敬語が使えない私

外国育ちで、敬語おろか普通の日本語もちゃんと話せなくて、この7年間東京で暮らしていました。

今年、30歳になったのに中学生のレベルになるかならないかの日本語で生活していた。

今まで働いてうた仕事は、当たり前であろうが、英語の先生でした。この状況では、中途半端の日本語でもぜんぜん生活できてました。

しかしながら、キャリアと言うものに本気に考えたら、この仕事はずっと続けることはないと思いました。英語先生は嫌いな訳ではない。逆にやりがいがある仕事でした。生徒の成長や笑顔を見れるのは、私にも幸せでした。それにしても、もっと世界を広げたい気持ちが年々と湧いてきました。

転職は英語先生を初めてからずっと考えていましたけど、ただ一つの高い壁が立っていました。それは言語の壁。日本にいる限りは、やっぱり日本語が必要。そして社会人になるには、中途半端の日本語では出来ていけない。それが分かったときから、本気出して、日本語の勉強に向かい合った。そこで、もう一つの問題が発達。。

私は勉強が苦手

振り返ってみれば学校と大学も同じでした。色々なことを学ぶのは好きでした。今も毎日のようにウィキペディアとかで調べて、新しい情報を吸い込みます。しかし、成績と言うものには興味もなく、テストの結果とかはどうでもいいと言う生徒でした。

成績は悪い訳ではないです。英文学と歴史はクラスのトップでもあった。ただし、それに気にしないと言う特性でした。この世の中には成績や学績よりもっと大切なものはあるーと信じて生きてました。

しかし、学績や世間の知識は社会人になるためにはやっぱり大切なものでした。

反省中です。

そう言う話で、今月から正直な勉強を始めてきました。言語を学ぶには、何回も繰り返して、何回も復習して、一歩ずつ進むことが大事です。

↑(当たり前なことかもしれないけど、私には大人になってからようやく分かったことでございます)

双極性障害の私にしては、日常の習慣を立てるのは難しい。冒険が好きな私には文法のテキストを読んでも、ワクワクしない。しかし、将来の夢を考えるとこの知識は抜かしてはいけない。

皆も同じだと思います。皆さんも、言語でもなく、新しいスキルとか、免許を得るためにとか、何かに努力してると思います。頑張っていきましょう。

一歩ずつ。