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近い将来のためのシミュレーション

「ママ、60とか70になったら、ほんまに日本かえんの?」

メガネのフレームを選んで、視力検査をしてもらった息子が自転車を漕ぎながら尋ねた。

「そうやなぁ。まだ元気なうちに日本には住んでみたいかな。多分、そうすると思う。いつになるかはわからんけど」

「じゃあ、ぼくも日本行くな。あ、でも大人になってるからママみたいにしなあかんかな。こっちでいっぱい仕事して、たまにママに会いに行く、とか」

「でも、それまでにいろいろどうなってるか、わからんからなぁ」

そう。コロナ禍以降、先行きが見えない世の中に突入している感が半端ない。子どもたちともよく近い将来の話をするようになった。例えば、2年後のドイツ総選挙で極右政党であるAfD「ドイツの選択肢」が得票率を伸ばした場合。ロシアとウクライナの間で起こっている戦争に決着がつかない場合。例えに用いるシチュエーションがひどすぎて呆れてしまうが、それくらい世情は不安定なのだから仕方がない。

「心配する必要はない。そのうち全てうまくいく」なんてお世辞でも言えないし、子どもたちだってそれが気休めにすらならないことを見抜くだろう。

何も考えず日常生活を淡々とこなす必要はあるが、できるだけシミュレーションをして動ける体制は整えておいた方がいいような気がする。これまで行き当たりばったりでやってきた私ですら危機感を覚えるのだから、相当のことだ。

90年代の混沌とした時期に魔が差してベルリンにふらっとやってきたのは、今から思えば本当にタイミングがよかった。2000年初頭にモスクワでインターンをする羽目になったことも、今では貴重な体験でしかない。現状、モスクワでインターンなんて逆立ちしたってできっこないからだ。

気付いたら30年近くもベルリンで暮らしているわけだけれど、ここにきて初めて具体的に次の移住先について考えを巡らすようになった。なぜだろう、と理由を考えてみたが、成人してから日本で生活をしていないこと。一番の理由はこれである。海外生活が長くなるにつれて、逆に日本への憧れのようなものが強くなった。憧れ、というほど大袈裟なものではなく、「普通に」スーパーでお惣菜を買いつつ美味しいご飯を食べたい、とかそういう何でもないことがしたいのである。

1995年に1年くらいを想定して日本を出たときも、社会人になってから出たわけではないので、日本が嫌になったから、というよりはベルリンに惹かれた、というのがその主な理由だった。

もちろんバブル時代の超資本主義的な日本には全く魅力を感じなかった、とか満員電車が無理だとか、背が高い女性に対する風当たりが強い、とかそういう些細な理由も背後にはぼんやりとあったのだが。

自転車を漕ぎながら「なんで大人は地球壊すことばっかりするんかな、ママ。アホやな」と至極もっともなことを息子が言ったので「不幸な人の数が多すぎるからかもな」などと返しておいた。

なぜそうなるのか、世の中の仕組みはいまだによくわからない。そして、どこに行けば平穏無事に過ごせるのか、というのも今となってはさっぱりわからなくなってしまった。

ただ間違いなく言えるのは「やりたいことは今すぐやって、行きたいところへはさっさと行っておいた方がいい」ということ。これだけはコロナ禍で嫌というほど思い知らされたし、再度肝に銘じておこうと思う。




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