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親になるということ


今日電車の中で思ったことがあったので、忘れないうちに文章にしておこうと思う。

今日帰りの電車に乗っていた時に、車内で少し騒がしい子どもがいた。お母さんが懸命になだめて少し静かになったとしても、また少しすると騒がしくなっていた。少し車内がピリついていたように感じた。

そのときに振り返ったのだが、私はそういう風にうるさくできる性格の子どもじゃなかったよなぁと思ったのだ。元々少し周りが気になるという性格と、まだ私の幼少期は過剰でなければ、ゲンコツ程度は虐待としてではなく、世間の風潮としてもしつけとして許されていたため、度を超えてうるさくすると、両親からゲンコツを食らっていた。そのため、うるさくしたり、周りに迷惑をかけたりすると父と母に注意され、ゲンコツをされ痛い思いや恥ずかしい思いをするのではという気持ちがあった。そのため、自然と礼儀が正しくなったのだと思う。

ついこの間、地方大学に受かった妹から離れて暮らす前の最後の手紙をもらった。
妹の手紙に書いてあったこととしては、私が礼儀正しくしていたのを見習って、礼儀を身につけたのだと言う。基本的な礼儀は両親からだけでなく私からも教えてもらったと書いてあり、とても嬉しかった。やはり他人が見ても礼儀は正しい子どもだったようだ。

車内の様子に戻るのだが、ピリついていた中で、1駅の間隣にその子と座ることになった。
隣にいるとより様子がわかってきて、お母さんが注意しても落ち着かないことに焦っている様子であり、その子が周りの様子に興味津々であることがわかった。余計なお世話だということは分かっているけれど、お母さんに一言気にしていないこと、お疲れ様という気持ちを伝えたくなった。でも、きっかけがないのにそんなことを言うのは気が引けた。

そんな中でもう少しで次の駅に着く時に、その子が、「ミッフィーちゃんだ!」と私のリュックについているミッフィーを指さした。図らずとも、お話する機会がやってきたのだ。お母さんは、「すみません」と申し訳なさそうだったけれど、自然と「大変ですね」と声をかけることが出来た。その後少しだけミッフィーがかわいいというお話をして別れた。その時の車内の様子はほんわかしていて、本当に少しのきっかけで、こんなにも雰囲気が変わるのかと驚くほどだった。

車内で幼い子が騒がしくして、それについて、親の責任、きちんとしつけないからだという人、親だって車内の雰囲気を壊したくないから少しの注意で留めているという経験を語る人で度々議論になる。
私は正直どちらの気持ちも分かる。
幼い子に車内では静かにしなきゃいけないと伝えたところで正直限界はある。その注意によってより雰囲気が悪化することもあるし、事を大きくしたくないという気持ちも分かる。ただ、単純に騒がしいのが続くとあまりいい気分はしない。穏やかに過ごす時間、貴重な睡眠時間に充てようと考えていたら、とてつもないストレスになるだろう。

今日私は、少しのきっかけで雰囲気が大きく変わることを知った。そこで考えた。大きな声で注意をしなくても、他人から「もう少し静かにしよう」と伝えたらもしかしたら静かになる子もいるのではないかと。
気心が知れているから、騒がしく振舞っている子も、知らない人から注意されたらさすがに良くないことをしているなと気づくのではないだろうか。
もしくは、その子と少しコミュニケーションを取る事で、騒がしくすることから気を逸らすことも出来るのではないだろうか。
もちろんそれが全ての子に当てはまるわけではないだろうし、絶対的な解決策では無い。
だけど、ピリついているより絶対にいい。トラブルになる可能性もあるだろうから、それがいいとは一概に言いきれないけれど、そんな視点を持った人が増えるとよりいいんじゃないかなと勝手にひとりで思っていた。

私の場合は、性格と、あんまり良くないかもしれないけれど、力でねじ伏せられることで礼儀を覚えた。ゲンコツを人前ですることで誰しも礼儀を身につけることは出来ないだろうけれど、少なくとも私はそうしつけてくれた両親に感謝している。
ある日、いつも通りゲンコツを食らってなんで殴るんだと泣いたことがある。その時両親は、痛いのはゲンコツされた方だけじゃないんだ、する方も痛いんだって言っていたことがずっと心に残っている。ゲンコツすることに抵抗があったであろう両親が、自分の身を削ってまで礼儀を教えようとしてくれていたのだとしたら。それってすごく価値のある事だと思う。

もちろん暴力や暴言はいけない、そんな風潮になっている。それ自体は正しい。でも多少痛い思いをするからやってはいけないことだって認識することもある。

親としての正しさってなんなのだろう。
親になるということは責任だ。大変なこともある。そのような中で感じる成長、それが尊くて、かけがえがないものだと思う。

私は将来、結婚して子どもが欲しいと思うけれど。人間として完璧な人なんていなくて、もちろん完璧な育児やしつけができる人もいなくて。そんな中で自分の認識する正しさと、周りから評価される正しさが少しズレていたとしたら。そんな時どうするのが正解なのだろうか。

本当の正しさを教えられる親になれるだろうか。
どうしたらなれるのだろうか。

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