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遊就館とは何か

 2023年4月21日、靖国神社の敷地内にある資料館「遊就館」を訪れた。そこで感じたこと、考えたことをいくつか残しておく。
 なおこの文章は、個人の思想に基づいて書かれている。内容に偏りがあることをご承知いただきたい。

公式な「遊就館とは何か」

 前提を共有するために、遊就館がどのような場所であるか示しておく。以下は、靖国神社公式HPの引用である。

中国の古典、『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものです。国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んでいただきたいという願いが館名には籠められています。

靖国神社HP(https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/#sec02

 私は中国古典に精通していないが、この文章からは、遊就館が日本という国家を護るために命を落とした人々の歴史を扱った場所であるということが分かる。遊就館が扱う歴史がこれ以上増えないことを願うばかりだ。
 遊就館は、明治10年ごろより設立の構想が練られ、同15年に開館した。日清・日露戦争や第一次世界大戦を経て、増改築や別棟新設が行われた。第二次世界大戦後には、「遊就館令」の廃止により遊就館の機能が停止する。しばらくは富国生命保険相互株式会社が使用することとなるが、昭和61年に展示内容を充実させておよそ40年ぶりに再会した。その後も増改築が行われながら、現在に至る。

展示に対する違和感

 率直に言えば、遊就館の展示は私の持つ価値観と大きく異なっていた。
 展示は全体的に、日本軍やその兵士たちを主人公にしたものだった。靖国神社や遊就館の役割を考えれば当然のことである。しかし私は、兵士以外の被害にあった人々や日本軍により命を落とした人々のことを考えると、素直に展示を受け入れることができなかった。
 展示は、近代の戦争ではなく国内における武士たちの戦いから始まった。近代以前にも戦いの歴史があることはもちろん認識していたが、近代以前の内戦と近代以降の対外戦争を一連の流れの上に位置づける展示には違和感を覚えた。両者は大きく異なるものだと理解していたためだ。戦いの目的や主体、規模など、あらゆる面が異なる。遊就館の展示は、うまく物語化されすぎているように感じた。
 最も印象的だったのは、「死」の描かれ方である。多くの展示には説明文が添えられており、その中には日本軍兵士の死についての描写も少なくない。一方で、「戦死した」「亡くなった」のような表現が用いられることはあまりなく、かわりに用いられるのは「散華」「玉砕」「壮烈な最後」のような言葉たちだった。「華のように散る」「玉のように砕ける」「勇ましく立派な死に際」。これらが表現するのは、美しく感動的な死の物語であろうか。一人一人の兵士がどのような想いで戦争による死と向き合ったかを知ることはできない。だからこそ、生き残った人々が彼らの死を勝手に評価し、表現していることに強い抵抗感を覚えた。

 遊就館の展示は、時が止まっているようだった。
 まるで、1945年夏の時点で時が止まっているようだった。

時が止まった場所 遊就館

 遊就館の展示に対し、価値観が古いと批判することもできる。しかしここでは、遊就館が「時が止まった場所」として存在すること、すなわち大日本帝国時代の価値観に強い影響を受けた場所として存在することの意味について考えてみたい。

 戦時中、お国のために自らの命も惜しまず勇敢に戦うことこそが、正義であるとされていた。もちろん中には異なる信条を持つ人もあっただろうが、少なくとも公的な正義はこれであった。ある人は、与えられた正義を盲信し、戦い抜いた。ある人は、正義と家族への愛情を心のよりどころに、なんとか気持ちを保った。ある人は、「靖国で会おう」と別れの言葉を告げて、戦地へ赴いた。
 これらの正義や価値観は、遊就館の展示に見られるものと共通する。これを踏まえると、遊就館が持つ正義を否定することは、同じ正義を胸に生き抜いた戦時中の人々を否定することにならないだろうか。たとえば靖国神社や遊就館が取り壊される日が来たとして、第二次世界大戦の時代を懸命に生き抜いた兵士たちの魂はどこに帰ればいいのだろうか。必ずしも故郷に帰れるわけではないだろう。彼らの尊厳を考えたとき、私は遊就館の展示を「古い」と切り捨てることができなくなってしまった。
 もちろん、日本の兵士たちによって殺された人々の存在を忘れるべきではない。しかし、過酷な時代を懸命に生きた兵士たちを、今を生きる私が批判することはできない。

 加えて、現代の人々にとっての遊就館は、戦時中の価値観を知る大きな手掛かりとなり得る。大日本帝国が行った戦争の実態をあえて直視すべきなのだとすれば、その営みに遊就館は適している。遊就館を今ままに残しておくことは、過去を覆い隠し、忘れ去ろうとするよりも誠実なのかもしれない。

時を止めておくことの但書

 ただし、事前の情報や考えなしに遊就館へ足を運ぶことは、危険が伴う行為である。遊就館が語る歴史を鵜呑みにすれば、戦時下に浸透していた偏った価値観を内面化することになりかねない。子どもが行くならば事前学習は不可欠だし、大人が行くとしても遊就館の存在を相対化する何かが必要だろう。それは他の戦争資料館かもしれないし、一緒に展示を見る人の視点かもしれない。
 また、日本は大日本帝国の歴史に対する「現在の」公式見解を示す必要があるだろう。遊就館の展示を見れば、過去の日本がどのような正義や価値観を有していたかは理解できる。しかしそれだけでは不十分だ。現在の日本は、第二次世界大戦やそれ以前の歴史をどのように解釈しているのだろうか。もちろん日本という国に住む私たち一人一人が考えることは必要だが、国として過去との向き合い方を示し、後世へ残す必要はないのだろうか。
 遊就館を訪れて、歴史に対する国の態度の定まらなさを感じた。戦争行為に対する態度の定まらなさを感じた。いくつかの本にあった「日本の戦後は終わっていない」という言葉を思い出した。

おわりに

 靖国神社の中には、いくつもの慰霊碑があった。私はその前で、とても中途半端に手を合わせてしまった。靖国の慰霊碑に手を合わせて、何を語りかければよいのだろうか。亡くなった方のご冥福をお祈りすればよいのか、もう戦争はしないと誓えばよいのか、靖国に慰められることのなかった他の犠牲を想うべきなのか。分からなくなってしまった。靖国神社や遊就館というのは、本当に難しい場所だった。

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