幸せの風景(続き)

     日記より27-4「幸せの風景」(続き)      H夕闇

 僕が学生時代に思い描いた成功の図は、文学者だった。文筆を以(も)って生きて行きたいと志(こころざ)した。或(ある)いは、学問を究めたいとも願った。研究対象は、やはり文学だった。やや後に、テレビ・ドラマのシナリオを書きたい、とも思った。小説や論文の文章よりも視聴覚の映像の方が、人々の心と社会に訴える力が有りそうに感じたから。
 テレビ界は最初に脱落し、僕が以(も)って口を糊(のり)した稼業は、教職だった。従って仕事は初め挫折感を伴(ともな)ったが、凝(こ)り性(しょう)の僕は古典や漢文を教える前に先ず自(みずか)ら勉強した。それは半(なか)ば学究生活だった。又、生徒たちへ人生に就(つ)いて伝える方法としては、得意の文章を用(もちい)いた。それが今日この日記となって停年退職後も続きているのだが、元来は藁半紙(わらばんし)のプリントを受け持ちクラスで配る形で始まった。以来、四半世紀になる。
 省(かえり)みれば、僕の初志は(文学も研究も)いつの間にか形を変えつつ叶(かな)えられていた訳である。先月は達成できなかったが、最低でも月に一本の日記作品を(出来(でき)れば二本)自(みずか)らにノルマとして課し、余暇には勉強を楽しむ日々である。己(おのれ)の楽しみの為(ため)の研究だから、学界の評価やら論文の本数やらと云(い)った拘束は全く無い。第一、一通り国文学を渉猟して、今は古今東西へ興味を拡げても文句を言われない。いや、対象は文学にすら限らず、歴史を初め、生命や経済、果ては気候変動や航空事故など。好きなだけ脱線して構わない。(こういうのを学問の自由と云(い)うのじゃあるまいか。学問上の政治的な自由に加えて、学界からの自由。)
 例えば、今は大岡昇平著「ながい旅」を読んで戦後日本の戦犯問題に就(つ)いて学んでいるが、その前はベディエ編「トリスタン・イズー物語」。塩野七生作「黄金のローマ・法王庁の殺人事件」、川上未映子著「君は赤ちゃん」、清水保俊著「機長の決断・日航機墜落の真実」等々。殆(ほとん)ど雑学である。

 タップリ眠れた朝は、気分が良い。と言っても、大概それは二度寝した後である。カーテンの隙間(すきま)から薄明かりが射し込んで(時計を確かめると、)四時になっていたら、幸いである。
 起き出して、先ず手を着けるのは、湯を沸(わ)かすこと。それでインスタント・コーヒーを作る。(末娘から誕生祝いに送られて来た高級なドリップ式は、僕には分に過ぎ、来客に用(もち)いる。)
 つゆ時の今は余り見られないが、朝焼けを仰ぎ乍(なが)らコーヒーを啜(すす)るのが朝一番の楽しみである。
 今年は土手へ草刈り車が来るのが早かった。例年なら、七月も末だ。その作業の期間中ベンチを除(の)けて置かなければ成(な)らなかったが、(従って早朝のコーヒーには折り畳み椅子(いす)が必要になったが、)刈った草の山が運び去られた後、土手へベンチを戻した。これも毎年お盆の頃である。
 一面に生えた杉菜(すぎな)が小さな葉先一つ一つに夜露を宿し、そこへ朝日が射す光景は、実に見事(みごと)だったが、除草作業が済んで、暫(しば)らくは見られまい。でも、代わりに、土手の視界が拡がり、川面(かわも)が広々と見渡せて、爽快(そうかい)な気分だ。流れるともない水鏡は悠々(ゆうゆう)たゆたう。あちらこちらに丸い輪が描かれては、直ちに消え、直ぐに又できる。あめんぼらしい。その小さな円は、間(かん)に髪(はつ)を入(い)れず消えるのだが、やや永く残って然(しか)も波紋を拡げる者も時に有る。鯉(こい)が水中から顔を出して、岸辺の草でも食(は)むらしい。尤(もっと)も、産卵期のように水面から跳(は)ね上がる程の情熱は、もう失せたようだ。
 葦切(よしき)りのギョギョシギョギョシと騒々しい鳴き声に加えて、この所(ところ)太い声を立てるのは、牛(うし)蛙(がえる)だろう。何年か前の夏には、家の直ぐ裏に巣を作ったらしく、毎晩グーグーと鳴いて寝られなかったものだ。(残念なことに、この辺も田(た)ん圃(ぼ)が無くなって、昔いなかで聞いた雨蛙の声は耳にしない。それが妙に懐かしい。)
 考えてみれば、かれらも各自の夢を歌っているのだろう。生命を謳歌(おうか)する願望とも云えようか。
 今年は、桜を始めとして、季節が随分(ずいぶん)と早まった。無論、土手の下の道沿いに伸びる花畑では、ちらほらコスモスも咲いている。散歩に通る保育園の列から「秋の花なのに、どうして今から咲いているんだろうねえ。」と先生が子供たちへ穏やかな口調で話し掛(か)ける声が、本を開く僕の耳へ届いて来た。そよ吹く風のように、それは爽(さわ)やかな響きだった。秋桜と書いてコスモスと読むけれども、実際には未だ寒い春先に芽を出して、最後は凩(こがらし)に震え乍(なが)ら、道を行く人に花を見せてくれるんですよ。
 窓辺で凛(りん)と風鈴が鳴るのも心地(ここち)が良い。移り変わる季節の中で、僕は読み書きを日々ユッタリと満喫している。青春の鬱勃(うつぼつ)たる熱情(パトス)や荒れ狂う自意識とは趣(おもむ)きを異にするが、この落ち着いた自足も幸せの風景ではある。嘗(かつ)てアクセク働いていた頃、こういう暮らしぶりを切に願ったものだ。
 それぞれ自立した子供が連れ合いや幼い孫たちを伴(ともな)って時に訪れるのも、日常のマンネリを破って、楽しい出来事(できごと)だ。尤(もっと)も、妻は後日(腕に撚(よ)りを掛(か)けた分)相当へこたれるけれども。
(日記より)
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私は、やはり、人生をドラマと見做(みな)していた。いや、ドラマを人生と見做していた。(中略)けれども人生は、ドラマではなかった。              (太宰治「東京八景」より)
芸術が私を欺いたのか。私が芸術を欺いたのか。結論。芸術は、私である。
(太宰治「東京八景」より)

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