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「夜の帳」連載小説

わたしにはヨルという知り合いがいる。夜の帳が下りる頃、気まぐれにわたしの前に現れては、役に立つのか立たないのか分からない不思議な話を聞かせてくれる。
その話をヒントに、ちょっとだけわたしの人生が良くなったりならなかったりする、これはそんなお話。
語り手はわたし、聞き手はあなた、今宵は、はじまりの物語。


序章 はじまり

神様は木をつたって天から地に降りてくると知った小学生のわたしは、家の近所にある神社に一人で行っては、大きなご神木を見上げていつもつぶやいていました。
「神様、降りてこないかなあ」
不思議な存在を信じているような年齢ではないけれど、かわいい神様がやってきてわたしと仲良くしてくれる、そういう妄想をすることが当時のわたしにとっては一つの慰めでした。
親はわたしより仕事を優先。友達はわたしより他の子との方が仲良し。
わたしはわたしを一番にしてくれる存在が欲しかった。
寂しさを抱えつつも、妄想という現実逃避でそれをごまかしながら日々を送る、そんなわたしの前にヨルは気まぐれに姿を現したのです。

わたしはその日、友達と遊んだ後、帰り道をとぼとぼと一人で歩いていました。

あーあ、つまんない。3人グループってイヤだなあ、3人でいると、わたしはいつものけもの。それぞれ同じくらい仲良くなれればいいのに、ぜったいに仲のいい2人と1人に分かれる。そしてわたしはいつも1人の方になってしまう。

そんなもやもやした気持ちを紛らわせたくて、わたしは神社に寄っていくことにしました。

しかし時は夕暮れ、鳥居のある入り口から中を覗くと、境内はうす暗く生い茂っている木々が小学生のわたしには少々不気味に感じられました。

入るのをためらってその場で立ちすくんでいると、10メートルほど離れたところにあるご神木の近くの地面に何か黒くこんもりしたものが見えました。
(あれはなんだろう、土が盛り上がっているのかなあ)
子どもの好奇心は何よりも勝ります。暗くて怖さを感じたことなど忘れてわたしはそれが何なのか知りたくてゆっくり近づいていきました。近づくにつれ、それが動いているような気がしてきました。
(動いてる?じゃあ土じゃないよね。黒いごみ袋かなあ、それが風にゆれて動いているように見えているだけ?)
そう分析しながらさらに近づくと、黒い物が猫のシルエットに見えてきました。
(あれ、もしかして猫?)
夜のように真っ黒な毛でおおわれた月のように黄色い目をしたかわいい猫がわたしの頭にパッと浮かびました。
「なるほど、それはいい」
急に声が聞こえたと同時に、その黒いものは、はっきりと猫の姿になりました。まるでわたしが猫だと認識したからそうなったかのような、頭に浮かんだとおりの真っ黒な猫に。
それが目の前に現れて、ちょこんと座りかわいい顔でわたしを見上げています。
「こんにちは、いやこんばんは、かな」
ゆっくりと落ち着いた声が黒猫から聞こえてきました。
驚き、恐怖、とまどい、パニック、そういったことは不思議と感じませんでした。それよりも何かステキなことが起こった時のように、わたしの胸はドキドキしていました。
「こんばんは」
わたしが挨拶を返すと、黒猫が笑ったように見えました。
「素直でいいね、おかげで話が早いよ」
そう言うと黒猫は自分に体があることに今気が付いたかのように、手や足やしっぽを動かしながら珍しそうにそれをくまなく眺め始めました。
それが終わると、今度はわたしに興味の対象を移したようで、上から下までじっくり眺めると、黄色い目をこちらに向けたまま、わたしの周りをゆっくり一周しました。
たまらず、わたしは黒猫に尋ねました。
「あなたはなあに?」
「君には私が何に見える?」
「黒猫に見える」
「じゃあ、黒猫なんだろうね」
よく分からない答えしか返ってこないけれど、この状況が楽しくて終わって欲しくないわたしは、黒猫がどこかに行ってしまわないように会話を続けました。
「あなたはもしかして神様?」
「人間の言う神様というものが私にはよく分からない」
「どうしてわたしの前に現れたの?」
「ただの気まぐれだよ」
なんだ、気まぐれか。わたしを選んで来てくれたのかと思ったのに。
少しがっかりしていると黒猫が続けて言いました。
「まあ強いて言えば私という存在をすんなり受け入れそうなものを選んで現れるかな。怖がられたり驚かれたりするのも、最初は面白かったけれどもう飽きたよ。面倒くさいし、話が進まないからね」
ちょっとはわたしを選んでくれたってことかな、でも誰の前にでもこうして現れているのか、わたしだけ特別ならよかったのに。
エゴ丸出しであれこれ考えていると黒猫がステキな提案をしてくれました。
「私に名前を付けたかったら、付けてもいいよ。人間はそういうの好きでしょう」
え、いいの?
わたしは嬉しくなりました。
だって名前を付けたら、この黒猫がわたしだけのものになったような気持ちになれます。
黒猫が気に入ってくれる名前は何かなあと考えると、すぐに頭の中に「夜」という単語が思い浮かびました。
「真っ黒な毛が夜みたいだから、ヨルはどうかな」
気に入ってくれるかどきどきしながらそう言うと、黒猫は黄色い目を三日月のように細めました。
「なんでもいいよ、名前なんてただの識別なのだから」
冷たいことを言われたけれど、名前を付けたことで黒猫との親密度がぐっと高くなったように感じたわたしは、さっそく黒猫をヨルと呼び、話を続けました。
「それで、ヨルは何をするために現れたの?」
「質問ばかりだね。まあいい、答えてあげよう。私はね、この世界のすべてを知るためにこうして姿を現すのだよ。その権利が私にはあるからね。そしていろんなものから話を聞いたり、逆に私が話をしてあげたりする。私がそうすることで何か変わらないか興味があるからね」
「それって、ヨルがわたしを変えてくれるってこと?」
やっぱりヨルはわたしを助けるために来てくれたんだ、そう思うと嬉しくなり思わず大きな声が出ました。
「そういうことじゃないよ。君を変えてあげるつもりはない。私はね、君の人生を良くしてあげようとも悪くしてやろうとも思っていないよ。ただ、私が干渉することで何か変わらないか興味があるだけ」
嬉しい気持ちがみるみるしぼんでいきます。
物語の中なら主人公の前にこんな風に現れるのは、たいてい味方になって助けてくれる存在です。ヨルみたいなあやふやな存在ではありません。
ヨルは敵なのか味方なのか、ヨルと仲良くなっていいのかそれとも警戒した方がいいのか、幼いわたしには分かりませんでした。
でもせっかく不思議で楽しいことが起きているのにヨルを警戒したくはありません。
ヨルを信じたくて、もう一度わたしは聞きました。
「ヨルって本当は何者なの?」
「ヨルは月の友達だよ」
さっきとは違う答えが返ってきたものの、どのみちはっきりしません。
夜だから月が友達、そういうことなのでしょう。うまくはぐらかされてもやもやしましたが、そこでふとわたしは気づきました。もしかしたらヨルは、自分が何なのか分かっていないのかもしれない。いやそれよりも自分が何なのかなんてどうでもいいのかもしれない。
この手の話より自分の肉球の方が興味深いのか、さっきからヨルは首をかしげてそれを見ています。しばらくして気が済むとわたしを見上げて言いました。
「ところで君はまだ家に帰らなくていいの?子どもは暗くなったら巣に戻るべきだよ」
ヨルにそう言われ、あたりがかなり暗くなっていることにわたしは気が付きました。
早く家に帰らないと、とたんに焦りが芽生えましたが、ヨルとここでお別れしたくはありません。
そうだ、ヨルがうちに来てくれればいいんだ。
さっきまで敵か味方か分からず悩んでいたくせに、帰りを心配してもらったことでわたしはすっかり気を許し、ヨルに提案しました。
「ヨル、もしよかったらうちに来ない?」
ヨルは最初からそう決めていたように、さも当然のように答えました。
「もちろん、そのつもりだよ」
こうして小学生のわたしは、正体不明の不思議な存在、ヨルと知り合ったのです。


わたしの後ろをぽてぽてと歩きながらヨルは家までついてきた。
お父さんもお母さんもまだ帰っていないから、わたしは肩からぶら下げているポーチの中の鍵を取り出して玄関のドアを開ける。
ヨルは家の中にするりと入ってくると、何もかも目に入れないと気が済まないかのようにすみずみまでじっくりながめている。

階段を上がり、2階のわたしの部屋に連れて行っても、同じようにあれこれながめながらヨルは部屋の中をうろうろしている。
ちょっと恥ずかしいけれど、わたしに興味を持ってくれているようでうれしい。

ヨルに来てもらったけれど、どうすればいいのか分からなくてわたしはそわそわしてしまう。おもてなしって何をすればいいのかな?
「なんか食べる?」
キッチンに行けばお菓子かなんかあるはず。ヨルが気に入るかどうかは分からないけれど。
「私は何も食べないよ」
食べないんだ。やっぱりヨルって生き物じゃないのかな。
おばけ?ようかい?まぼろし?
そういえば体はさわれるのかなあ。
「ねえ、体ってどうなっているの?ちょっとさわってみてもいい?」
「どうぞ」
わたしがそう言うことなどお見通しのようにヨルはすんなりそう答えると、わたしがさわりやすいように目の前でじっとしてくれている。
おそるおそるヨルの体に手を伸ばす。
肩あたりをふれようとしたけれど、わたしの指先はヨルの体の中にゆっくり飲み込まれていく。
やっぱりそうか、ヨルの体はおばけみたいに実体がないんだ。
でもなんだろうこれは。
ヨルの体の中に入った指先がなんか変。
とろみのある液体の中に手を入れたような不思議な感じがする。
「ねえ、この体どうなっているの?」
「さあ、私が作ったわけじゃないから分からないよ」
え、そうなの。でも言われてみればわたしの体もわたしが作ったわけじゃないし、この体がどうなっているのか分からない。
「ヨルって誰にでも姿は見えるの?それともわたしだけ特別に見えているの?」
「どうだろうね。私が見えるかどうかその人に聞いてみないと分からないよ」
ヨルって不思議。いろいろなことたくさん知ってそうなのに、自分自身のことになると何も知らないみたい。いや興味がないから知ろうとしないのかな。
ヨルの正体はぜんぜん分からないのに、わたしはヨルのことをどんどん好きになっていく。
それになんかしっくりくる。生まれたときからいっしょにいるみたいな気分。
ヨルがいてくれたら、お父さんとお母さんにほっておかれても、友だちにのけものにされても平気になれるかもしれない。
ずっとわたしのそばにいてくれないかな。
そうだ、さっき話をしたり聞いたりするって言っていたよね、それって、もしかしたら。
「ねえ、ヨルはわたしの友だちになってくれるの?」
「友達って群れることだよね。だったら同じ人間同士で群れないと意味ないよ」
「なんで?一緒にいればそれで友だちでしょ」
「違うよ。群れることが生命の維持に役立ったからそうなっただけだよ」
ヨルの話はよく分からない。でも何か大切なことを聞かされているような気分になる。
「君の体だって微生物が群れたおかげでそうなれたのだから」
やっぱり分からない。
「わたしにも分かるようにお話してほしいなあ」
わたしがそういうとヨルはにやりと笑って言った。
「喜んでお話をいたしましょう」


つづく


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