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久米正雄作品を読む-良友悪友

久米正雄全集読破チャレンジ中。
久米が遊蕩生活を送っていた頃の話が「良友悪友」に描かれている。
1919年1月に実際にあった出来事をモデルにした短編小説で、1919年10月に「文章世界」に掲載された。(「和霊」に書かれたのと同じ頃の話で、久米が流行性感冒にかかった前月の出来事になる)

あらすじ:
私は三土会(文士の集まり)で、最近の生活ぶりについて非難を受ける。帰る気をなくして赤坂の待合に行くと、里見弴、吉井勇、田中純の悪友らがいて飲みなおす。三土会で会った友人らを思い出したところ、「君は幸福だ。そういった友達を持っているだけでも羨ましい」と言われ、涙ぐむ。

シンプルな話なのだが、友人関係が分かる話で好きだ。
以前見た文学館の展示で、スペイン風邪の予防にマスクをする良友派(芥川、久米、菊池)とマスクをしない悪友派、という文壇漫画が紹介されていた。「良友悪友」の中の登場人物はイニシャルのみでモデル人物は明確には書かれていないが、当時の人も人間関係を把握して読んでいることが分かる。
ちなみに、悪友派の棟梁である里見は襟巻に鼻先を埋めてマスク代用としていた、ということらしい。
 
遊んでいる久米に対して、芥川は以下のように苦言を呈する。

僕らのために、いや僕自身のために君が遊蕩をやめて呉れたらいゝと思つてるんだ。君があの連中と一緒に遊び廻つてゐて、いつ行つてもゐないのみか自ら書かないやうにでもなると、僕は非常に淋しい気がするんだ。君がいつ行つてみても、あの机の前に坐つてゐて、猛然と書いてゐて呉れると、僕はどんなに心強いか、どんなに刺戟を受けるか知れないんだ。僕は君の荒すさむ事が、君自身に取つてよりも僕自身に取つて淋しいんだ。

青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/001151/files/43553_24349.html)

荒んでいる時に、うまくいっている人間からこんな風に言われたら、いくら正しいことでも反感を持ってしまうことは分かる。
芥川の言うことを真っ直ぐに受け取ると、
●(家に)いつ行っても君がいない、書いていないことが淋しい
● 君が書いてくれていると自分にとっても刺激になる
つまり、一緒に小説を書いてほしい、というだけだ。
 
この時の芥川の忠告について久米は自身に対する侮蔑と受け取ってしまうのだけれど、僕自身のために遊蕩をやめてくれという言葉は、そのままの意味だったのではないか。
 
久米は一高時代には俳人として名をはせ、新思潮発行の前にも万朝報主催の学生徒歩旅行で紀行文を書くなど文学との関わりは芥川より早かった。その後を追うように芥川も文学を志すようになり、二人は共に作家を目指し競い合って書いていた。
また、久米が菊池の誘いで新聞小説(通俗小説と呼ばれるようなもの)を書くことに芥川は強く反対していた。(菊池寛「神の如く弱し」で描かれている)
そうしたことからも、芥川は「共に小説を書く」久米との関係を大事にしていたのではと思う。
 
ギスギスした関係を読む辛さもあるけれど、彼らはずっと友人だった。
悪友の面々との会話もおもしろい作品。

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