見出し画像

20090320 エコな私(2)

 レジ袋$${^{*1}}$$の続き。二酸化炭素の排出は現在の経済活動の維持を現状の科学技術で続ける限り、減らすことはできない。これが問題となるのは二酸化炭素が地球温暖化の原因の場合であるが、その肝心な前提は非常に心許ないような気がしてならない。そのことは記事にさんざん書いている$${^{*2}}$$。

 仮に二酸化炭素の増加が環境問題として、経済活動が人為的なその排出の唯一の原因であり、その原因の一部を自分が必ず担っているという意識はレジ袋を断る一般の人にあるのだろうか。

 化石燃料をいっさい使わない江戸時代の経済活動のようになれば、二酸化炭素排出問題は一気に解決するだろう。人命に関する医療の部分だけ現代風のエネルギー使用は仕方がないかもしれない。化石燃料由来エネルギーによる最先端技術を駆使した日本のお家芸の輸出工業が殆ど不可能になる。すると輸入は殆どできなくなる。食料など完全に自給体制にしないと駄目だ。江戸時代の人口は三千万人ぐらい$${^{*3}}$$で、今の四分の一$${^{*4}}$$だった。十分に食えたかどうか判らないが、食料は自給していた。四倍の人口で食料が自給できるだろうか。当時よりも多くの土地が開墾されているだろうし、地球温暖化も本当に進行しているのなら江戸時代よりも農業事情は格段にいいのではないだろうか。江戸時代までも遡らなくとも六十五年前の戦時中でも人口一億人で食料自給できていた。

 現代は当時よりも物質的に豊かになっているだけで、文化的には変わっていない、否、文化程度や民度はかなり低下している。封建制度や帝国主義といった政治体制や思想背景などを別にすれば、当時に戻っても全く問題はないのではないか。そんな姿の日本が漫画になっている$${^{*5}}$$。

 二酸化炭素の増加が経済活動に起因していることが自明であることが認識できれば、近々ばらまかれる「定額給付金$${^{*6}}$$」は当然、退蔵することになる。銀行に預金してもその預金は間接的に経済活動に使われるから、箪笥に入れて使わないのが二酸化炭素を削減する唯一の方法である。燃やしたり捨てても駄目だ。燃やせば折角紙幣に固定された二酸化炭素$${^{*7}}$$が放出してしまうし、拾われて使われたら意味がない。レジ袋は断れてもそんなことはできないだろう。我が家の場合、前回の「地域振興券」がそうであった$${^{*8}}$$。単純な欲求の前では崇高な精神も屈してしまうのである。

 二酸化炭素の増加と地球温暖化との因果関係を妄信した結果の行動は崇高な精神とはとても言えないが、給付金使用での経済活動によるエネルギーや資源枯渇を心配しての行動なら頷ける。

*1 20090319 エコな私
*2  雑記草内検索 ※「地球温暖化 + 雑記草」と入力して検索
*3 有史以来の日本の人口の変化
*4 統計局ホームページ/人口推計/人口推計月報
*5 ぜんまいざむらいとは? | ぜんまいざむらい
*6 総務省|定額給付金について
*7 三椏が原料の和紙 | アワガミファクトリー
*8 19990928 地域振興券

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?