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フランス女性の未来をつくった、40年前の"信念"

・日本では避妊をする際、コンドームが一般的だが、フランスではピルを使うなど「女性主導」で行うケースがほとんどだという

・フランスにて15〜49歳の避妊対象女性(妊娠を望まず、かつその可能性のある女性)に行われた調査では、71.8%がピル、パッチ、子宮内避妊具など自分自身に施す医学的避妊を選択。日本と異なり、その大半は医療保険の適用範囲内で、自己負担35%で利用できる

・フランスでは避妊だけではなく、人工妊娠中絶も医療保険でカバーされる。また、緊急避妊薬は薬局や校内医から匿名・無料で入手できる

信念無くして手に入れた権利は、形骸化する。

日本は欧州と比べ妊娠・出産に関して遅れをとっている、とよく言われる。私もしょっちゅう「アフターピルは日本では処方箋がないと入手できない、しかも保険が適用されないので高すぎる。欧州では薬局で購入できたり保健室でもらえる国もあるというのに」と繰り返しているが、現状を批判するならば歴史も把握しておくのが最低限のマナーだと思う。

ということで、今回はバースコントロールの主導権が女性であるフランスの歴史を振り返ってみる。

前提として、フランスは「既婚女性が就職するには夫の同意が必要」という法律まであったほど、キリスト教的父権主義が強い男性優位社会だったそうだ。

1920年に成立した法律で避妊は禁止。中絶も違法だった。

禁止されたからといってそれらがなくなるわけがなく、ヤミ中絶が後を絶たなかった。同時に、劣悪な環境で手術を受けた女性の健康問題も深刻化していった。

1960年代になり、先進国ではウーマンリブ運動が加速。フランスでも盛り上がりを見せたが、議員の圧倒的多数が男性という状況下では、11回に及んで国会提議するも全てが棄却されるなど避妊合法化への道は険しいものだった。

しかし、女性運動団体や科学者、医師の後押しを受けたリュシアン・ヌヴィルスという男性議員の尽力により、1967年避妊が合法化。

彼は国会で避妊合法化の必要性を「女性の解放・子どもたちの教育環境の改善・社会のより良いバランス」から主張した。

中絶の合法化に関しては、当時保健相を務めた女性政治家シモーヌ・ヴェイユが粘り強く推し進めた。

そして1975年、中絶合法化。ついに女性が「妊娠・出産を選ぶ権利」を獲得したのだ。40年以上経った現在も、その権利は守られ続けている。

日本では中絶は1949年に法制化されているが、バースコントロールは女性の権利というよりも人口統制の色が強いものであった。

避妊や中絶は女性が自分の体を自分で管理する権利である、という信念のもと法制化したフランス。

女性を中心に据えた信念なきまま、政府都合で法制化した日本。

この点を鑑みれば、日本が妊娠・出産に関して後進国であるという現状に納得せざるを得ない。

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