皮肉について
「皮肉」と聞いて私が思い浮かべるのは、笑いとしての皮肉である。嫌味を含んだ皮肉もあるが、それは少し高みに立っている感じがして嫌いである。笑いとしての皮肉にも嫌味を含んでいることはあるが、それも好みではない。
そこで、嫌味を感じさせない笑いとしての皮肉として、私が第一に挙げたいのは、芸人のラバーガールがYouTubeにあげている次の動画である。
見ていただければ多くの人がわかる通り、この動画はある芸人さんの騒動となった動画のある種のパロディであり、この動画全体を通してその騒動への「皮肉」を伝えている。
だが、この動画から、彼らがその騒動となった芸人さんに対して嫌味を抱いているようにはまったく感じられない。私は、騒動となった芸人さんにもその騒動に対して騒いでいる人たちにも、「そんなことよりおもしろいことしましょうよ」と彼らが言っているようにも感じた。
私は、こんな皮肉を言えるラバーガールが大好きである。
その一方で、最初に述べた通り、嫌味を含んだ皮肉は嫌いである。
先週、あるTV番組で、嫌味を含んだ皮肉に出会った。そのTV番組でジャーナリストIさんが「『このレストランは天下一品だね!』という言葉が、本当は美味しくない、ということを意味している皮肉が最近の若者には伝わらないんです」のようなことを嘆いていた。
この言葉には、二重の皮肉が含まれている。第一に、『このレストランは天下一品だね』という皮肉。第二に、こんな皮肉も通じない、最近の若者に対する皮肉。どちらも嫌味を含んだ皮肉である。
そもそも、このジャーナリストが言っていることはもっともなことなのか、かなりの疑問がある。
「皮肉」とは、あるコミュニティのなかで、ある共通意識が働いていることが大事である。そして、そのコミュニティのなかだけで通じるからこそ皮肉として意味をなすのだと思う。
だから、一昔前の人々のなかで通じていた皮肉を、その時代を生きていない人に理解しろというのはおかしな話である。皮肉ということをまったくわかっていないように思う。
そのTV番組で、芸人のバカリズムさんが、そのジャーナリストIさんの言葉に対して、「それは、テレビでCMの前に『番組はこの後もまだまだ続きます!』って言っているのに本当はすぐ終わってしまうようなことですか?』のような言葉を返して、その場を笑いに包んでいた。
時代の共通意識に敏感でなければいけないジャーナリストよりも阿呆の象徴のように思われている芸人のほうが皮肉について理解できているなんて、まったく「皮肉」な話である。
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