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進路相談という名の三者懇談

自分の母親と自分が重なるのは、子どもたちの学校で懇談会をするとき。「行く必要あるかな?別に質問したいこともないし。」母親はいつも私にそんなことを言っていたような気がするし、実際に特に話したいこともなさそうだった。

一番覚えているのは確か高校2年生の担任との三者懇談で、世界史を教えていたどちらかといえば頼りのない先生に「生徒とうまくいかないんだけれど、どうすればいいだろうか」、と逆に相談を受けたことだ。クラスで目立っていたその子と私が割と仲が良かったせいもあるだろう。BOOWYのコピバンをする!と学園祭に向けて張り切っていたときに、歌のうまい彼に「お願いだからうちのバンドで歌ってくれ」と頼みこんだのがきっかけだった。

いつもは特に何も言わない母親もさすがに頭にきたようで、終わってからこんなことをぼやいていた。「あの先生なんやの。あんたの進路相談でわざわざ来てるのに、自分が困っていることを生徒に相談するなんて。進路相談ちゃうの。」この時ばかりはさすがにふたりで「あの先生はだからあかんねんな。」と酷評を下した。

前置きが長くなってしまったが、高2という割と大事な時期に私の方はといえば学園祭のステージのことで頭がほぼいっぱいで、先生と話すことも特になかったのである。ただ、世界史の授業をサボってギターを抱えてスタジオで練習したときは、担任から母親に電話で連絡が入っていたようだ。今から思えば、自由気ままに6年一貫の学校生活を満喫していたわけである。

ユニークな教師が多かったのが功を奏したのか、それこそ夢中になって練習し、なんとか本番に臨んだ俄かバンドのステージを見た物理の教師が高3の担任になり、「学園祭でもがんばってたし、クラブ活動も熱心、なんとかかんとか」と某大学の英文科に推薦してくれたので何とか事なきを得た、というオチまである。

そもそも小学校受験の第一次選抜がクジ引きという、とんでもない学校だったので、そういう流れになるのもなんら不思議ではない。

自分が気ままな学校生活を送ってきたせいか、ベルリンの子どもたちを見ていると少し気の毒に感じてしまう。先生の数が足りない、ストライキ多発、学校の数が足りない、、、どちらを向いても問題だらけな上、学力的にもコロナだなんだと全体的に低下傾向にある。そのくせ、小5後期と小6前期の平均点で行ける学校が決まってくる。点数点数というには早い時期だし、成長に時間のかかる子どもも多々いるはずだ。ベルリンはそれでもまだ6年間というのが一般的だが、他州だと4年生で小学校そのものが終わってしまう。ドイツの場合、切り捨てごめんという考えがそこここに見えるので、全体的にかなりシビアだとは思う。

さて、小6の息子と担任の先生。ギリギリラインの成績表を前に先生はあーでもないこーでもない、とフォローしてくれていたように思う。「あともう2ヶ月で全てが決まるんだから、最善を尽くすようにがんばってほしい。」端的に言うと、こんな感じだろうか。それを先生に言われて、すぐに「そうですよね、はい、わかりました。」と切り替えのできる子どもなど皆無だろう。

息子も先生の手前、「はい、わかりました」とは答えていたが、一体どこまで自分の立ち位置を理解できたのだろうか。大体、こちらが予想していた展開になったので、適当に話をしてさっさと帰ってきた。さて、この2ヶ月でどこまで追い上げができるのか検討も付かないが、後悔のないようにがんばってくれればいいなぁ、とは思っている。




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