間いい顔をすることを覚えるし、
社交辞令もうまくなります。
「これからなにか一緒にやりたいね」「仲良くしようね」
そんな言葉を何度やり取りしているんでしょうか。
私が鈍感だからか、その言葉の温度にあまり気づけませんでした。
でも今年その矢印が見える出来事が3つ起こりました。
1:離れていても心配してくれた、会いに来てくれた
ワーホリ中に日本からオーストラリアまで会いに来てくれた友人がいました。
Instagramのストーリーに、困っていること、辛かったことを書いたら
「大丈夫?」「話聞こうか?」とメッセージをくれた友人がいました。
そのとき私から向けている矢印と、相手から向けられている矢印に気づきました。こういうことって日常であまりないかもしれません。
Instagramのストーリー、私は毎日全員はチェックできません。
500人とか1000人とかたくさんフォロワーがいる中で、
私のストーリーを見てくれていること。かつメッセージを送ってくれたこと。
それはとても特別なことなんだと思いました。
2:大好きな人が結婚式に呼んでくれた
大好きなのに環境の違いから疎遠になってしまう人っていますよね。
私にとってとても大切で、確かに距離が近かった時間はあるけど、いろんなことから遠く離れてしまった人がいました。
そんな彼女が、「結婚式に来てほしい」「友人代表で話してほしい」といってくれたことは本当に嬉しかった。
片思いじゃなかったんだとまじで思いました。
スピーチ原稿を考えながらぽちぽち書いた記事が以下です。愛しかない。
3:思いもよらない人からのクラファン支援
私は12月に人生で初めてクラファンに挑戦しました。(現在も開催中。1月末まで)ありがたいことに年末に達成でき、現在はネクストゴールに挑戦中です。
私はInstagramのフォロワーが700人しかいませんし、Twitterはほぼやってません。こんな状況で目標達成できるのかなと、開始当初はめちゃくちゃ不安がいっぱいでした。
しかし始まってみたら思いもよらない人が支援してくれたり、
大学時代の友人、前の会社の先輩、ダイビング仲間、ワーホリ仲間…などいままでの人生で確かに同じ時を過ごした人が応援のメッセージをくれました。
だから自分が好きな人もそうだけど、
自分を好きな人も大切にしたいなと思いました。
私が好きな、私を好きな人たちと2024年は歩んでいきたい。
ゲストハウスのOPは2月!まほてらの年!
2024年の挑戦は、もちろんゲストハウスMAHHO TERRACE(まほーてらす)の運営です。
オープン日は2024年2月1日!あと1ヶ月を切りました。
ゲストハウスで働いたことはありますが、自分がマネージャーだった経験はありません。正直、楽しみより緊張や不安の方が多いです。
が、スタッフとして心強い友人が手伝ってくれるし、
2月は私の友人が何人も遊びに来てくれるみたいなので。
じっくりとゲストハウスを軌道に乗せていきたいと思っています。
宮古島とてもいいところです。
もっとたくさんの人に認知してもらうためにも
島の人たちと上手にコミュニケーションを取って
腰を据えてここで生きていこうと思います。
ゲストハウスのHP↓
今年もよろしくお願いします!
↓my Instagram
https://www.instagram.com/mayuyu0228/
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