キャンプ孝行1

   日記より27-7「キャンプ孝行」1          H夕闇
                  八月十二日(土曜日)雨
 冷や麦の夕食中に電話が入り、ヒョンな弾みで伜(せがれ)が訪れたのは、先おととい(九日)のことだった。更にヒョンな弾みから翌日(十日)に親子三人でキャンプへ出掛(でか)けることになった。だが、暮れなずむ湖畔で火を焚(た)き乍(なが)ら積もる話しが出来(でき)たのは、決して弾みではなかった。むすこの結婚以来(十年ばかり)お互い気に懸(か)けつつもジックリ問い語る機会が無い侭(まま)で過ごして来た諸々(もろもろ)を、この際に落ち着いてユックリ話し合えた。
 遠い夕映え、松林の奥の怪し気な気配、焚き火の煙りと臭い、薪(まき)の爆(は)ぜる音、隣りのテントでは夜通し静かに語るツーリングの若者たち、、、キャンプ場らしい宵(よい)が穏やかに更(ふ)けた。
 電気の無い一夜、コーヒー一杯を口にするにも、薪を割ることから始め、その為(ため)に専(もっぱ)ら時を費(つい)やして湯を沸(わ)かし、その一方で豆を挽(ひ)いて、ドリップの支度(したく)をする、、、といった手間と暇(ひま)を掛(か)けて、わざわざ惣領(そうりょう)むすこが振(ふ)る舞(ま)ってくれた。時々こうやって現代の便利な生活(ライフ・)様式(スタイル)から離れる時間を(むすこや娘の一人ずつと一緒(いっしょ)に)持つらしい。その孫たちの将来に就(つ)いても、今回は両親と(ビールを共にして)話し合った。久しぶりの貴重な一時だった。
 このキャンプは、きっと子として親孝行の積もりなのだろう。

 初めて五色沼を訪れて、その神秘的な瑚水の色に魅(み)せられたのは、確か僕の小学校の修学旅行だった。それからも何度か来たことが有るが、いつも団体行動だったり時間制限が有ったりで、心が行くまで逍遥(しょうよう)することは無かった。今回は(毘沙門(びしゃもん)沼(ぬま)から瑠璃(るり)沼(ぬま)と青沼まで)森の踏み分け道を延々と堪能(たんのう)できた。
 所々は木道が設置されていたが、偶(たま)に大きな岩や大木の根を踏み越えなければ成(な)らない箇所も有り、多くは土からゴロゴロと石くれが突き出ているような路面だった。風景を眺(なが)め乍らブラブラそぞろ歩くのが好きな僕に、それは散策路と云(い)うには歩き難(にく)い道だった。だが、毎朝スタスタと散歩に出る妻や、自転車で鍛(きた)えている長男坊は、お喋(しゃべ)りしいしいドンドン先へ行った。僕は置いて行かれないよう(足元を気にしつつ)付いて行く恰好(かっこう)だった。森の様(さま)や木(こ)の間(ま)隠れの水辺など余り目に入らなかった。
 それでも、時々見晴らしの良い池畔に足を留めての眺めは、やはり素晴らしかった。青緑と一言で言い捨てるには惜しい色合いだ。幼い目に触れた景勝の記憶は、後の人生行路に影響し、時折り蘇(よみがえ)っては、旅に誘(いざな)う。僕らが以前(寝不足と疲労に耐えて)引率した生徒たちも、古都や沖縄の歴史と海の色を、心の襞(ひだ)に留めただろうか。

 むすこには嘗(かつ)て自転車を教えた。乗り方は無論だが、今日では自転車屋へ依頼するのが一般的になったパンクの修理やブレーキの調整なども、手伝わせて、見習わせた。その作業の過程で、機械の仕組み(メカニズム)や工具の使い方を(引いては物を大切に扱う態度も)子供の内から身に付けさせた。亡父と親子孫の三代で松島まで銀輪を連ねたことも有る。後は放っておいても、男の子は遠出(ツーリング)の面白(おもしろ)さを覚えるだろう、と予測した。
 案(あん)の定(じょう)、今も時々(おやじが乗ったことも無いような高級な)ロード・バイクで出掛けるらしい。普段の通勤にも、一部は利用しているそうだ。上り坂では疲れるだろうが、若い内は健康的で良い。
 もう一つ教え込んだのがキャンプだった。休日に都合(つごう)が付くと、よく子供と行くそうだ。僕は自動車を持たなかったので、テントや食料を夫婦で担ぎ、子供たちにも少し背負わせてバスに乗るのは大仕事だったが、むすこは自家用車のトランクに道具一式を積みっ放し、代わる代わる子を乗せて、ヒョイと気軽に出られると言う。
 そういう楽しみ方が(PCゲーム以外に)子から孫へ伝わって、大変に喜ばしい。そして時に親もキャンプへ誘ってくれて、これ又とても嬉しいことだ。
 それと、コーヒー。これは、おやじ直(じ)き伝(でん)ではない。「隣りのじいちゃん」からの継承である。僕の実家の隣りに住んだ叔父(おじ)(僕の父の弟)を訪れると、屡々(しばしば)煎(い)れてくれた。初めは牛乳と半々のカフェ・オレだった。本人の亡(な)き今も、そのサイホンの味を伜は覚えているのだろうか。
 僕の場合いは、専らインスタント。あの本物は本人と共に今は亡い、とて(入院して以来)コーヒー断ちを決め込んでいる。父が死んで十年余り、僕にキャンプを仕込んだ叔父は二十年になる。

 五色沼を後にし、食材を買い込んで向かったのは、猪苗代(いなわしろ)湖(こ)の天神浜。砂浜からチョッと離れると、松林が拡がる。その木々の間に、むすこはテントを張った。
 今風のオート・キャンプというのは、一昔前とは様変わり。当てずっぽで我流に手伝うと、却(かえ)って足手纏(あしでまと)いや二度手間になって、子から叱(しか)られるので、テント張りも火起こしも、伜にスッカリお任せし、僕は殿様旅行を満喫(まんきつ)する。湖畔の林間に折り畳みの安楽椅子を据(す)えて、読み掛(か)けの杉本苑子「檀林皇后私譜」下巻を開いたのは、越(こ)よ無(な)き贅沢(ぜいたく)と心得る。
 時々誘われて子や孫と三人でキャンプした僕とは違い、むすこの成人後こういう形で参加したのが初めての妻は、気が逸(はや)るらしく、昔のようにチョコまか手を出して楽しそうだ。
 一通り設営が済んだ頃、凪(な)いだ湖面に夕日が傾いた。右手の磐梯山(ばんだいさん)の深緑が、黄金(こがね)色にホンノリたそがれた。波とも云(い)えぬ程の小波が、間遠(まどお)にチャプチャプ岸を洗う。軈(やが)て夕焼け雲が茜(あかね)に染まり、さざ波がキラキラ輝いた。
 その景色が見事(みごと)だった。呼んだのに来なかった、と家内は僕を詰(なじ)るが、一人はテントを守る者が居(い)ないと、近頃は物騒(ぶっそう)なのだ。それ以上に、母と子の姿を汀(なぎさ)に見(み)遣(や)り乍ら、僕は僕で、思う所が有った。                             
(日記より、続く)

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