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=読書感想文=偏屈のすすめ。

時計修理関係の本を探していたら、アマゾンのおすすめに出ていました。このおすすめアルゴリズムは恐ろしい、、、かなりの確率で自分に興味がある本が出るようになった。

ジュルヌ氏は、親友が働く会社の社長で、度々話を聞いていたので、親近感がありました。そして、その作品(時計)を度々見せてもらっていたので、このような美しい時計を生み出す人はどんな人なんだろうと考えていました。そんな時にこの本を見たので、即購入しました。

自分の好きなことをして生きていきたい人、ものづくりに関わる人におすすめです。

–この読書感想文の読み方–

本の中から、気になった言葉(文章)を引用しています。「 」の部分です。本を純粋に楽しみたい方は、ここを読まずに本を入手されてください。
「→」は、私の感想です。

読んだ人によってそれぞれ心に刺さるポイント、文章が違うと思います。
読んで見たいと思ったら、実際に読んで、再びこの文を読んでいただき、
私の着眼点との相違を楽しんでもらえれば幸いです。

そして、あなたの新しい発見や問題の解決のヒントになったら嬉しいです。

–スタート–

「私にとって時計製作とは、仕事であって仕事では無い。自分自身の表現であり、人生そのものなのだ。」

「1つの機構が完成すると、それに対して興味が一気に失せてしまう。
10年間、同じ作業繰り返すこと想像するだけで、気分が悪くなる。
他の人と同じことをやるのは、ものすごく居心地が悪く感じる。」

「18世紀のスイス、イギリス、ドイツには同じムーブメント何個も長期間にわたり作り続けていた記録があり、著名な時計師がたくさんいた。しかし同時代のフランス人は次々と新しいメカニズムに目を向け2つとして同じムーブメントを作っていない、他の時計師と同じ機構の図面を発見することも難しい。」

→フランス人である彼は、同じ仕事をし続けることが嫌で、常に新しい機構の発明を試みている。スイスでものづくりはするが、気持ちはフランス人時計師であるとのこと。これが本当にフランス人流なのか、スイス人流なのかは別として、私自身非常に共感が持てる。一つのことに熱狂するけど、ある程度の域に達すると、それがただの繰り返しのように思えてしまい飽きてしまう。会社を興して、17年になるが、その間に、業種がまるっきり変わった。時代の流れに合わせて変えたと思いえるし、その業界に飽きたとも言える。同じことの繰り返しだから。そして、小さい頃から、なぜか人と違うことをしたがるあまのじゃく。非常に共感が持てる。

「時計の修理のテクニックを教える学校であっても、そこで覚えられるのはほんの5パーセントに過ぎない」「残りの95パーセントは、自分自身の才能やセンス、そして努力と経験によって補うしかないのである」

→時計修理は、独学で勉強しました。国家技能検定の時計修理検定は、メーカーや時計屋の2代目に混ざって、個人応募。あまりのマイナー資格に、試験の申し込み方法すら協会に電話して自分で調べて、試験の流れを受験してから知るという有様。2級まではよかったが、1級はもちろん落ちた。しかし、翌年には、時間を半分以上残して終了。審査内容はわからないけど、落ちようがないと思い、合格。

「わたしは、何か新しい仕事を始める時には、自分の感性をまず最優先する。」

「信じることから何か新しいクリエーションは生まれるのだと思っている。」

「ムーブメントの開発でも、わたしは、まず強くイマジネーションを働かせる。」「まずどんな時計にしたいのか、どんな機構を生み出したいのかと、全体像のビジョンを構築するのである。それは時計製作だけに限らない」

→まず、そうなりたい、そうしたいイメージを最大限に膨らませるというステップ。いいですね。やってみたいと思います。

「わたしの夢は、自分が好きな時計を作り続けること。」

→夢が、今の現状を維持するのが夢ということのようです。

「時計製作はビジネスではない。クリエーションだ。そして楽しい時間でもある。楽しいから、それを仕事だと思わない。」

→まさに好きなことを仕事にした例ですね。

「売れなかったらどうしよう」とか「売れるためにはどうすれば良いのか」といったことに頭を悩ませる必要はない。わたしにできることはただひとつ、今までにない新しい機構の時計を発明し、製作すること。「決してあきらめず、妥協もせず100%の力で時計を作れば、心配や不安など決してわいてこない。もしわいてきたとしたら、それはまだ100%の力を出していないのだ。」

「100%の力で自分がやっていることを信頼できないなら、それはやらないほうがいい。すべての時計を100%以上の力で作り、絶対の自信を持って世に送り出している。なぜできるか?100%の自信が持てるまで、決してあきらめないからだ。わたしにとって、時計製作は、ビジネスでないので、諦めるというチョイスはない。」

→何かを突き詰めるということは、こういうことなんですね。ここまでやったら、どんなマイナーな趣味でも、現代なら、どこかで噂が噂(SNSとかで)を呼んで、最終的にはマネタイズできるかもしれないですね。昔なら、好きなことで食べられるわけがないと片付けられるところですが、ある意味現代はいい環境かもしれません。その代わり、自分で納得できるくらい突き詰めないといけないですね。

「時計開発は、誰かとの競争ではなく、自分自身との戦いなのである。」

「自分自身との戦いの勝敗の決着は、自分でつけられるのだから、勝つまでやり続ければいいだけことだ。」

→人と比べない。比べないから、羨ましいとか、優劣とかない、とにかく自分と戦う。結果、飛び抜けるという、素晴らしい構図ですね。

「時計製作以外のことに関しては、雑務でしかない。」

→本社社員数100人、全世界に直営ブティック10店、年間生産本数850本。時計業界では、極めて小規模な会社とはいえ、最低ランクの時計が数百万円、人気のあるクラスは、軽く1000万円を超え、そして、その売上の大半を設備投資と、人件費に回すという。そう考えると規模としては、決して小さくない。その会社経営に関することは、すべてスタッフに任せている。そのための組織づくりは、嫌いな仕事だけど、好きなことをするために、不可欠とのこと。

→好きなことを仕事にするのは本当に難しい、ジュルヌ氏は、自分の好きなことやって幸せと思えるが、そのための努力も凄まじい。すべてのスタッフは、自分の夢を維持するために雇っている。もちろん、そのリターンは大きく、天才時計師へのリスペクトや、その夢の価値を共有しているからできることであると思う。

これが、社長がフェラーリや豪邸を買うのが夢ですと言ったら、誰もついてこないでしょう。

「私の時計製作を、彼らに再現させるために、具体的な指示を出しているつもりなのだが、わたしは説明するのが苦手だ。またわたしにとって理解するまでもなく、当たり前てこと、簡単なことを質問されるとイライラしてしまう。」

→天才すぎる社長、、、なぜそうなるかなんて説明できない。見ればわかる。答えが出てくる。計算しないで、答えが出る人にとって、どうしてそうなのかなんて説明できない。わかるだろ、できるだろ、なんでできないとしか言われない職場、、、ここで働く人は超一流だ。

しかし、これほど伸びる職場はないだろう。何しろ教えてくれないなら考えるしかないから。それは次に出てくる。

「時計製作は毎日が勉強なのだ。必ず向上していける道はある。自分で考えず、勉強や向上心を放棄するようなスタッフは、わたしのところには不要だ」

「新しい時計の機構の発明には、たくさんの失敗の上に成り立っているのだ」

「失敗を積み重ねる間で大切なのは、なぜ失敗だったか考えることと、学ぶこと。失敗を忘れないということ。」そうすれば次の時計を作るときに、やっていいことと、やっていけないこととのジャッジメントができるようになる。」

「時計師には才能やセンス、努力が必要だろう。さらに失敗を積み重ね、二度と同じ失敗を繰り返さないようにする経験が、必要なのだ。それは自ら学ぶしかない。」

→あらゆる職人と呼ばれる職種に共通して、言えることですね。時計学校に行かなかった私には心強い言葉でもあり、重い言葉でもあります。

「わたしが創作意欲を発揮するには、自分が一番心地よく感じられる環境が必要なのだ。」

美しいものは綺麗な場所から生まれる。
「時計師に限らず、職人の作業台は、常に整理整頓されているべきだ。そして、その道具が常に手入れされていることは、当然のことである。

「終業後は、時計師の作業台にも、デスクワークのスタッフの机の上にも、一切何も置かれていない状態にするのが、私の会社のルール。」

→私の祖先とジュルヌ氏の祖先は、同じルーツかもしれないですね。一ヶ月に数回東京の本社に行きますが、スタッフのデスクの上が、汚かったり、散らかっていたりしていると片っ端から捨てたくなります。ジュルヌ氏は、本当に片っ端から捨てるそうです。私は、本当には捨てませんが、、、どのようにして、間に埃が詰まった汚いキーボードでお客様にメールを書くのかと思ってしまいます。

「全ての機械は、その構造がシンプルであるほど壊れにくい。だから私は、どんな機構でもよりシンプルになるように発明を行ってきた。しかし、仮にそのシンプルな設計によって、文字盤のバランスが崩れるとしたら、私はデザインを優先する。そうしなければ私の美意識が許さないのだ。」

「私が発明し、開発したムーブメントは、どれも薄くエレンガントで壊れにくい。これもまた、時計のデザインと同様、私の強い美意識の表れなのである。」

「はるか未来に機械式時計など残っていないという人もいるだろう。今でも多くの人が、携帯電話やスマートフォンで時刻を見ているのだからと。しかしわたしは、数百年後もずっと機械式時計は生き残っていくと考えている。」

「懐中時計ができた400年ほど前、街のどこからでも見える教会に大きな時計があった。携帯が普及していない頃にも、街のいたるところに時計があった。400年前から、懐中時計や腕時計は、本当に必要なものではなかった。なくても寝られるし、食べられる。生活に困らない。」

「それでも今まで腕時計が生き残っているのは、それがラグジュアリーなものだったから。所有することに喜びを感じられるものだったからにほからない。だからわたしは、よりラグジュアリーな時計製作を目指してきた。それはすなわち希少であり、オリジナリティ豊かな創造性に満ちていることに尽きる。そんな時計製作に少しでも長く現役で続け、その中の一つでも遠い未来に誰かの手の上で時を刻んでくれていたら、それは望外の喜びである。」

–まとめ–

私は、高級時計をコレクションしたり、腕についているのを眺める興味はあまりないです。週末はGショック、平日は自分で修理した時計のランニングテストを兼ねて、腕時計をしています。

時計の趣味は、集める、眺める、自慢する?、撮る、などいろいろ楽しみ方があるかと思いますが、私は、分解するです。時計は、この小さい中に、人類の叡智を詰め込んだ小宇宙です。いろんな円周運動をする歯車が入っていて、テンプという天体を埋め込むと全ての円周運動が始まり、永遠の時を刻みます。宇宙に何億もの銀河があるように、小さな小宇宙が、時計の数だけあります。そんな構造を見て、また組み立てて、また宇宙が動くところに興味があります。そして、もし、その時計が自分のいなくなった世界でも残って、誰かの腕で動いていると思うと、子供以外にも何か残した気になります。なので、デジタル時計でなくて、機械式時計が好きなんです。

すみません。本のまとめでした。好きなことを仕事にする。本当に難しいことです。これができる人は、本当に限られます。それは、まず本当に好きなことが見つけられるかどうか。見つけられたとして、突き詰める環境を作れるかどうか。ジュルヌ氏は、親が好きなことを見つけることを見つけるきっかけを作ってくれました。それを自分で育て、維持する環境を作りました。

でも、もし最初に時計学校に行っていなかったとして。ジュルヌ氏は、フランス料理の学校だったら、フランス料理の一流シェフになったと言っています。しかし、私は、またすぐ退学になって、職を転々としたと思います。そして、どこかで時計の図面に出会って、時計の道に入ったと思います。

それは、自分の感性や直感を最重要視して、やってみる。失敗する。勉強する。やってみる。を繰り返し、道を見つけるという繰り返しをする人だからです。

私は、好きなことたくさんあります。ある程度のお金と体力があったら、やりたいことがないと言っている人が不思議でしょうがないくらい。やりたいことが多いです。この中で、一つ突き詰めて、仕事にできるものがあったらいいなと思います。

インタビューアーの人が書いていたところで、ジュルヌ氏とは違いますが、緒形拳さんが、一番好きなことが書で、二番目が俳優だった。だから、俳優を仕事にしたという部分がありました。書も俳優も一流だったのだと思いますが、こういう好きなことを仕事にするやり方もあるんだなと思いました。緒形拳さんは、香港で一緒に食事したことがありますが、とても魅力ある人でした。芸能界に疎い私は、誰か知りませんでしたが、、、

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