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ビートルズ風雲録(12) ジョージ、クオリーメンに入る、初のレコーディング

着々と力を蓄えるクオリーメン。メンバー交代を繰り返しながらも、バンドの形が見えてきたのか。


1958年 ジョージ、クオリーメンに入る

クオリーメンの1958年は、1月10日、リバプールのノリス・グリーン地区にあるニュー・クラブムーア・ホールでのライブで始まりました。
続いて、1月24日、ポールが初めてクオリーメンのメンバーとしてキャバーン・クラブでのライブに登場します。
そして、2月。ポールの紹介でジョージ・ハリスンがクオリーメンのオーディションを受けました。二人は同じ学校に同じバスで通ううちに音楽の話で意気投合、ポールがジョージをクオリーメンに入るよう誘ったのです。ジョージは1日に8時間くらいギターの練習をしていました。
さて、そのオーディション。もちろん、審査員長はジョン・レノン。
ジョージは完璧に曲を弾きこなし、その上、ジョンやポールよりもギター・コードを知っていました。ジョンは即座にジョージのメンバー入りを決めます。
いよいよBeatlesの4人のうち、3人がそろいました。

1958年 初のレコーディング

1958年7月12日、クオリーメンは、初めて自費でレコードを作成します。
ジョン、ポール、ジョージ、コリン・ハントン、ジョン・ダフ・ロウの5人のメンバーで、レコーディング資金として17シリング6ペンスをかき集めました。
レコーディング場所はリバプールの貸しスタジオ「フィリップス・サウンド・レコーディング・サービス」。
スタジオと言っても、これはオーナーのパーシー・F・フィリップスの自宅をちょっとしたスタジオとして改装したもので、外観はビクトリア調のテラスハウスです。
録音したのは2曲。
A面に「That'll Be The Day」(1957年のバディ・ホリーの曲)、B面に「In Spite Of All The Danger」(ポールが書いた曲)が収録されました。
楽器は、ジョン、ポール、ジョージの3人がギター、コリン・ハントンがドラム、ジョン・ダフ・ロウがピアノ。
「In Spite Of All The Danger」は、そのギター・ソロ部分をジョージが考えたので、クレジットは「マッカートニ=ハリスン」となっています。レアです。

この時に作られたレコードは、なんとたったの1枚です。ジョン・ダフ・ロウがずっと持っていましたが、ポールが買い取り、プロのエンジニアがマスタリング。シングル盤として家族や友人にプレゼントしたとか。しかし、ジョン・ダフ・ロウはオリジナル盤をオークションに出そうとしていたというのですから、ポールはいくら払ったんでしょうね? 現在では1995年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に2曲とも収録されていて、誰でも聞くことができます。ありがたい。

1958年は、ジョージが加入、初のレコーディングも経験し、順風満帆なクオリーメンですが、このレコード作成からわずか3日後にジョンを悲劇が襲います。1958年のお話は続きます。


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