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静謐ラーメンスープ

琥珀色のスープを飲み、喉を鳴らして三十分経った。果たして、琥珀色だったか?飲んだスープは何色だった?首を傾げて真っ昼間ビール。アルコールとニコチンで前頭葉がスカスカになってしまう。いや、もうなっているかもしれない。
少しずつ思い出す。店内にはねじり鉢巻をした店主ひとり。眠っているのか、死んでいるのかわからない目で立っていた。
「すいませぇん」
店主の気迫に圧倒されて、腑抜けた声が出る。
「ラーメンひとつ……」
返事をしない、微動だにしない店主の安否確認もかねて注文する。店主の安否確認野菜湯麺も気になっていたが、早く注文しなければならない空気を感じた。
注文して五秒。店主はハッと天井をあおいだ。どうやら、眠っていただけらしい。思わず、「なんだよ」と呟いてしまう。
「おきゃくさんらーめん?」
「はい」
咄嗟に返事をしてしまったが、店主に歯がない。厳密には前歯が二本ある。しかも、妙にニタついている。失敗したか?条件反射で返事をしてしまった手前、店を出ていくわけには行かない。
店主は演歌なのかなんなのか、正体不明の歌を口ずさみながらボソボソとチャーシューを切り始めた。

出てきたラーメンはなんの変哲もない代物だったが、スープだけ透明だった。たったそれだけの個性だった。味はチェーン店のしょうゆラーメンに近い。いや、それよりもまずい。ラーメンに対して、まずいなどという後ろたい感情は抱きたくないが、ほめどころがない。

カウンターに設置されている調味料、「にんにく」を手に取る。油まみれの容器の中にペースト状のにんにくが滞留している。食中毒になったりしないよな?という視線を店主に向ける。店主は再び、同じ位置で死んだような眠ったような姿勢に戻っていた。ルンバみたいなものだ。店主に呆れ、意を決してにんにくを放り入れる。臭い。入れる。臭い。入れる。……

にんにくまみれになった、もはやラーメンとは言い難い「それ」の汁を飲む。頭の奥から暖かい、危ない液体が広がる。危ない液体が脳内に浸透すると、目の前の丼に盛られた物体が美味しく見えてきた。もう一口スープを飲んだところで記憶はない。気づけば駅前の喫煙所で煙草を吸っていた。ラーメン屋に行っただけなのに、徘徊老人の気分を味わうことになるとは思わなかった。

そう、スープは琥珀色ではない。
ここで思いだす。脳が熱い。確かに、琥珀色の何かを見た。まばらに差す、鉛色が見える。曖昧だった琥珀色の残像は輪郭を取り戻す。

そう、あれは店主のヤニで汚れた前歯だった。
 

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