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42.195kmの先に向かって

今からちょうど10年前、フルマラソンを走るという経験をした。

最初で最後のマラソン大会に出場したのだ。

始まりはその前年の春に、会社と家の往復ばかりで飽き飽きしていた生活を変えたいと思い、上司の「朝走るといいよ」という言葉を受けて走り始めたのがきっかけだった。

それから、2日に1回、朝5時半に起きて5kmを走る生活が始まった。

朝早く起きて走ると、夜も早く眠くなる。

余計なことを考える時間が減り、その時の私のプライベートは“走る”ということだけに集中していた。

私は何かにはまったり、興味が沸いたことがあると、脇目もふらずそれだけにエネルギーを注ぎ込む性分だ。

そして一気に熱量が上がるため、下がるのも早い。

始めた春は走るのにちょうど良い気候であったが、
夏場の暑さと湿度による息苦しさにやられたり、
秋頃に他の仕事を新たに増やしたのでリズムが乱されたり、
冬の早朝、まだ暗い時間に起きることが辛かったり、

などの理由で少しづつ、走ることを止めたいなという気持ちになっていた。

そして走ることを止める理由としてフルマラソンに挑戦したのだ。

ただただ止めてしまっては、負けたことになる。

だが、フルマラソンを走り切ったらそれがちょうど良い区切りとなるだろうと思ったのだ。

まさに自分との戦い、意地である。

フルマラソンに出ようと思ってからの練習はさらに辛かった。

5kmの練習だけじゃもちろん足りないので、10kmと距離を伸ばして走るようにしたり、調子の良い時は20km走ったり。

一度だけ一人でほぼ休憩も取らずに30km走った時は、最後の方は泣きながら走っていた。

恐るべき執念である。

しかもそこまでする理由はフルマラソンを走りきりたいという為のものではなく、
その先の走るのを止めるという目標に向かう為のものであった。

今思えば馬鹿げた目標だが、その時は大真面目であった。

そして迎えた当日。

3月の肌寒さと小雨の降る中スタートし、
途中サルに追い越されたり、追い越したり、ナスに追いつけなかったりしながら、なんとか走り切ることができた。
(なぜか着ぐるみを着て走っている人がちらほらいた。面白かったけど)

そして念願叶って、次の日から走ることを止めた。

膝を曲げることもできないほどのむくみと激しい筋肉痛にもがきながらも、一人開放感を味わっていた。

といってもたまーに思い出したように走ることはあったが、
その当時のようにハマることはなかった。

おそらく、“走り続けること”はあまり好きではないようです。

タイムとかは関係なく、フルマラソンの完走を目指す人は、
20kmくらい走れるようになったらあとは気合いでなんとかなります。(多分)


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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