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Underdog

アメリカ人は「underdog」ものが好きだ。

Underdogとは、「立場の弱い人、(いま現在)負けている人」。

小学館「ランダムハウス大辞典」は、underdogをこう定義している。

1 (ゲーム・試合などで)勝てそうもない人,勝ち目の薄い人;(争いなどの)敗者
2 ((通例 the underdog)) 社会的[政治的]不正の犠牲者;(生存競争の)敗残者,(人生の)負け犬.
3 弱い[しっぽを巻く]犬,負け犬.

バカにされている弱小チームがわけありコーチの特訓によって強豪に勝ったり、立場が弱くてしいたげられているキャラクターが持ち前の機知で一発逆転したり。

伝説の『ロッキー』も、さいきん『コブラ会』で記憶によみがえった『ベスト・キッド』も、クラシックなunderdog映画だった。
『コブラ会』もunderdogのテーマがてんこもりでしたね。

Underdogを「負け犬」と訳してしまうのには抵抗がある。

「負け犬」という言葉には、「もうこの先もずっとずっと負け犬」という、どうしようもなくさみしい感じがただよっているけれど、「underdog」というときには、そんなハリウッドの刷り込みのせいか、「いや今は負けているけど、この先どうなるかはまだわかりませんよ」という含みを感じる。

リアルライフではそんな逆転劇はそうそう起こらないとしても、そんな楽天的な、夢をおおっぴらに見られる空気が、アメリカ社会にはまだまだ根強くある。

最近Amazonプライムで観た『Troop Zero』(邦題「トゥループ・ゼロ-夜空に恋したガールスカウト」)も、正統派underdog映画だった。

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舞台は1970年代のジョージア州。母を亡くした科学大好き少女が、NASAの無人惑星探査機ボイジャーに積まれるレコードに声を吹き込む権利を得るためにガールスカウト(にそっくりな「バーディ・スカウト」という架空の組織)のチームを作ってタレントショウに出るというお話。主人公が集めるチームは、親友のゲイの男の子をはじめ、はみだしものばかりの圧倒的なunderdogぞろい。

父は貧乏なひとの面倒ばかりみていて自分もまったくお金がなく、ボロボロの小屋で開業している弁護士で、これまた恒久的なunderdogである。
そしてその父の助手であり、イヤイヤながら主人公たちの指導役を務めることになる辛辣な有能パラリーガルを、なんと大女優ヴィオラ・デイヴィスが堂々と演じている。(今年もアカデミー主演女優賞を逃してしまったのは残念でした!)

わりとありがちな「underdogもの」のストーリーではあるけれど、キャラクターがみんな生き生きしていて軽快で、なかなか楽しい映画でした。

主人公クリスマスちゃんは、「勝ち組」スカウトの女の子たちにバカにされいじめられてもまったく怯まずに「どうしてそんなに意地悪するの?」とまっすぐにたずねる。そのゆるがない「下から目線」が、とても小気味よい。

彼女には自分の夢中でめざすことがあるから、いじめられてもぜんぜんこたえない。ひとをバカにしたりいじめる人はほんとは心が不幸なんだよ、そんな人たちに心や時間をいっさい使わないで、勝手に幸せになろう、自分のやりたいことだけをやろう、と全世界のいじめられっ子に宣言する映画。

ちょっとへこんでいる大人にも、おすすめですよ。




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