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いつか普通の国になる日本へ 1

2年ぶりに日本に帰省して、東京、大阪、京都に滞在した。

信じられないほど暑かった。

自分でもびっくりだけど今年で在米、21年めになる。もはやほぼインバウンドの観光客みたいなもので、ひさびさの母国にいろいろ感動したり、微妙な違和感を感じたりした。

そんな2年ぶりの日本で感じた一時出戻りのゆるい感想です。

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東京や大阪の街を歩いていて毎回圧倒されるのは、ありとあらゆる消費物の種類の多さと、小売形態の豊富さ。とにかく種類が多いし、街中にモノが溢れかえっている。

そして包装も接客も、過剰に丁寧だ。

どの駅の中にももれなくスイーツを売る店があって、ターミナル駅にはお弁当やおみやげの店、カフェ、書店、雑貨店がところ狭しと並んでいる。ホームの自動販売機に並んでいる飲み物の多くは初めて見る新製品。透明なコカ・コーラも含め、考え抜かれた新製品や季節限定品がしのぎを削る。冷たいのだけでなく、体を冷やさないようにという気配りから常温のドリンクを常備する自販機もある。

店員さんはおおむねとても親切で有能で、実に細かい気配りをしてくれる。
800円のランチを食べに入った店でもまるで王族のように丁重に扱ってくれるし、小さなものを買っても(菜箸もおろし金も)無料で綺麗な包装紙にきちんと包んでくれる。

なんと気配りの行き届いた繊細なおもてなし精神。
でも、そこまでしてくれなくてもいいのに〜、こんなにまで行き届いてなくてもいいんじゃないか……。と思うこともしばしばだった。

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スーパーのレジ袋はもうだいぶ前から有料になっているけれど、スーパー以外の小売店では、書店でも雑貨店でもパン屋さんでもブティックでも、もれなく店のロゴが入った小奇麗なビニール袋に入れてくれる。これがけっこうかさばる。袋はいらないというと、怪訝な顔をされることもあった。

このなんでもかんでもちまちまと包装してくれる繊細さは、懐石料理や和菓子、お弁当の美にも通じる繊細な美意識のたまものだろうと思う。
素晴らしい文化ではあるが、グローバルスタンダードからするとえらく過剰だ。

700円の本にきちんとブックカバーをかけた上にビニール袋にいれてくれる書店なんて、たぶん世界中でも日本にしかないんじゃないかと思う。この人はこれを万引きしたのではないというわかりやすいマーキングの意味もあるのかもしれないが、買ったものは丁重に扱ってもらうのが当然という客の期待に応えた習慣には違いない。

一方でアメリカの消費の場は、露骨に格差がある。最もお安いウォルマート的な店では、店員になにか聞いてまともな答えが得られれば大変幸運と思わねばならない。

超高級店では19世紀英国の執事みたいな店員がお客をうやうやしく迎えて、靴下でも歯ブラシでも丁寧に紙でくるんでくれるのかもしれないけど、そういう店には行ったことがないので知らない。

その真ん中へんである大多数の街のショップやレストランの接客は、フレンドリーではあるものの、日本の常識に比べたらずいぶん雑に映ると思う。高めのベーカリーでも何もいわなければ茶色の紙袋さえ出てこない。

日本の小売店の消費者は、お値段のレベルにかかわらずサービスには最上級の礼節を期待するし、これまではその期待が満たされてきた。

それはやっぱり戦後の高度経済成長のたまもので、社会のほぼ全体にお金がいきわたった、稀有な国だったからなのだろうと思う。

日本は本当に普通の国なんかじゃなく、むちゃくちゃに恵まれた国だ。戦後の日本は世界で最も成功した社会主義国、とゴルバチョフ書記長が言ったそうだけど、それはまことに本当だったなあ、と、格差の国アメリカからくるとしみじみ思う。

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