過程が全て

「夢と嘘と認知」
それが自分の中にある人生のテーマだった。
それぐらいしっくりくる、強烈な電気が脳に流れた。
過程が全て。過程を楽しむという。それに全てが成り立つ絶対的な式が、自分を形成する上でこの上なく際限のない言語だ。

前置きはこれぐらいにする。
自分はありとあらゆるものに興味を注ぎ込んでいたし、今もそうだ。
音楽から、映画、歴史、人間の行動原理、進化の流れ、言語の性質
本当にきりがないぐらい止めどない好奇心が溢れてくる。
進化や心理でこの現象を説明するなら「コンプレックスに対する優位性の取得のため」と原動力を表せるだろう。ただ結果としてそう結論付けることができる。ただそれだけなんだ。結果が分かったところでそれだけなんだと。
例えばある実験結果がある。「お金持ちになっても幸せとは限らない」ある収入以上から幸福感は上がらなくなるという統計結果である。だけどそんな結果を知ってもお金が欲しいという欲求は完全には消えない。

誰しもが結果を知っている
「20から老化が始まる」「完全な平等は不可能だ」
「戦争で誰かの大切な人が亡くなった」「夢が叶っても不幸な人はいる」
「いつか人は死ぬし、それに抗えない」
歳を重ねるごとに多くの結果を知るようになる。
それでも今日も明日も生きていく。最後は無駄になると分かっていても生きていく。
音楽で食えるために楽しくなくても音楽をして、その先の結末は何だろう。その先も虚無感やもっとしたい好奇心が止まることはきっとない。
勉強を続けたら、またひとつ、またひとつと新しい疑問が生まれて本当に解放感のある瞬間なんて麻薬よりもきっと短い。それは瞬間瞬間の終了点にあり、ただ自分の決めたラインが終わったら終わったという解放感に浸れるだけで、次の課題がすぐに自分を苦しめる。

結果を見ていたら一生楽しめないんだ。
幸せのために頑張るっていっても、学歴を得た後は?職を手に入れた後は?子供も家も手に入れて次は何に追われて生きるんだろうか。
結果だけを見ることは本当につらく不幸なことである。

判断の基準
それは、その選択をして、それをしてるときに本当に楽しめるかだ。
音楽を作ってる時間が楽しければそれでいい。
読みたい本を読んでその時間が楽しければそれでいい。
効率を気にしてはいけない。ひたすら楽しむことを楽しみ続ける。それだけでいい。本当に楽しむことが原動力にきっとなる。
どんな仕事をしても、その仕事から得た金で人生逆転を狙うより、自分が楽しめるアルバイトを探す。いやアルバイト自体の時間を自分で楽しくする。そういう過程の時間の積み重ねが結果なのだから。順番が逆だったんだ。
『きっとお金持ちに近付くから映像編集と音楽とプログラミングをしよう。マーケティングを学ぼう』いつまで経ってもゴールは見えてこない。お金持ちになんでなりたいかなんて幸せになるためだ。その幸せを決めるのも自分だ。楽しいことをするんだ俺は。過程も楽しく、過程の先に楽しいがあることを選択していくんだ。
麻薬をやってもその過程の延長線上に楽しさはない。ずっと続く楽しさは、「今を楽しむと意識すること」しかない。今楽しめることを考える。その延長線上に生きている。すべては過程で繋がっている。実は結果なんてゴールなんてものはないんだから。

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