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他人から大切にされていないことを許すことは自分を大切にしていないことに等しい。

これまでの人生で、「自分は大切にされているな」と感じることはありましたか。
もしくは、「自分は大切にされていないな」と感じる時はありましたか。
両極端ですが、そのようなマインドになるタイミングというのは頻繁には訪れないのではないかと思います。

私はアラフォーと言われる年齢まで生きてきて、どちらの想いも抱いたことがあります。
「大切にされている」という実感は、字面にするとかなりエモな感じがしますが、日常の延長線上にある、家族や親しい人たちへの感謝の念というようなイメージです。

一方「大切にされていないな」という感覚は、非常に感傷的で文字通り胸の痛みを伴います。

大人になって「自分は(あの人に)大切にされていないな」と思うことってなかなか無いですし、だいぶ異常ではないかと思ってしまいますが、残念ながらそういうことだって未だに全然あるのです。

ホルモンや自律神経の揺らぎも関係するのかもしれませんが、“大切にされてない” 感を抱いてしまうと、かなり自己肯定感が低下してしまうので注意が必要です。

若かりし頃は「大切にされていない」と思った場合、それは「大切にされたい」という気持ちとイコールであったように感じます。
しかし歳を重ねてくると、そこが必ずしもイコールで結ばれなくなることが、哀しくもあり、また幸運でもあると思っています。

長く生きてくると、体感として持っている方もいると思います。
自分を大切にしてくれない相手に執着する必要はないということを。
自分を大切にしてくれない相手への期待が如何に無駄であるかということを。

タイトルのままですが、結局そういうことだと思うのです。
他人から大切にされていないということを受け入れることは、つまり、自分自身が自分のことを大切にしていないということなのです。

「大切にされていない」などという異様な感情を抱かせる人間や環境からは、早いところ距離を置くことが最重要課題だと思います。
それが物理的なのか精神的なのか、状況や立場によっても変わってくるとは思いますが、決して健全ではないその感情を遊ばせておくことに何のメリットもありません。

そんな気持ちを乗り越えて強くなる必要などありません。 
多分、かなり追い詰められて「大切にされてない」と思うところまで来てしまった関係性において、これからその相手に「大切にされる」可能性は極めて低いと思います。

まずは、自分が自分を大切にすること。
その為には、自分を大切にしてくれる人や環境の元で過ごすこと。

目の前の選択肢の中から、体良くいくつかを上手に諦めて、大切な自分が一番大切にしたいことを見極められますように。

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