見出し画像

最近

書きたいことが2つあるので、両方書きます。

ひとつめ。将来について。
社会人になって1週間経ちました。限界です。
会社で働くことに対して、給料をいただくこと以外の何にも希望を持てませんし、意義も感じられません。
ついには知り合いも親戚すらいない遠い土地に勤務することになってしまいました。物件も決まらないし、車のローンも背負うことになり、追い詰められています。GW前には引越しを済ませなければならないのに…

この先の人生の選択肢について考えてみます。
今のところ繁殖への予定も欲もないので、一旦それは抜きにして考えてみます(もしかしたら今後そういうこともあるかもしれませんが)。

1.定年まで同じ会社で働き続ける
転職が当たり前になった今の時代、これはいかがなものかと思うところもあります。安定に一番近いのはこれですね。

2.転職する
転職する場合の選択肢としては、今のところ、
①新卒入社した会社での経験を活かす
②保持する資格(学芸員)を活かす
③全くルーツのないところに飛び込む
の3種類があります。
せっかくとった学芸員の資格を活かせる人生になるといいのですが。

3.大学院進学
やはり大学院には行っておくべきだったと常々感じています。卒論に納得がいっていないまま(良い評価は頂けましたが、気持ちの問題です)なのが気にかかるし、研究は純粋にとても楽しかったのです。もちろんしんどかったですが、もっときわめたいと感じました。
ただ行くにしても、実家は太くないので、どのみち自力で行かねばなりません。今就職しているのは、ある意味最短ルートなのかもしれません。
ネックになるのは、文系(とくに思想・芸術系の分野)にとって、往々にして、大学院に進学することがすなわち学問の世界にその身を置くことになる、ということ、そしてそのことへの覚悟が決まっていないことです。
理系にとって院進は珍しい選択肢ではなく、その後一般企業に就職している学生は多くいます。しかし文系は院進する学生が少ないこと、学問が一般企業で活かしづらいことから、そのまま大学に在籍し続け、最終的には大学教授や研究者という道しか選べないといっても過言ではありません。
わたしは院進したあと、自分がどうするつもりなのか考えなければなりません。

4.好きなことをやり、それで生計を立てる
理想でしかないですね。
①物書き
②絵描き
あたりに憧れはありますが、自分のクリエイティビティのなさには常々絶望しているので、望み薄です。

5.リタイア
いちばん楽です。

今のところ考えつける選択肢はこれくらいなのですが、もっと出てくると思います。頑張りたくはありますが、ふら〜といなくなってしまいそうな気もします。



ふたつめ。田舎の教育について。
前提として:
①わたしは、中高を地元の私立中高一貫校で過ごし、その後上京して公立大学に進学しました。
②出身は田舎です。わかりやすく言うと、最低賃金がこの間やっと900円台になったほどの県で、その中でも公共交通機関がほぼ使われていない程度の田舎です。

大学に進学したときも最近も、つまりは新しいコミュニティができて自己紹介したとき、あまり理解されないことが、「私立の中高一貫校に通っていた」ということです。なぜ?という顔をされます。
最近知ったのですが、ある程度都会な地域の中学生にとって、公立が本命高校で、私立は滑り止めのようですね。わたしにはその認識がありませんでした。なぜかというと、地元の公立の高校の生徒のうち、大学に進学するのは両手で数えられるほどの人数だったからです。

地元では、高卒で就職もしくは家業を継ぐか、専門学校に進学し職に就く人がほとんどです。これはわたしたちの世代に限った話ではなく、親世代も同様です。みな地元の学校で過ごし、地元で就職し、地元で子供を産みます。その子供も同じルートをたどります。
つまりはなから、人生において「大学に行く」という選択肢がないのです。想定されていません。親も先生も子供本人も、考慮に入れていません。だから公立高校は、その先の進学のために選ばれる高校ではありません。大学進学する気のある人は、ほぼ全員、母校の「私立の中高一貫校」に進学するか、あるいは私立の進学校(高校)に進学します。

ではわたしがなぜ、私立の中高一貫校に通わせてもらえたかというと、主に3つの理由があると考えます。
ひとつめ。それは、私たち家族が、元々は地元の人間ではないからです。父の転勤により地元に住みついた、外部の人間だからです。だから地元のみんなが歩む道という通念があまり強くありませんでした。
ふたつめ。父が大学卒だからです。両親と話をした時、父は自分の経験から、わたしが大学進学することも選択肢のひとつだと考えていたようです(ちなみに母は高卒ですが、わたしが進学することを当初は考慮に入れていませんでした)。
みっつめ。通っていた幼稚園が私立だったからです。わたしたちが幼稚園の途中で地元に引っ越してきたことで公立の幼稚園に入園できず、仕方なくでした。しかし周りの子たちはそうではありません。わざわざ私立の幼稚園に入園した子ばかりで、その親たちも、ある程度の金銭的余裕と、子の大学進学という選択肢がある親たちばかりでした。実際わたしは、その後中高一貫校で、幼稚園のころの多数の友人たちと再開することになります。両親はそこで、進学するなら中高一貫校に通う、ということを周りの親たちから聞いたそうです。

もしわたしが、父母含めて地元の人間で、公立の幼稚園に通い、特にわたしが志望することも父が勧めることもないままだったら、きっと高卒で就職していたと思います。

逆に出身が同じで進学している人は、外部の人間で、親にある程度の金銭的余裕と文化資本がある人が多い印象があります。

たぶんこの環境は、都会の人からすると考えもつかないことだと思います。

この地元の対比構造(?)を考えるたびに、わたしは、夢野久作の田舎についての物語を思い出します。彼の著作にはよく、田舎の人々と、丘の上に住むブルジョワな一族の、互いに相容れない関係が描かれます。
田舎の人々の常識からすると、学問はあまり必要ない。なぜなら畑仕事や漁業で生計は立てられるし、みんなそうだから。でも外部の人間(ブルジョワ)にとっては、仕事(一次産業でない)をするからには教養が必要で、学校には通わなければならないし、そのためのお金もある。

しんどいなと思います。永遠のループです。地元の人たちの考え方も、外部の人たちの考え方も変わりません。そのループにある限り、それこそ最低賃金なんかも上がらないし、子供達の成績(小学校の頃からある全国や県の模試など)も低いままです。
もっとしんどいのは、"地元の人間"でも進学したいという意志を持つ子供が、親や周りの人にそれを認めてもらえないことがある、もしくは親の金銭的事由でそれができないことがあるという実態です。実際わたしの友人にも、思い当たる顔がちらほらあります。

親ガチャとか世間で散々言われてますが、わたしにとっては「地元ガチャ」も同じくらい重要だと思う今日この頃です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?