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【今でしょ!note#100】心の中で生き続ける高校時代の友人

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

昨年11月に始めたnote毎日連続投稿ですが、本日で早くも100回となりました。
朝起きて、文章を書かないと何となく気持ち悪く感じるようになったこと、一人で文章を書くのを応援してくれる理解ある妻、読んでくれて「スキ」してくれたりフォローしてくれる人の優しさのおかげです。

これからも、ためになったり、ならなかったりする文章をゆるゆると書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします!

さて、毎日連続投稿100日目を迎えた今日は、30歳過ぎて、自分の人生をしっかり生きていかないとな!と、大袈裟でなく「生まれ変わった」きっかけになった話をします。
数年前に33歳という若さで癌で亡くなった高校時代の友人の話です。


高校時代の友人

私は福井県出身で、大学に進学するまでの間、ずっと地元で過ごしました。

亡くなった友人ともその時に同じ高校となり出会い、高校2年生の時にクラスが隣になり、毎日サッカーをするようになってから仲良くなりました。
初見では、その友人はかなりイケメンで、ヤンチャな風貌をしていましたし、小学校からサッカーをしていた彼は身体も丈夫で、怖いという印象がありました。

しかし、共通の友人を通して、毎日一緒にサッカーをするようになってからは、見た目のとっつきにくさと、彼の優しい性格とのギャップにすごいいい奴だな、と感じるようになり、一度も同じクラスになったりすることはありませんでしたが、毎日話さない日はないくらい親しい仲となりました。

その後、それぞれ違う大学に進学しましたが、同じ関西方面の大学であったことから、1年に1回くらいは継続的に会い、仕事を始めてからも、同じ東京に出てきたこともあり、1年に2〜3回はフットサルの大会に出たりして、継続的に会っていました。

私は友達の数は少なく、ましてや高校時代から継続的に親しい友人は数名程度しかいませんが、会えば高校の時のように変わらず話して一緒に飲みに行ったりする貴重な友達でした。

突然の別れ

そんな彼が亡くなったのは、今から3年前です。
彼は33歳という若さでこの世を去ったわけですが、あまりに急な話でした。

共通の友人から夜に電話が入っていたのですが、その日は気付かず、次の日の朝に折り返したところ、「その友人のお母さんから連絡があり、癌がかなり進行しており既に危篤状態で今日1日命が持つかどうか分からない」という連絡でした。
そして、その日の昼頃に亡くなった旨の連絡を受け、何と言って良いか分かりませんでしたが、とにかく涙が止まりませんでした。

彼に最後に会ったのは、その2年ほど前で、連絡をくれた友人と3人で富山旅行に行った時です。
その時も確かに足が痛いと言って、多少引きずって歩いていたのですが、癌であることなど全く感じませんでした。

友人は、その数年前に、「足に癌ができた」ということで、それを機に同じ高校時代の仲間で一緒にフットサルをする機会がなくなりましたが、手術をして完治したと聞いていたのですが、その後遺症で歩きにくいと言っていました。

富山には2泊3日しましたが、普通に一緒に温泉に入ったり、車で海沿いのカフェで話したりと、いつも通り、ふざけた話やたまに真面目な話をして過ごしました。

しかし、後に友人のお母さんに聞いた話では、富山旅行に行った時には、癌が足から肺に転移していて、既に余命1年程度、という診断が出ていたとのことでした。
そして、毎日薬を飲んだりしながら、余命1年を生き抜き「1年生き抜いてやったぞ!」と嬉しそうにお母さんに話していたそうです。
その後も1日1日を過ごす中で「今日も生き抜いたぞ!」と嬉しそうに話していたとのこと。

彼のおじいちゃんも昔癌になったそうですが、治らないと言われていたのを奇跡的に直した話をいつも持ち出して、「おれも治るから」と心から信じていました。
結果的に、余命1年と宣告されてから、確か2年近く生き抜くことができました。

常にやりたいことに溢れていた友人

彼はイケメンかつ優しく、社会人になってからも、年に1回は必ずご両親を旅行に連れて行ったとのことでした。
旅行だけでなく、ご両親に美味いものを食べさせたいということで、よく一緒に食事にも行ったそうです。

そんな彼は、大学時代にはロースクールに通い、そのまま法律関係の仕事に就くかと思いきや、「これからは映画の時代だ」と言い出し、映画関連の就職先の入社試験を受けていました。

しかし、「やはり映画は違った」ということで、最終的には東京都庁で働くことになったのですが、東京オリンピック前の様々な調整にあたっていました。
あの勢いだと「次は政治だ」と言い出して、選挙に出たりと、さらに活動の幅を広げていたと思います。
とにかく、会うたびに「ゆうじ(高校時代の私のあだ名)、次は○○がくるぞ」と言い、目を輝かせながら、なぜその業界が熱いのか、ということを熱心に話してくれました。

彼は、常に新しいものに興味と好奇心を持ち、その業界の人に会いに行ったり積極的に行動しており、よく次から次へとやりたいことが出てくるな、と感心していました。

会いたい人には、会える時に会っておく

当時はコロナ禍真っ最中で、亡くなった連絡を受けたのですが、病院での面会はできませんでした。
しかし、彼のご遺体が福井の実家に運ばれ、葬式までの間に「よかったら会いにきてやってください」とお母さんが言ってくれて、友人たちとすぐに実家に駆けつけました。

亡くなった友人の姿を見たのは、私の人生ではその時が初めてです。

かなり痩せ細っていましたが、表情は鋭く、「まだ生き抜いてやる」と言わんばかりでした。亡くなる1週間前まで、普通に仕事をしていたとのこと。
熱が上がり調子が悪くなったということで入院し、そのまま意識がなくなり、1週間後に亡くなりました。

一人目の子どもが生まれたときにLineで連絡したら「ゆうじもお疲れさま」と返信してくれた友人。亡くなる3ヶ月前のことです。

最近会ってなかったので「久しぶりに会おう!」と言おうかと思っていたところでの急な別れでした。
改めて感じたのは「会いたい人には絶対に会えるうちに会っておいたほうがよい」ということ。
じいちゃん、ばあちゃん、父さん、母さんが生きてるうちに、あと何回福井に帰れるかなぁ。

そして、たまたま自分はこれまで大きな病気をせず、ここまで生きてこれましたが、いま自分が生きている今日という1日は、亡くなった友人が「今日も生き抜いてやったぞ!」と喜んでいたはずの貴重な1日なのです。

葬式の日、東京の空を見上げると「おい、ゆうじ!しっかり生きていけよ!」という友人の表情が浮かびました。
そして、池袋のカラオケで一緒に歌った星野源さんのCrazy Crazyが頭の中を流れ出しました。

おはよう始めよう 一秒前は死んだ
無常の世界で やりたいことは何だ
愛しいものは雲の上さ
意味も闇もない夢を見せて

星野源さん Crazy Crazyより  

無限にやりたいことが生まれて、死が迫り来るのを感じながらも、明るく振る舞っていた友人。
何か落ち込むことがあっても、空から「おいゆうじ、しっかりしろよ!」と言われている気がします。

彼は、私の心の中で確実に生き続けています。
いつも見られてる気がするので、怒られないようにしっかり毎日生きていきます。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!

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