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同情でもなんでもいいから「人に話しかける」と、誰かの人生が激烈に変わることがある

「ママっていじめられたことある?」

12月の週末、子供の遊戯場で大きなお風呂くらいのサイズのトランポリンを必死に跳んでいる私に、同じく必死で跳んでいる第三子のS君が問いかけた。

「え、どうして?」

「いじめってどんなのかなって思って」

暑がりなS君(6歳)は12月だというのにシャツを脱いでタンクトップ姿。ママとトランポリンに興じる姿は昭和によくいた健康的な幼児だが、すぐ彼の思っていることがわかった。

もうすぐ小学生になる彼の関心は最近「小学校はどんなところなんだろう」だ。「給食ってどんなの?食べられなかったらどうするの?」と上の兄弟に聞いたりしていた。

そしてそこにあるらしい「いじめ」が気になったのだろう。

私は記憶を振り返った。自分の記憶の中の小学生時代。

「ママが小学生の頃は、運動も得意じゃなかったし、いじめられたことあったなあ」

「どんなふうに?」

「ドッチボールに参加してたのね。休み時間が終わって教室に帰ろうとするとき、いつもボールを校庭にポーンって投げられて、『取ってこい』って言われてた。今思うと、あれはいじめだった気がする」

「それでどうしたの」

「三回くらいは取りに行ったけど、そこからはもうやめた。ドッジボールもしなくなった」

「他には?」

「鬼ごっこの鬼をいつもやらされたり・・・。でもそんなだし、足も遅いから、誰も捕まえずにテロテロ歩いてたら、鬼ごっこにも誘われなくなった」

「それでどうしたの」

「ちょうどその頃、小学四年生の頃、転校することになったから、ちょうどよかった」

「転校」

「違う小学校に通い始めるの。みーんな知らない同級生で、もちろん友達作るのなんかママ上手くないから、ずっと机で絵を描いてたの。そしたら『うまいね』って、『絵が好きなの?』って話しかけてくれる子がいて、友達ができたの」

「前の小学校よりいっぱいできた?」

「前の小学校ではせいぜい1人だったけど、新しい小学校では5人くらいできたよ」

S君は明らかにホッとした顔をしていた。

トランポリンから出て、「フリスビーしよう」と言ってくる長男Rくん(8歳)と、全然思うところに投げられなくてワタワタしながらフリスビーをしていたら、S君がまたタンクトップのまま汗だくで飛んできて私に聞いた。

「いじめられたらどうしたらいいの?転校したらいいの?」

ちょっと言葉に困って、またフリスビーをとんでもないところに投げてしまった。R君は文句も言わずに取りに行く。S君は笑いながら、でも眉毛を下げたまま私の顔を見る。

そう簡単に転校なんてできない。

一回悪い方向にクラスの中で位置が決まってしまった時、子供はどうしたらいいんだろう。

自分も転校前の学校で、机に着いて絵ばっかり描いていたのだ。

それで強烈ではないにしてもいじめが起こったのだ。

転校する前と後で、違ったのはなんだったんだろう?

大人になってからの同窓会で、転校後の小学校で私に最初に声をかけてくれてくれた子と話したときのことを思い出した。

「転校生が、一人で黙々と絵を描いてるから、可哀想だと思って話しかけたんだよね。あの時」

そんなふうに20歳の彼女は言った。

私はちょっとだけ絵が得意なくらいで、それほどうまかったわけじゃない。

絵のうまさが彼女の関心を引いたわけではない。

そこにあったのは「かわいそうだな」という気持ちだ。

「かわいそうだな」という気持ちは、上から目線の同情に取られてしまうのだろうけど、

でもそれでも、彼女のその時の「絵、うまいね」は私を救ったし、なんなら人生を変えたし、その言葉なしに、それからの彼女との日々なしに、漫画家になれていたとはとても思えないのだ。

「いじめられなくなる方法は、ママにもわからないんだけど」

「うん」

「S君には、誰かに話しかけられる人になってほしいなって思うよ。『何してるの?』『それかっこいいね』『何かしたいことある?』『一緒に遊んでいい?』って、そういうふうに人に話しかけられる子になってほしいよ」

「話しかけるの?できるかなあ?」

「S君今ママに話しかけてるじゃん。ママの話を聞き出してくれるのS君すごく上手だよ」

「いじめってどんなのだろ?って?それでどうしたの?って?」

「そう。そういうんでいいの。S君が人に優しく話しかけられる男の子になったら、いじめも減るし、きっといじめられないよ。ママもそういう子に助けられたよ。」

とことん受け身で、絵ばっかり描いて、話しかけられるのを待っているだけだった小学生時代。

そんな自分に声をかけてくれた子がいたこと、それは決して当然ではなくて、強い幸運で、そしてその幸運は人がコントロールできるものなのだ。

「話しかける」

人に関心を持つこと、できることはないかな、と思いながら生きること。

それが少しもできてなかった自分を思い返しながら、今やっと言葉にできる。

「一人でいる人に、話しかけられる人になってね」

自分にも、子供たちにも、これはずっと言葉にして意識し続けていきたいな、と思いながら、1時間。フリスビーが少し上手くなるまで投げ続けた日曜の昼下がり。

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