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祖父との思い出の巻

先週は会社もお盆休みであったため、有休を組み合わせ9連休と長い休みをとっていた。休み前は「前半は友人と遊んで、後半は実家に帰ろう」なんて高を括っていたのだが、急遽前日になって、実家から父方の祖父があと1週間だという連絡が入り、友人との約束をすべてキャンセルし、休みの初日から実家へ向かった。

祖父は一進一退といったところで、元気に(とはいっても食事ができず点滴で生活している人の元気)会話ができて帰りに手を振ってくれたと思ったら、翌日には声がカサカサで聞こえなかったり、でもその翌日にはまた少し元気が見られたり・・・と、日々ハラハラした休日を送っていた。「これならまだ1週間~2週間くらいなら大丈夫かな」と一人暮らしの家に戻っていったが、その翌日に「声をかけても反応しない、呼吸が途切れ途切れになってきた」との連絡が入った。平日はもちろん仕事だし、急には休めない。けれども私の上司は人情派な人間で、事情を話し休みたい旨を伝えると「もちろんです。そばにいてあげて」と言ってくれた。明日、私は会社を休んで病院へ向かう。

母方の祖父が亡くなった話

去年、母方の祖父が死んだ。死ぬ前、母親は横浜から静岡の実家まで毎週のように高速で車を飛ばし、施設に入っていたにも関わらず祖父の看病に行っていた。「施設で面倒見てくれているんだからいいじゃん」「どうして嫁に出て行ったお母さんがおじいちゃんの面倒見るの?長男とその嫁が見るのが筋じゃないの?」と、内心ではそう思っていた。親への反発が、母方の祖父母への反発にもつながっていたのだ。それが故に、素直に祖父に接することができなかった。年始、1月1日からわざわざ静岡に車で連れていかれ、施設にお見舞いに行かされる。祖父母が弱ってからの近年において、お正月の日中の恒例行事と化していたが、私はこれが気に入らなかった。「なんで正月の朝から早起きしてこんなところに連れてかれるわけ?」2019年のお正月、私は年甲斐もなく、とんでもなく不機嫌な状態で祖父の見舞いに行った。一言くらいしか喋らなかったと思う。祖父は最後泣いていて、母親は「孫が来てくれてうれしくて泣いちゃったねえ」なんて言っていたけど、本当は何を思っての涙だったのだろう。

それから一か月後、危篤の連絡を受け、再び静岡に向かった。その時にはもう話すこともできず、呼吸器につながれて生きているだけの姿だった。会話の内容がわかっているかはともかく、頷くくらいはできただろうか。その時に「どうして私はお正月にちゃんと話をしなかったんだろう」と猛烈な後悔に襲われた。これから初めての一人暮らしを始める話、去年転職した会社で頑張っている話、残念ながら彼氏はまだいない・結婚の予定もなく、晴れ姿は当分見せられそうにない話・・・普段話すことがないからこそ、話すことはたくさんあった。当たり前のことだが、人は死ぬ直前になると話せなくなったり、話を理解してもらえなくなるなんて、この時まで現実として私は知らなかったのだ。最後の別れになることは明らかで、まだ意識があるうちにこれだけは言いたくて、両親に見られるのは恥ずかしかったが「今までありがとう」と言って泣いた。この言葉が祖父に届いたのかどうか、私にはわからない。

その数日後、祖父は死んだ。その日様態が怪しいとの連絡が来ていたので、夜の7時過ぎに様子を伺う連絡を入れたところ、母親から電話がかかってきて、すぐ前に亡くなったことを知った。後悔は止まず、小さい頃の思い出ばかりが出てきて、会社での仕事中にも関わらず涙が止まらなかった。祖父にとっては私の姉が初孫で、私が2番目の孫で、小さい頃はとてもかわいがってもらった。私はよく泣く赤ちゃんで、ピーピー泣くから「ピー子」「ピーちゃん」と祖父から呼ばれていた。自営業で木工所をやっていて、手先が器用だったこと。足が届かなかった頃のピアノの足台、作ってもらったね。自分の部屋でカラオケを歌い、大正琴をよく弾いていたこと。お風呂に入るときは爪楊枝をさして風呂釜で寝ていたこと。森永のミルクキャラメルが好きで、よく祖父の引き出しから姉と二人で拝借していたこと。小さい頃に連れて行ってもらった場所。トラックを運転していた姿。話す声。母親の弟であるおじさんに子供ができて、内孫の方がかわいいんでしょと拗ねていた自分。この頃から祖父との間に気持ちの溝ができた。それでも今考えると、とても愛されていたんだと思うことばかりで。私がどうであろうと、ずっと優しくて。浪人した、大学に受かった、就活がうまくいかなかった、やっとの思いで就職した会社も2年もたたずやめた、そんなだめな私であったが、祖父はずっと私のことを心配し、愛を注いでくれていた。

そんなことに、祖父が死んでからようやく気付いたのである。この思い出があるから、私は明日病院へ行くことにした。父方の祖父も、母方の祖父とはまた別のたくさんの思い出がある。今までの感謝をちゃんと伝えたい。

意識がない中で行くお見舞いは自己満足なのか

姉とそんな話をしていた。もう、相手がこちらのことを認識できない状態であれば、行っても行かなくても同じ。それは、そうだ。でも、生きているのと死んでいるのでは、ありえないくらいの差がある。私は生きている時に会いたい。自己満足なら、それはそれでいいじゃないか。会わなかったこと、しなかったことを後悔するのはもうしたくない。それが、母方の祖父から教わったことなのだ。

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