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【七十二候】季節と言葉たち〜土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

かつて暦として使われていた、一年を5日ごとに72に分ける七十二候。
その名称は、気候の変化や動植物の様子が短い文で表されています。
美しい言葉なので、それをテーマに、作家の方の名文や、創作したエッセイを綴ります。


七十二候:
第三候 「土脉潤起」
(2/19~2/23頃)

第四候「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」 2/19~2/22頃
雨が降って土が湿り気を含む。
土が脈(=脉)を打ち、降っていた雪が早春の雨に変わり、大地を潤わせる頃とのこと。土の中で冬眠していた生き物が活動を始める頃でもあります。

テーマ「土脉潤起」
(エッセイ)

「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」
昨日ちょうど、まさにそんな状態の匂いを嗅ぎました。
「春がもうすぐやってくる時に感じる、土の中が蠢きだした独特の匂い」と、子どもの頃から感じていた匂い。
昨日のブログに書いた日記を短くしてエッセイ風にしてみよう。

女神の通り過ぎた朝

朝一歩外に出ると、春の始まりの匂いがした。
実のところ北海道の春はまだ遠い。この匂いがしたあとも、毎年決まって2回か3回ほど吹雪く日がある。大雪の日もちゃんとある。どう見たって春じゃない。

円山公園にて

だけど私は子どもの頃からの経験で知っている。
この匂いを感じた後は、吹雪いたとしてもあと2回くらいで、春に向かってしまうのだ。
これから起きる吹雪だ、大雪だ、というのは、冬の最後の足掻きなのだと。

あと少しで雪が溶けるよー(小樽水天宮)

北海道に生きていると、冬はとても長い。
初雪は早くて10月に降る。紅葉が終わり一気に気温が下がる頃、雪虫が大量に発生し、ある朝突然雪が山の上に積もっている。

落ち葉が寒そう

なのにテレビをつけると、
これから紅葉が始まります^_^
なんて流れてくる。

12月に行った高尾山。なぜまだ紅葉が?
その頃の北海道は吹雪いていた。

この国のほとんどの地域が、秋を楽しみだしている頃、北海道はもう冬が始まっているのだ。
10月の終わりか11月のはじめに冬になる。実際に雪が全て溶けるのは4月の終わり。ゴールデンウィークにまだ日陰に雪が残っている年だってある。
10月の末から5月まで冬とか!

冬の始まりは一番憂鬱になる。
これから半年近くも、雪にまつわるあれこれで鬱々とする日々のはじまりなのだから。

何度も何度も、吹雪いている朝に出社しなくてはいけない。吹雪くらいで会社は休みにならない。
JRが遅延し、いつ来るともしれない列車を待って、寒いホームで数十分立って待たなくてはいけない。
スーパーに行くだけなのに、ホワイトアウトに出会いそうになる。
命の危険が家のすぐそばに何度も落ちてくる。

家の近所の風景。札幌ですが。

クリスマスやお正月、節分やバレンタインデーの楽しさくらいでは、長くて寒くて冷たい雪の中で生きる日々は帳消しにはならないのだ。

毎朝カーテンを開けて、外を見る。今日は吹雪いている。
今日はまあまあ雪が降っている。
今日はよく晴れているけれど、こんな日は放射冷却が起きて、体の芯まで冷えてしまう雪道を歩くのがしんどい。
だいたいいつも歩道がつるつるで歩きにくい!

ああ、うんざりする。
いい加減、雪よ解けてくれ。
そんな鬱積した思いが限界になる頃に、ふいにこの匂いが届くのだ。

あと少しだ!
この後は、確実に季節全体は春に向かうのだよ、みんな!

それは、湿った土が出す独特の匂いに近い。
湿っているはずなのにどこか軽やかなこの匂いは、大地が春の準備を始めた合図だ。

実際には、屋外のあらゆる場所に根雪が残っていて、土なんてどこにも見えない。
だけど、明らかに真冬の時とは重量感が違って、軽くなって薄くなった雪の隙間を縫うように、あの匂いが立ち上ってくる。
土の中で眠る命の種が目覚めて、外へと向かって出て来ようとするときに出す強い生命力が、土の何かを刺激する。
だからつい土が耕されたときのように、独特の土臭いにおいを立ち上げてしまうのだろう。

そうだと勝手に信じている。

もうすぐ春だ。らんらんらん

この匂いがすると、どんなに雪が降っていても、植物たちがもうすぐ芽吹いていくのだと楽しい気持ちになる。
ウキウキしてスキップしたくなる。
そんな匂い。

私はそれを「春の女神が通り過ぎた朝」と呼んでいる。
春の女神がある日、夜のうちに山から降りてきて、そこら中に挨拶して回る。
「春が来ましたよ、目を覚ましなさい」

女神が通り過ぎていくと、土の中で冬眠状態だった様々な植物の種が文字通り目(芽)を覚ます。

そんなふうにいつも想像している。
その美しさが大好きだから、女神はついつい白樺並木で寄り道をする。私は春が近い白樺の高い梢を見上げては、女神の姿をいつも探す。

小樽公園の白樺並木
春が近い頃の太陽の光が白い幹に映える

この日は突然訪れる。

ドアを開いた瞬間に、「それ」は勝手に鼻腔から入り込み、一気に脳まで達して私は気づくのだ。
「今日は、春に向かう境の日なのだ」と。
これは春だけではなく、夏や秋や冬にも訪れる。

私は北海道の春しか知らない。
北海道でも、冬の間ずっとすべてが根雪に覆われている状態の場所しか知らない。
だから雪が降らない地方の春は、どんなふうに土が緩んでいくのか見たことがない。

例えばいつか、沖縄のようなあったかい場所で、いろんな季節を過ごしたとして、私はその匂いがすぐにわかるのだろうか。その土地ごとに違うかもしれない季節の変わり目の匂いは、何度か経験しないと気づけないものなのだろうか。

そんなことを考えるとワクワクが止まらなくなる。

七十二候の説明

「二十四節気」は、立春や夏至などを含む、半月(15日)毎の季節の変化を示すもの。
古代中国で暦として発達していた。
これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候(しちじゅうにこう)です。
こちらも古代中国で作られましたが、二十四節気が古代のものがそのまま使われているのに対し、七十二候は日本での気候風土に合うように改定されました。
その名称は、気候の変化や動植物の様子が短い文で表されているのが特徴的です。

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