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【今でしょ!note#101】文系と理系を分けるのは何故か

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

先日の日経の記事で「理系か文系か」やめませんか、というタイトルの記事がありました。

私は日経の有料会員も解約してしまっているので全文は読めないのですが、タイトルを見て、最近学校関係者の方と話していてちょうど感じていたことと合致しました。

文系と理系を分ける考え方は、「私は文系だから数学が苦手」とか「男性は理系、女性は文系」みたいな大雑把な分類学の話になりがちで、ネガティブにしか働かないと考えています。
あまり「文理両方得意です」とか聞かないですよね。

そこで、文系と理系を分けることには、私自身はあまり意味を感じていないものの、なぜここまで「文系」と「理系」の違いにみんな拘っているのか?という点が気になりまして、調べてみたことをベースに踏み込んでいきたいと思います。


文系と理系が分かれたのは何故か

名古屋大学教授の隠岐さや香さんは、「文系と理系はなぜ分かれたのか」という本を書かれています。

ちょうどこの本の内容にも触れながら、隠岐さんが解説されているYoutubeを見て勉強してみました。

「文系」と「理系」は、海外でも分かれているのか

まず、「文系」と「理系」を分ける考え方について、海外ではどうなのか?ということに触れられています。
日本のように「文系」「理系」という形で、強く明確に分けられている訳ではありませんが、ふわっとしたレベルでは違いが存在するとのこと。

例えば、アメリカやイギリスでは、学部ごとに求める科目が違っており、フランスでは最近まで文学・社会科学・自然科学の3つに分類されていました。
中国は、日本と同じように文系か理系か、という分け方のようです。

そして、社会に出て仕事を始めるときに、エンジニア職には 文学部や経済学部ではなりにくかったり、事務職は文系の人が多いといった傾向は、日本以外にも存在しているとのことです。

そもそも「文理」の分け方にも色々あるようで、「数学を使うか使わないか」といういい加減なものもあれば、「自然を扱う学部、人間と社会を扱う学部」のような分け方もあり、後者は19世紀末のドイツで盛んに議論されていて、現在は各国において、強い説得力を持つ分け方となっています。

世界共通の分け方としては、「自然科学」「社会科学」「人文科学」の3つになります。

自然科学:自然界に存在する対象についての諸学(自然科学)とそれを社会に役立てる領域(工学、医学)など
社会科学:社会に存在する対象についての諸学(経済学、社会学、法学、歴史学など)
人文科学:主に人間の文化的表現を対象にする諸学(思想、文学、社会学、歴史学など)

このうち、自然科学と社会科学を「理系」、人文科学を「文系」と呼んでみたり、国によっては、前者をScience、後者をArtと呼んでいます。国や文化圏により、この辺りは多少異なりますが、何となく2つに分けたい考え方自体は、世界中にあるようです

文系と理系の歴史

文系と理系の歴史は、諸学の分岐と分類の歴史です。

紀元前6世紀はじめにギリシア哲学が誕生し、しばらく学問は「哲学」のみの時代が続きました。これが、17世紀ごろから自然哲学と道徳哲学に分かれ、現在の自然科学・社会科学・人文科学へと分岐していきます。

「文系」「理系」という区分けは、最近できたもののように感じますが、知恵や知識として、そもそも「文系的なもの」と「理系的なもの」が異なるという考え方自体は、古代ギリシアの哲学者も指摘しています。

一方で、12〜18世紀の中世以来(日本では鎌倉〜江戸時代あたり)の大学組織では、文系学部・理系学部は存在していませんでした。
このあたりが、人々が感じていた文系的なものと理系的なものが存在するという感覚と、大学の実態がずれていた点です。

思想家が「自然」と「人間」を区別したがり、それまで一本だった「哲学」を「神に関する哲学」、「自然に関する哲学」、「人間に関する哲学」に分け始めたのが、初学の分岐の始まりとなっています。

19世紀後半になると、「工学」の大学への統合が始まります。
もともと工学は、職人が手を汚して何かを作るものというように社会的に低く見られていたため、大学で学ぶことはできませんでした(工学部がなかった)。

転機は、産業革命です。

1840年にイギリスで工学講座が設置され、日本でも1886年に帝国大学工科大学(現:東大工学部)が誕生しました。

明治維新直後の日本は、とにかく街を作りたがっていましたから、土木事業の専門家を早く育てたく工学部を大事にします。

日本では、近代化を進める人材育成が大学創設の背景にあり、法学・工学の人材を早く育てることを目的だったので、文系と理系を早い段階から分ける教育を続けてきた、というのが、文系と理系が大学で分かれている背景となります。

結果として、大学進学前の高校生の時期に「文系」と「理系」の選択を迫られる、という現在の教育状況となっています。

文系と理系の区分けは必要なのか

これまで見てきたように、文系と理系は、自然発生的にやむを得ず起きた違いと人為的な制度によって強化された違いがあります。

現実社会は、文系と理系の両方必要なわけですが、この区分けはどこまで必要なのでしょうか?

かなり昔から知恵や知識には違うタイプがあることが気付かれており、分析の対象をある程度分類、分解しないと正確な理解が難しいという考え方から、一定レベルでの細分化が必要になっている状況は理解できます。

一方で、20世紀末から、目覚ましい「総合系」学問の発展と分野全体の増加があり、次第にうまく分類できなくなっているのも事実です。
情報学、環境学、脳科学、地理学、生活科学、スポーツ科学など、文系と理系両方の考え方を使用する学問が増えてきて、綺麗に文系と理系を二分することに無理が生じてきました。

私が大学に入ったときには「文理融合学部」がある学校もありましたが、かなりサブ的なポジションに位置付けられていた印象があります。

それが近年では、動画でも解説されている通り、マイナビ進学の文理選択の解説ページでは「文理融合学部」が真ん中に堂々と配置されるようになりました。

https://shingaku.mynavi.jp/cnt/etc/column00/article/study/index_1.html

また、かつては大学1年、2年生を対象にしていた「教養教育(文系・理系含む色々な内容)」も、最近では3年、4年生になっても扱うことが多いみたいです。

大学の出口として存在している社会課題が複雑化し、かつてより文系のみで解ける問い、理系のみで解ける問いがなくなってきているので、これは当然の流れと言えるでしょう。

コロナ禍における議論においても、経済学の立場では「経済回すことを優先」となるし、医学の立場では「人流抑えることを優先」となります。

さて、「文理の区分けは必要なのか」という問いに対しては、一定の専門性を深めるには社会的な役割分担が必要という観点と、様々な学問の種類が増えている中で、人間が理解できるくらいの数で分類を持つという観点では、あったほうがよいのでは?という結論に至りました。

はじめは、「文系と理系を分けるのは時代遅れ」という趣旨でまとめようと思ってましたが、調べるうちにそう単純な話ではないのだなと。

一方で、日本の課題として、「文系と理系の分断が強い」、「女性は文系、男性は理系」といった押し付けに近い雰囲気があり、個人の感性や興味に応じた自由な選択ができないことがあります。

「文理を分けるか否か」というよりも、様々な学問や業界をいかにクロスさせるか、コラボレーションを発生させるか、というところに論点を移すことが、より大切な議論だと考えています。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!

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