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ビートルズ風雲録(15) ジョニー&ザ・ムーンドッグス、スチュアート・サトクリフ

1959年、クオリーメンのメンバーは、ジョン、ポール、ジョージの3人だけになっていました。カサバ・コーヒー・クラブでの土曜のレギュラー公演もギャラでもめて終了。次なるステップは?


1959年 ジョニー&ザ・ムーンドッグスに改名

1959年も年末に近づきつつある10月、3人はバンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」と改め、新たな飛躍を目指します。
まずは新メンバーの追加です。ギターだけではバンドと呼べません。
条件は「楽器を持っていること」。ベースとドラムが必要です。
クオリーメンは、足りないものがあるときも、お金を使わず、なんとか凌いで来ました。カサバ・コーヒー・クラブでの演奏時、クオリーメンは、たった1本のマイクをクラブの貧弱なPAにつないで音を出していました。これではまったくパワーが足りません。彼らはオーナーのモナ・ベスト(ピート・ベストの母)を説得してハリーというアマチュア・ギタリストを前座につけさせました。おかげでメンバーはハリーの持っていた40Wのアンプが使えるようになったのです。とにかくお金がありません!

1960年 スチュアート・サトクリフ加入

1959年11月17日、リバプールのウォーカー・アート・ギャラリーで実業家ジョン・ムーア主催の第2回ビエンナーレ展が開催されました。展示品の中には、美術学校の学生でジョン・レノンの友人でもあったスチュアート・サトクリフの『サマー・ペインティング』があり、この絵はジョン・ムーア自身が65ポンドで買い取りました。
1960年代は固定相場制で1ポンド=1008円。物価はいまの1/5くらいと推定すると、1ポンドの価値は5000円くらい。65ポンドは、30万円ちょっとということになります。
かなりの金額ですね。
ジョンは、この金額にピン!と来たんでしょうね。
メンバー3人でスチュアートを取り囲み、説得を試みます。何を説得? そうです。ベースを買わせて、バンドのメンバーに入れようというのです。「ヘフナーだ。最高のバンドだ。名声が手に入るぞ」。
結局、彼らに説得されたスチュアートはヘフナー・プレジデント・ベース・ギターを購入します。

ヘフナー・プレジデント・ベース・ギター

そして、1960年1月、正式にジョニー&ザ・ムーンドッグスに加入、ベーシストになります。
ポールは、「スチュアートは下手くそだったけど、見た目が良いから大した問題にはならなかった」と回想しています。
たしかにスチュはいい男です。

ところで、リンゴは?

1959年3月25日から、リンゴは、歌手のアラン・コールドウェルが率いるバンド、アル・コールドウェルズ・テキサンズに加わります。後にバンド名をロリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズに変更、リバプールの大人気ライブ・バンドになります。リンゴ・スターという芸名もハリケーンズ時代につけられたものです。ビートルズの他のメンバーより早く、リンゴはプロとして活躍し、高級車フォード・ゾディアックを乗り回していました。


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