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どうすれば幸せになれるのか、自分の人生でケーススタディしたら、2つの真理が見つかりました。

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かなりイケイケな状態からどん底まで落ちるという経験をしたことがきっかけで、

ここ5年くらい、「幸せ」について考えることがライフワークになっていまして、今までも何度もブログなどで、幸せという"もやもやしたもの"を言語化し考察してきました。


やはり皆さん「どうすれば幸せになれるのか?」を知りたいと思っているのか、とてもありがたいことに今まで何万人もの読者の方に読んでいただけてとても反響があったのですが、

今回はその考察の「集大成」(約13000字)を書かせていただけたらなと思っています。


そして、

やっと"答えらしきもの"を見付けることができました。


今すぐにでもその結論をお話したいのですが、そうすると少しわかりにくくなってしまうので、

人が幸せに生きることを科学的に追求する学問である「ポジティブ心理学」の重要な概念や研究をいくつかご紹介しながら、

具体例として僕の人生でケーススタディしていきたいと思っていますので、

まずは長くなりますが僕の過去の話から始めさせてください。


「〝夢を叶えた〟後に知ることとなった、たった一つの残念なこと」という話を。



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僕は大学生の頃、夢を叶えたことがありました。

詳しくは「28年間生きてきて最も幸せだった日が教えてくれた、人生で必要な2つのこと」を読んでいただけたら嬉しいのですが、

簡単にお話しますと、

僕は高校生の頃、やりたいことは何も無く、毎日鬱屈とした灰色の日々を送っていました。

部活も勉強もしていなかったので膨大な時間だけが目の前に横たわり、何かしたいんだけど何をしたらいいのかわからず、これじゃない感が半端じゃありませんでした。

目の前のことに熱中している人や人生懸けて努力している姿を見かける度に、羨望と嫉妬でとても苦しかったです。


そんな中、ひょんなきっかけで「慶應に行きたい」という目標ができ、その入試科目の小論文を通じて、書くことに目覚め、本を出したいと思うようになっていきました。

そして、大学に入学してすぐに「出版甲子園」という存在を知ります。

出版甲子園とは、自分で企画を考え書き、厳選なる複数回の審査を通過し、決勝戦まで勝ち進むことができれば、

集英社、講談社、小学館といった大手出版社から、ダイヤモンド社やDiscover21といったビジネス系の出版社まで、そうそうたる面々である編集者の前でプレゼンすることができ、そこで編集者の目にとまれば出版することができるという、

いわば、本を出したいと思っているがその出し方がまるでわからなかった二十歳の僕にとって、まさにうってつけの夢のような話でした。


大学1年生の時にこの決勝戦を見に行ったのですが、出場者がプレゼンしている姿は本当にかっこよく、僕もこんな大学生になれたらどんなに幸せだろうか、と強く強く思いました。

それから4年間、大学生活はほぼ本を読むことと書くことに費やし、大学5年生のときに僕はついに準グランプリを受賞することができたのでした。


気付いたら、二十歳の頃に憧れていた理想の大学生になれていたのです!



……

………

…………

……………

ところが、です。

当時、憧れていた姿になった24歳の僕は幸せになれていたのでしょうか?

毎日ハッピーに悩むことなく過ごしていたでしょうか?



答えは、否、でした。



もちろん夢を叶えた直後はすごく嬉しくて、本当に夢見心地でした。

「これが夢を叶えるってことなのか……!」

初めてできた夢、そしてそれを達成できた喜びは未だに強く覚えているほどです。


しかし、しばらくして、体中から血の気が引いていくかのように、僕の内から充足感が無くなっていったことに気付きました。

夢を叶えたことに対する幸福感が持続しなかったのです。

燃え尽き症候群はよくある話ですが、1年以上経ってもこの憂鬱な気分は続きました。

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この先どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまっていたのです。

完全に目標を見失い……いや、正確に言うと、もう自分の将来が見えてしまった。

それまでは作家になれるかなんてわからず、がむしゃらに自分で道を作りながらやってきたのですが、受賞後、担当の編集者が付き、もうあとはこのレールに沿って進んでいくことになるんだろうなぁともう未来が見えてしまった。


この時、「未来が見えないことよりも、未来が見えてしまうことの方が辛い」ということを知りました。

あとはこのレールに沿って行くだけなので、もしかしたら「仮にベストセラーを出せたとしても、もう今まで以上に楽しいことはこの先ないのかもしれない」と本気で思っていました。

良くも悪くも、24歳の今もう死んでしまっても別にいいかなぁくらいの感覚でした。
(「まぁまだ本も出してないし、本を出すまでは最低でも生きないとな」と当時は思っていましたが)


自分より一回りも二回りも年の離れた大先輩に、


「今こうこうこういう状況なのですが、もうこれ以上楽しいことってないんですかね?」

「僕のこれからの人生ってもう惰性でしかないんですか?」

「もう二度とあのヒリヒリとしたワクワク感は味わうことができないんですかね?」


と本気で相談したことも何度もありました。

「そんなことはないわよ。男は40歳からだから」なんて言われましたが、それにもいまいちピンとこず、、、


その時、初めて「夢を叶えるとは、実はそんなに良いものではないのではないだろうか?」と考えるようになっていきました。

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「夢と現実」
「理想と現実」

なんて言葉がありますが、

夢とはいわば理想の状態のことを指します。

理想な状態を10として、現実は5くらいだとしましょう。

「理想な状態が、現実になった」とき、これが「夢を叶えた」ということです。

つまり、夢を叶えることで、理想な状態(10)が、現実(5)になるので、言ってしまえば10→5に状態としては低下しているわけです。

「夢を叶える」とは、理想が現実になることであり、裏返すと「幻滅する」ということでもあったのです。


例えば、具体例として適切ではないので不愉快な気持ちになってしまう女性の方がいたら本当に申し訳ないのですが、

これは、「初めてのセックス」と近い感覚だと思いました。

たいていの童貞男子は初めてのセックスを恋い焦がれています。

女子の胸はどんなに柔らかく、どんなに気持ちいいものなんだろうかと、中学生くらいから夢見始めます。


しかし、実際にセックスをしてみると、よくある感想は

「なんだ、こんなものか」

です。


思ってたより気持ち良くないな、なんだったら一人でやってた方が気持ちいいじゃねぇか、と。

もちろん、全員がそんなことを言うわけではありませんが、

男子は初めてセックスすることで、ある意味、夢を叶えるわけですが、そんな初めてのセックスに幻滅する人が多いと聞きます。

夢を叶えることで前よりも空虚な気分になってしまうのです。

それはセックスをすることが日常になってしまったからであり、 夢を叶えること自体が実はそんなに良いことではないというのはそういう理由です。



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さて、そういうこともあり、受賞後、強く思ったことは、

「夢を叶える前の何者でもない、でも夢と夢を語り合える友達と、膨大に横たわる時間しかなかったあの頃の方が楽しかった」

ということでした。

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夢を叶える前は「もし夢を叶えることができたら、なんて幸せな人生が待っているんだろう」と思っていたのに、です。


今から12年前、慶應義塾大学・文学部の入試の前日の記憶がふと甦りました。

立場はまるで違えど、僕とまったく同じことを言っている人がいたからです。

僕は「夢は叶えるため、明日の慶應の入試に絶対に合格して、東京へ上京してやるからな!!!!」

と麻布十番のホテルで一人ご飯を食べていると、テレビからこんなインタビューが飛び込んできました。

(企業名がどうしても思い出せなかったのですが)ある中国(?)の誰もが知っているような億万長者のCEOの方でした。


「正直、今は使っても使っても使いきれないほどのお金を手にし、あらゆる人が寄ってくるようになった。今では叶えられないこともほとんど無くなった。しかし、それでも地位も名誉もお金も何もなかったあの頃の方が楽しかった」


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僕はずっと勘違いしていたのでした。

夢を叶えれば、
目標を達成することができれば、

幸せになれる

と。


高校生の頃だと「慶應に合格できれば」、大学生の頃だと「在学中に出版の賞を受賞することができれば」、社会人になってからだと(これはまだ達成できていませんが)「ミリオンセラーを出すことができれば」、幸せになれると思っていました。

実際にそう強く思っていたので、そのためにそれなりに努力もしてきました。

第一希望の大学に入学し、第一志望の企業に内定し、在学中に賞を受賞することもできました。

危うげながらなんだかんだずっと第一志望の人生を歩んできましたが、その結果、想像していたものとはまるで違っていました。


これは

「いい大学に入って、大企業に就職すれば幸せになれる」

と言っていることと同じことなんですよね。


「いい大学に入って、大企業に就職すれば幸せになれる」


↑↑
文章で書くと、これがおかしいってことすぐにわかりますよね。

これを信じている人ってもういないと思うんですよ。


でも昔の僕はそう信じてしまっていた。


つまり、

「成功すれば、幸せになれる」

と思っていたのです。



しかし、本当は、幸福とは到達点ではありませんでした。

夢は達成することよりも、それを持つことの方が重要だったのです。


夢を実現できなくても、夢に向かってただ努力しているだけで、人は幸福度が上がるという研究結果があります。

その研究からわかったことは、目標を追求すれば幸せになれるかどうかは、その過程を楽しめるかどうかであって、最終目標(夢)の達成ではないということでした。

「幸せ」への道は、目標を達成することにではなく、「目標を追求するプロセス」にあったのです。

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「いかに夢への途中を楽しむことができるか」


これこそが最も重要なことであり、


「成功すれば、幸せになれる」

ではなく

「幸せだから、成功する」

だったのです。




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今、これを読んでいる人で、順調に夢を叶えていっている人がいるかもしれませんが、そんな人はここは読み飛ばしてもらっていいのですが、

もしかしたら"夢の途中"で苦しんでいる方がいるかもしれません。

また、夢を諦めざるを得なくなり、この熾烈なデッドレースからもう降りてしまった人もいるかもしれません。


何も成していない僕みたいなものが何をえらそうにと思うかもしれませんが、そんな方々にささやかながら伝えたいことは、


「夢を叶えていない人生は、何の輝きもない人生、なんてことはない」


ということです。

今、あなたが輝いているかどうかは、成功しているかどうかや夢を叶えたかどうかとは無関係です。

もちろん、夢を叶えていっている人はキラキラして見えるかもしれませんが、それでも、

あなたが一番輝いているのは、成功を手に入れた瞬間ではなく、やりたいことに夢中になり、脇目もふらず努力している瞬間です。


夢を叶えられなかったら、輝きを失う?


そんなことはありえません。

夢へと向かって突き進んでいるあなたの姿は誰よりも輝きをはなっています。

成功者から見れば、脇目もふらず頑張っているあなたの方が輝いて見えるのです。

誰にも知られていなかろうが、目の前のことに没頭している時ほど楽しい瞬間はありません。


だからこそ、何より大事なことは「夢への途中を楽しむ」ということです。

卑屈になるのではない。

誰かに嫉妬し、落とし入れてやろうとすることでもない。

ただただ夢への途中も楽しむこと。

夢を持っている人は、それだけで幸せなことであり、輝きに満ちているのです。


それは、たとえ叶わなくても、です。

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(ちなみに、数年前やっと気付きましたが、先ほどの億万長者の発言は残酷な真実であり、真っ赤な嘘でもありました。

嘘とはどういうことかと言うと、この経営者みたいに、とんでもない成功者だとしても「あの頃の方が楽しかった」と思う人は一定数存在しますが、一方で「今が一番楽しい!!!」と言う人もまた一定数存在していたからです。


この2種類の人間は何が違うのでしょうか?


できれば後者であり続けたいですよね。

成功者や著名人のインタビューを読み耽ることで、僕はやっとの思いで後者でい続けるための、

「人生を死ぬまで楽しみ尽くす方法」

をついに見付けることができました。

本筋から外れるので、詳しくはまたいずれどこかで書こうと思いますが、


それは

「自分で自分の人生にリセットボタンを押すこと」

です。


過去の成功体験を全て捨てさり、今までやったことなかった分野で新しく挑戦をする。

これが「今が一番楽しい!!!」と人生を死ぬまで楽しみ尽くすための最善の方法です。)



(僕は幼少時代、挫折多き人生で辛酸をなめて生きてきたということもあり、24歳まで「努力で天才に打ち勝つ」が人生最大のテーマだったのですが、天才に打ち勝つこと自体は何の意味もなかったことに気が付きました。

だから今は「努力して天才に挑み続ける」が今の僕の人生のコンセプトです。

挑み続けるってところがポイントですね。挑み続けるためには常に負けていないといけません。勝ち始めたら、ちゃんと負けるところへいこうと思っています。その方が生きていて抜群に楽しいので。生きてるぅうううう!って感じがします。もう死んだように生きたくないので。


夢を叶えるまでの道のりこそが最良の瞬間だったのです。)

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さて、ここまで僕の話を聞いてくださり本当にありがとうございます。

いつもならここで文章を終えているのですが、今回、僕が今まで考えてきた〝幸せ〟についての「集大成」となる記事を作りたいと思っているのと、

「どうすれば幸せになれるのか?」

をまだしっかりとはお話できていないですし、

先ほど「夢への過程を楽しむことが大事」と書きましたが、それができないから大変なんじゃないかと言う人もいるかもしれません。

なので、前置きがかなり長くなりましたが、ここからが伝えたいことの残り半分、今回の記事の本題となります。


これまで僕の過去の話をしてきましたが、

「じゃあお前今はどうなんだ、ちゃんと成功してんのか、過去の栄光の話とかどうでもいいから今の状況を教えろや」

となると思いますので、まずは現状の話から再開とさせていただきます。


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24歳の頃に夢を叶え、初めて担当の編集者がついてからはや7年。

先ほど、自分の将来が見えてしまったうんぬんかんぬん言っておきながら、

これは書くのも憚られるくらい本当に恥ずかしい話なのですが、


未だに僕はデビューできていません。


7年経ってなお、現状、くすぶったまま、いわゆる下積み生活を続けています。


受賞後についた担当編集者は早々に連絡が途絶え、また、将来が見えてしまうことで目標を見失った僕はそれ以降しばらくやることなすこと全て失敗し、そして、体調を大きく崩し、どん底まで落ちました。

詳しくは書きませんが、まさかの地獄が待っていたのです。


奇しくも、そのおかげで再び夢を叶えていない状態に逆戻りすることができたのですが(新しい夢を見付けたとも言い換えることもできますが)、

しかし、しばらくして、先ほどの中国人億万長者の話を思い出して、ここでこう思います。


「自分は社会の底辺にいる何の生きる価値もない存在だと思っていたけれど、もしかしたら今の自分は一番幸せで楽しい時期なのではないか?」

「ということは夢を叶えていない状況でも幸せになれるってこと?」


こう思いました。

だって、そうですよね。数々の成功者たちが何者でもなかったあの頃の方が楽しかったって言ってるんだもの。

それって俺にとって今じゃん。完全に今じゃん

と。


失敗続きだった20代半ばから後半にかけて、僕は今が一番人生で辛い時期だと思っていましたが、

よくよく考えたら、10年後に振り返ったとき、やはり「あの頃が一番楽しかった」と答えるのではないだろうか

そう思ったのです。


すると驚くべきことに、状況は何一つ変わっていないにも関わらず、急に幸福度は上がっていきました。

なぜなら、10年後振り返ったとき「あの頃が一番楽しかった」と思うなら、「人生終わった」なんて思う必要はこれっぽっちもなく、むしろ楽しまないともったいないと思ったからです。

今が一番辛いと思っていたけれど、もしかしたら今が一番楽しい時期なんだと思えた瞬間、それからというもの毎日がハッピーになれたのです!


「うぉおおおおおお」


僕の中で、パラダイムシフトが起きた瞬間でした。


言葉にするとバカみたいですが、まるでこの世界の秘密をこっそり教えてもらったかのようでとても興奮しました。

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僕の好きな言葉に「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇である」というチャップリンの言葉があるのですが、

まさにこれで、辛いことでもひいて見ると意外と笑えるということもあるのです。


もちろん〝ミリオンセラーを出すこと〟はまったくもって諦めてはいませんし、まだまだ志半ばにもほどがあるわってくらい半ばなので、まだまだ死ねませんが、

このとき気づきます。


夢を叶える叶えないに関係なく、今がどんなに辛い状況であったとしても、考え方次第で、

「人は今この瞬間から幸せになれる」


そして、

大事なのは、事実がどうであるかではなく、


「自分が世界をどう認識するか」


といった心のあり方だったのです。


幸せに生きるということは、充実した今を楽しむということです。

そしてどんな状況であったとしても、その今を楽しむためには、「自分が世界をどう認識するか」がとても重要になります。

世界とは、その人が世界をどのように主観的に把握しているかに左右される表象なので、自分自身が変われば見える世界も変わります。

気分は事実とは異なるので、考え方を変えれば、気分は変えられるのです!


幸せにとっての大敵は、おそらく何か一つのものが、永遠に至福をもたらしてくれるといった誤った期待であり、

今の自分の状況を「幸せだ」と思った瞬間に、幸せは訪れるのでした。


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そんな自分にとって目から鱗な気付きを得られたことも虚しく、僕はその後、



左耳が聞こえなくなりました。


突発性難聴でした。






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"幸せパラダイムシフト"後、「幸福でいることは選べる」ということを知ったおかげで、生気を取り戻した僕は、出版社に原稿の持ち込みからスタートさせることにしました。

完璧な(と思える)練りに練った企画書を作り、約10万字の原稿を書き上げ、何年も準備した後、僕には不釣り合いではあるもののずっとネット越しに見てきた理想のベストセラー編集者の元へメッセージを送り、企画書を見てもらえることになりました。

僕は今までしっかりと準備したことでうまくいかなかったことが一度もなかったので、めちゃくちゃ準備したし、

「まぁ今回もうまくいくだろう」
「むしろ誉められるだろうな」
「いや確実に」

とたかをくくっていました。


結果から言いますと、


むちゃくちゃダメ出しされました。


ぐうの音も出ないくらいに。

ダメ出しは本当に的を得たものだったのですが、

誉められると思っていたものがボロクソ言われたことで、ショックというよりも本当に驚きの方が大きく、その日はもうほとんど話が入ってきませんでした。


そして、次の日、


左耳が聞こえなくなっていました。

突発性難聴でした。


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再び、ショックというより驚きが後頭部にがつんと殴りかかってきました。

なぜならそれまで目の前のことに没入し、一切ストレスを感じていなかったからです。

それなのに「企画が無くなる」というたった一撃でこれほどまで体にダメージがくるものなのかと本当に驚きました。


そして、その驚きにはすぐにひびが入り、悲しみが後からやってきました。


無職の僕にとって企画が没になることは人生の終わり、GAME OVER、THE ENDを意味しました。

それだけに精神的ダメージが計り知れなかったのです。



もうだめだ。
今度こそ人生終わった。




ところがです!

そう思ったのも束の間、

三ヶ月後にはすっかり突発性難聴は治っていたのです。

治療は手術などほとんど何もしていません。


何が起きたのか?


しばらくして、僕はすぐにこう考えるようにしました。


「自分は偉大な作家たちと同じ道を辿っている」



どういうことかと言いますと、例えば、業界内ではかなり有名な話ですが、

言わずと知れた大人気漫画『進撃の巨人』は、最初、集英社のジャンプに持ち込みをし、断られています。

さらに秋田書店のチャンピオンにも断られ、その後、やっと流れ着いた講談社のマガジンで頭角を現すことになりました。

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また、本田健さんのデビュー作であり、ミリオンセラーとなった『ユダヤ人大富豪の教え』も最初持ち込みを断られています。

『夢をかなえるゾウ』など大ヒット作が多数ある、僕がすごくすごく尊敬している水野敬也さんのデビュー作にしてベストセラーとなった『ウケる技術』も何十もの出版社から持ち込みを断られていたそうです。


出版社へ原稿を持ち込んで丸々没をくらうことは、作家にとってすごくすごく辛いことで、

人生ゲームで言うと"振り出しに戻る"のような、くそ!!!!!!!という感覚なのですが、本当はそんなことはなくて、"3歩進む"くらいなのだと僕は解釈し直しました。


かのベストセラー作家と同じ道を歩んでいるんだ
確実に一歩進んだぞ
この道は正しい道なのだ


編集者に言われたことは真摯に受けとめつつも、自分だけは自分の文章のことをどこまでも信じてあげることにし、そして

辛い出来事を別の視点から捉え直す「リフレーミング」をしたのでした。

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「成功と幸せ」について研究しているポジティブ心理学の第一人者、ショーン・エイカー教授は言います。

「辛い状況や大きな障害に直面している人に「幸福を感じることが可能だ」と思わせるものはそもそも何なのだろうか?

同じ立場や状況にあっても、ある人は何かを達成したり幸せになったりできると思うのに、他の人はそんなことは不可能だと思うのはなぜなのか?

答えは明らかだった。

同じ状況で前向きに進んでいる人がいる一方で、希望を失ってしまう人がいる理由は、彼らが文字通り「異なる現実」を生きているからである。

一方はどんな障害があっても「幸福や成功が可能な現実」に生きていて、他方は「それらが不可能な現実」に生きている。

困難を乗り越えることができ、行動が意味を持ち、変化が可能な世界に自分は生きていると信じる道を選んだ時にだけ、自分の中からやる気とエネルギーと、精神的・知的リソースを引き出して、その変化を現実のものにすることができる。

幸福と成功の前に来るものは「自分の世界をどう認識するか」である。

幸福になって成功を手にするためには、それらを可能だと思わせるポジティブな認識が必要である」


「ポジティブに認識する力というのは、悲観的とか楽観的という問題とは別物で、コップの水が「半分しかない」とか「半分もある」といったこととも違う。

実際にはこの2つの解釈しか選択肢がないわけではない。

楽観主義者や悲観主義者は、目の前のコップの水をどう解釈するかばかりに気をとられて、その近くに第三の「これも本当の新たな現実」があることに気がつかない。

コップの横に水差しが置かれていて、コップに水を注ぎ足すことができるという事実である。

ポジティブに認識する力とはこの水差し、つまりもっと広い機会、可能性、成功への道があることに気がつくことである」




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突発性難聴はストレスからきていました。

そのストレスの原因は考え方を変えることによってポジティブなものへと変化したので、耳は良くなって当たり前だったのです。


一つの現実は突発性難聴を引き起こすほどの「人生の終わり」を意味しましたが、もう一つの現実は「偉大なる小さな一歩」として僕を前へと進ませました。

ネガティブな現実しか見えていなかったら、今ごろ僕はどうなっていたのだろうかとぞっとします。


この大きな挫折を「前に進んでいる証」と捉えたことが、今では僕にとって幸せになるための原点だったなぁと思います。

事実は何も変わっていない。だめなものはだめなまま。

しかし、確実に気分は変えられます。

今、この瞬間にでも、です。

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そんなこともあり今では、


「幸せの本質とは"可変性"にある」


と僕は考えています。


人間には順応という機能が備わっています。

辛いことがあっても慣れることができ、また、幸せが長続きしないのも慣れてしまうからです。

だからこそ大事になってくるのが、辛いときに「どう幸せに結びつけるか」だと僕は考えています。


幸せとは"蝋燭の灯火"のようなものです。

蝋燭(ろうそく)の火は吹けば簡単に消えてしまう。

しかし、風は火を強くすることもできる。

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まずは、今、あなたが辛いと思っている客観的な事実から、真実でポジティブな成長に結び付くようなレンズを通して、現実を捉え直してみてほしいのです。



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(あとになって知りましたが、『ハリー・ポッター』の作者J・K・ローリングさんは、作家デビュー前、シングルマザーで生活保護を受けていて、貧困と心労でうつ病になっていたそうです。

そんな状況で書き上げた『ハリー・ポッター』の原稿は8社以上の出版社から断られ、やっとの思いで最後のブルームズベリー社から出版されることになりました。


その後のことは皆さんもご存知の通りです。


ローリングさんは出版社から送られてきた出版お断りの手紙をキッチンの壁に貼っていたそうで、

その理由は

「断られることで挑戦する勇気がわくから」

だったそうです。


やはり幸福でいることは選べるのですね)

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これで僕が伝えたかった二つ目のこと、幸せに先行する「自分の世界をどう認識するか」の話は書き終わりました。

とても長い話だったにも関わらず、聞いてくださり本当にありがとうございました。

これまで大学生・社会人編の僕の人生でケーススタディしてきましたが、

もし宜しければ、最後に少しだけ高校時代の友人・テラダの話をさせてください。

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この記事の冒頭でも書きましたが、僕は高校時代、やりたいことなんて何もなく、学校→カラオケ→ゲーセン、の毎日で、いつも帰りの電車で「なんでこんな無意味なことばかりしているんだろう」と虚無感に襲われていました。

他にすることなんて何もなく、遊んでは虚無感を感じ、遊んでは虚無感を感じ、をひたすら繰り返す日々。

「なんてくそつまらない人生なんだ」

やっとの思いで高校入試を終えたばかりなのに、学校ではまた勉強、勉強、勉強。偏差値を上げる方法しか教えてくれない何の役にも立たない授業。


そんな高校でも、僕には仲の良い友人が2人だけいまして、いつも3人グループで四六時中、行動を共にしていました。

そのうちの一人であるテラダは僕とは対照的なとてもすごいやつでした。

勉強はもちろんできたのですが、そんなことよりも、高校一年生の時点で、すでにやりたいことや趣味が明確にあったのです。


高校に入ってすぐのGW後、テラダは2週間くらい学校に来なくなり、久しぶりにやってきたと思ったら、真っ黒になり腕や足にいくつもの大きな傷を作って現れたときは驚きました。

何してたんだよ!と聞くと、趣味のロードバイクに没入し過ぎて、山に籠っていたので学校へ行くのを忘れていたとのことでした。

(GW+2週間の休みがあったことになるので、「春休みが二回きた」と笑っていました)


僕たちはまがりなりにも校則の厳しい進学校の特進クラスにいたということもあり、バイトは禁止されており、部活をしている人もほぼおらず、

それだけにそんなアウトローな生徒はテラダ以外一人もいなかったので、舞台上のスポットライトそのものみたいに、僕には異様に光って見えていました。

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都会の町を歩いていると他校の女子高生に声をかけられてメールアドレスを聞かれるくらいイケメンで、

スクールカーストは一番上にいるにも関わらず、いじめられっ子にもいじられるような陽気なキャラで、いつもクラスの中心にいる、いわゆる少女マンガの主人公みたいなやつでした。


僕にないものを全て持っていて、そんなキラキラした憧れのような存在であるテラダとだんだんと仲良くなっていくことができ、

あるとき、テラダの地元の友達を紹介してもらえることになりました。

僕は兵庫県の宝塚というところに住んでいたのですが、そこから電車で2時間かけて、テラダの地元である姫路の奥地へと向かいました。

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そこで地元の友達を何人も紹介されたのですが、僕はここで衝撃を受けることとなります。


テラダの地元の友達が全員、口を揃えて同じことを言っていたからです。


何を言っていたか?


それは


「俺もまじでスマガクに通いたかった」


でした。

(※スマガクとは僕たちが通っていた高校の略称です)


「スマガクが羨ましい!!!」とみんな口を揃えて言っていたのです。


これには本当に驚きました。


というのも僕は自分の通っている高校は、なんてつまらないところなんだと文句ばかり言っていたからです。

くそつまんねーところだなーと。


それだけに、テラダの地元の友達はみんな何を言っているのだろう?

と、疑問で仕方ありませんでした。

校則は厳しいし、勉強ばかりさせられるし、スマガクの高校生活が面白いわけなんてない。


テラダはばれないと思って地元の友達に嘘を付いているのだろうか?

そう言えば、話を盛る癖があるしな……


そう思いながら、地元の友達に話を聞き、テラダを観察しているとあることが見えてきました。


とてもシンプルな話でした。


テラダはいつも楽しそうに高校の話をしていて、何よりテラダ自身がいつも楽しそうにしていたので、「テラダの通う高校はとても楽しいところなんだ」とみんな心から思っていたのです。

俺もスマガクに通いたかった、俺もスマガクに通いたかった、と。



テラダは言いました。

「確かに校則は厳しいかもしれない。買い食いは禁止だし、学校の帰り道、ジョリーパスタでランチをしていたらばれて先生に怒られたこともあったな。でもな、これこそが青春なんだよ。教育指導の先生の目をかいくぐって、マクドでポテトを頬張り、ゲーセンへと忍び込む。ばれたら走って逃げればいいじゃないか。これが俺たち17歳だけに与えられた青春というものなんだよ」

「勉強が厳しいだって?そのおかげで塾に通っているやつは一人もいないじゃないか。だからこうして俺たちは今遊んでいられるんだよ」


同じ授業を受け、四六時中、同じ時を過ごしてきたはずの僕とテラダとでは、まったく違う「現実」を見ていたのでした。

テラダの手に触れれば、どんな障害であろうと、どんな苦悩であろうと、そして、どんな退屈であろうと、それらは全て新たな可能性や希望という名の光へと姿を変える。

テラダはどんな困難な状況下に置かれても、ポジティブな現実を作り出すことのできる天才だったのです!



なので、もしテラダの地元の友達がスマガクに入って、代わりにテラダが地元の県立高校に通っていたとしたら、

おそらく友達はみんな「県立高校まじで羨ましい」「私立なんて行くんじゃなかった」「スマガクつまんねー」と言っていたかもしれません。


二人の人間がまったく同じ状況を目撃しても、何を見ようとしていたかによって違うものが見える。

同じできごとに対して違う解釈をしたということでなく、実際に彼らの視野には違うものが映っていたのでした。

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この話には少しだけ後日談があります。

今までしてきた「現実をどう認識するか」という話は、自分が楽しく毎日を過ごすことができるようになるというだけでなく、なんと周りにいる友人や家族にもいい影響を与えるのです……!

ポジティブな現実を周りの人と共有することによって、その人たちの知性をも劇的に増大できるということが画期的な新しい研究によって証明されているのです。


これまで31年間生きてきて、テラダは僕にとって最も影響を受けた友人となりました。

ネガティブだった僕が大学に入学する頃にはすでに、どんな困難な状況下に置かれても前向きに世界を認識し直すことができるように僕もなりつつあったのでした。

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■参考文献
『幸福優位 7つの法則』(ショーン・エイカー)
『成功が約束される選択の法則』(ショーン・エイカー)


■関連記事
「幸せ」は本当に奥が深く、様々な角度から考察することができます。

今回の記事は「成功すれば幸せになれる、ではなく、幸せだから成功する」「幸せに先行するもの」のこの二点に絞って書きましたが、

今までも何度も「幸せとは」について書いていまして、下記の記事は上から、

・フロー体験 快楽と充足感
・赦し
・生きる目的と人間関係
・逆境下成長、心的外傷後成長
・運動
・強み
・親切

についての記事になっています。

これらを読んでいただければ、ポジティブ心理学の重要な概念をいくつか理解することができるかと思います。

他にも、マインドフルネス、感情、選択、愛、自然、お金、楽観性、モチベーション、リーダーシップ、時間、老い、感謝、心の知能、結婚、勇気……

と、本当に様々なテーマがポジティブ心理学では研究されており、

僕自身、これからも幸せという"もやもやしたもの"に輪郭を与えていけたらなと思っていますので、

その時はまたどうぞよろしくお願いいたします。


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今回書かせていただいたことを売れている人が言ったら、「はいはい、成功者がまたなんか言ってるわ」と感じるかもしれませんが、まったく売れてない僕が言っているあたり説得力ありませんかね。

最初は売れるまで記事を投稿するのはやめておこうと思ってました。

実際にUPするまで何年か遅らせもしたのですが、よくよく考えたらこの記事は「成功」についての話ではなく、「成功を追い求めた男が、成功を手にせずとも辿り着くことのできた幸せ」の話でした。

今のこの現状でも読んでもらえるかもしれない、いや、今読んでもらうからこそ意義があるのだと思い、恥ずかしながら書いて残しておくことにしました。

この文章で誰かを勇気づけることができるかもしれないと思ったからです。


……いや、もしかしたら、過去の苦しんでいた自分が本当に聞きたかったことだったのかもしれませんね。


幸せは成功の先にしかないと思っていましたが、違いました。

幸せはすぐそばにあったのでした。



■さいごに
今回、

●成功したら幸せになれる、ではなく、幸せだから成功する
(幸せは成功より先にくる)

●自分の世界をどう認識するか
(幸せとそれに続く成功より先にくるもの)

この2点をお話させていただきましたが、僕が幸福度が高いのは、この考えを理解しているからだけでなく(もちろんそれも大いにありますが)、夢を語り合える友人の存在のおかげです。

幸せにおいて、相関関係があるだけでなく、幸福を増幅させるものとして特に有力なものの一つが「人間関係」です。

ポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマンによると、とりわけ幸福を感じている人々を研究した結果(222人の大学生のうち10%)、最も幸せな学生たちとそうでない学生たちの間には、たった一つだけ大きな違いがあることがわかりました。

それは、幸福度がとても高い人たちは豊かで充実した社会生活を送っている、ということでした。

外見的魅力やお金は幸福にあまり関係がなく、社会的な人間関係がとても重要なのです。

文字数の都合上、その点について書けなかったのはとても残念ですが、友人の重要性については「28年間生きてきて最も幸せだった日が教えてくれた、人生で必要な2つのこと」で書いています。
(これの続編が今回の記事となっていたことに書きながら気付きました)


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また、「結局、お前が幸福度が高いのは友人に恵まれ、成功体験があるからじゃねぇか!」「俺には何もない!」と思った方もいらっしゃるかもしれません。

また、もしかしたら「今には死にそうな私にとって何も得るものがなかった」「ただただ苦しい」という方もいらっしゃるかもしれません。

そういう方には下記の2冊の本をオススメします。


『いやな気分よ、さようなら』(デビッド・D・バーンズ)

『道は開ける』(デール・カーネギー)


特に僕はカーネギーの『道は開ける』がすごいと思っていて、これを最後まで読んで、もし一つも悩みが無くならなかったならば、僕がその本を買い取らせていただきます。そのくらいすごい本です。

これらを読んで「認知の歪み」を元に戻してもらえると今の苦しい状況から少し前に進めるかもしれません。

もちろん、本当に苦しくて今にも死にそうだという方にこういった分厚い本を紹介するのはナンセンスで、お笑い番組を見て笑ってもらったり、Instagramに流れてくるほっこりイラストを見る方がもしかしたら救われるのかもしれません。


しかし、僕にできることは、

「生きるのがちょっと楽になるための実用知識を伝えること」

「あなたが救われる可能性のある本を紹介すること」

だけなので、どん底を経験したことのある身として、僕は僕ができることを精一杯やらせていただきます。

これが僕の使命であり、生きる意味みたいなものなので。


鬱の治療法に「読書療法」というのがあります。

これは、ある題材を読むことによって心理的な支援を行う心理療法の一つで、実際に鬱病に効果があると報告されています。認知行動療法のセルフ版みたいなものです。

特に『いやな気分よ、さようなら』は、臨床試験で良い結果が出ている本なのでかなり信頼性はあります。

症状が重い方は『いやな気分よ、さようなら』を、そこまで重たくないけれど苦しい状況にあり、負の感情をなんとかしたいという方は『道は開ける』がオススメです。


これらを読んだ今では、「幸せとは技術であり、学ぶことができる」と思っています。

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大学生の頃、初めて便箋7枚ものブログのファンレターをもらった時のことを今でもよく覚えています。自分の文章が誰かの世界を救ったのかととても嬉しかった。その原体験で今もやらせてもらっています。 "優しくて易しい社会科学"を目指して、感動しながら学べるものを作っていきたいです。