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最近切に思うことについて

 年始から世の喧騒から離れて、タイの森林でただひたすら瞑想する生活(リトリート)を過ごし、あっという間に3カ月が経ってしまった。嫌味でもなんでもなく、こうした生活を経て世俗に出る度に、私たちの日常生活がいかにタスクで埋められているか、と痛感させられます。また、私たちが普段やらなければいけないこと思っていることの多くが、「実は、単なる思い込みに過ぎない」ことも、こうした静かな環境に身を置くことで、感じ入るものです。


 

 そして、上のVupasama(@pannindriyap)さんがポストされたような「自動思考」がそもそも何であるのか、ということは、長期リトリートを経験するまで、私は全く自覚することはできませんでした。外面、社会的立場といったものにおいて、あたかも自由に見えるような存在であっても(例:ニート、不労所得者)、実際は如何に不自由(≒条件付けられている)であるのか、長期リトリートや無職「自由」の身になることで始めて、身と心の両面から理解することができました。
 昔からの気質だと思いますが、やはり私は少しでも「自由」な状態に近づきたいという欲望があるのでしょう。引用ポストにもあるように、私たちは気づかないうちに、同じところをぐるぐる回っている。個人的にはもうそれは、「本当に勘弁してほしいもの・・・・・・・・・・・・」です。
 そして、幼少期の私も「自動思考」には全く気づけていませんでしたが、おおよそ思春期頃から「同じところをぐるぐる回る」という感覚に強烈に呑み込まれており、「本当にこれをどうにかできないものか?」と思っていたものです。その切実さは、今の私とは比べ物にならない程のものだった記憶があります。この「私」の感覚こそが、当時の私にとって「現実」そのものであり、そのことを家族・友人に伝えても、だれにも伝わらなかったことを思い出します。そして、当たり前田のクラッカーなのですが、思うだけでは、こうした状態から抜け出すことはできないでしょう。また当時の私は、今よりも遥かに自らの感覚を他者に伝える能力がなかったので(今でも怪しいものですが・・・)、この「私」にとっての「現実」感覚というものが誰にも伝わらないことも、当然のことです。
 そんな私が仏教にもスピリチュアルにも全く関心がなかったのにも関わらず、瞑想と出会い、実践することになったのも、今振り返れば、私の人生にとって必要なものであった、という意味で必然だったのかもしれません(再解釈)


 ※思春期の「同じところをぐるぐると回っている」という感覚に囚われている時に、頻繁に聴いていた『Silly-Go-Round』。今聴いても名曲だと思います(何せあの梶浦由記さんです)。メリーゴーランドから着想されたこの曲は、日本語にすると『愚か者が廻る』となるようです。
 「ゴールのつもりで リセットボタンに飛び込んで 僕等はぐるぐる 同じ場所を回ってるんだ」、「見飽きたはずの黄昏が こんなに綺麗だと泣いた」など、今の私にも刺さる歌詞がある曲ですが、特に後者について(『H2』の木根君を通して、存在神秘についてnoteにしたこともありましたが)、瞑想や仏教界隈の方と関わる前から、私は神秘的な感性を持っていたということでしょう(実際当時の私も、何気ない風景が余りにも美しく見えることは、何度か経験している)。また今でもそうですが、病気等から回復した際には、世の中の全てがとても美しく見えます。当時の私に言ったところで絶対に否定するでしょうが、その自らの神秘的な感性を受容できるようになったことについては、間違いなく瞑想を始めたおかげです。何よりも自らに生じることを受容できる態度でなければ(=身構えることをやめなければ)、瞑想は深まっていかないでしょう。
 『Silly-Go-Round』において、愛の引力が「同じ場所を廻ること」を超えるというストーリーについては、当時から「結局は愛(≒恋愛ソング)ですか・・・」と、そこだけは納得いっていなかったことも思い出します( ´∀` )。今の私は、愛の存在を尊重する立場でもあることも、一応断っておきます。しかし、それ一本で「あたかもすべての問題が解決するような」あまりにも雑な見解には、反対する立場でもあります。
 本題に関係ない話が長くなりましたが、(あえてこう表現しますが)輪廻であるかのように「回り続ける輪」から抜け出したい、という感覚は案外多くの人が(自覚の有無を問わず)持っている気がするのですが、皆さんはどう思われますか?



 それにしても、サンガのような世の流れに逆らうような集団の存在が許される環境が存在することには、やはり日本人としては驚愕するばかりです。少し地方に行けば、比丘という存在を支援すること(お布施)が功徳を積むことである、と心から信仰している集落(これは、私たちがいずれ死ぬことと同様の水準の事実であるかのように認知されている)がたくさんあります。テーラワーダ圏の事情に詳しい皆さんが言われる通り、この信仰の力について、実際にその環境に身を置いてみないと、日本人にはなかなか伝わらないものでしょう(出羽守ムーブのようで大変恐縮ですが・・・)。こうした世の流れに逆らうようなサンガ(僧伽)という存在が、社会に存在する土台を築いたゴータマブッダ、そして、仏教の2500年の歴史そのものにも、改めて敬意を表するばかりです。

 しかしながら、そんな仏教国であるタイであっても、バンコク中心部の都市開発の勢いはすさまじいもので、ここでの生活ではもはや東京と何も変わらないように見えます(朝は疲れ切ったサラリーマンの通勤姿をみることができる)。局所的にみれば、東京をはるかに凌ぐ大都会のような高層ビル群に囲まれており、このようなバンコク中心部に落ち着ける空間はほとんどありません。逆に、同じバンコク内でも中心部を離れた英語が通じないような地域に行けば、全く異なる雰囲気を味わうことができます。また、タイ北部の中心街であるチェンマイはノマドワーカーが多く、多国籍の人たちで溢れており、街全体がゆったりした時間の流れで満ちています。
 ただ、今回のタイでのリトリート明けで始めて思いましたが、こうしたチェンマイという静かな街であっても、森林に比べれば、騒々しいということです。というのも、リトリート後にチェンマイの町中に入った瞬間、すぐに森に帰りたくなってしまったのです(以前はこんな感覚は全くなかったのですが)。正直これには、自分でも驚きました。なぜなら、「タイに住むならバンコクではなく、絶対にチェンマイに住みたい」と思うほど好印象の街だったからです。そんな自らの反応を観察して、ふとウ・ジョーティカ師の次の言葉を思い出しました。


人々は、森へ行ってしばらく瞑想するための時間を見つけるべきです。森へ入るたびに、私はとてもリラックスする。人混みの中で暮らすことは、自然なことでも健康なことでもありません。もっと自然と触れ合いながら、生活しなければならないのです。少なくとも、街を出て山の中にある神殿などを訪ねること。そして、時々は瞑想することです。

『スノー・イン・ザ・サマーr』p60より引用 ※太字は引用者

 
 ここで師が、「時々は瞑想することです」と言っているのが印象的です。瞑想の価値を熟知しておられる師が、あえてここで「時々は」という言葉を用いたのは、『自由への旅』において瞑想の準備の大切さを述べているように、「そもそも私たちの多くが、瞑想するまでの準備ができていないのだから、まずは瞑想する準備を整えましょう」という意図からでしょう。したがって師は、まずは瞑想をするまでの準備として、森や神殿のような静かな空間に行くことを勧められている。
 


 ここで私が思い出すのは、以前訪問した森林僧院において、在家修行者がほとんど瞑想をしていないのにも関わらず、彼らの多くがとても穏やかにそこでの生活を過ごしていたことです。一方で当時の私は、「少しでも長く瞑想しなければ!」と、自由時間をいかに無駄なく瞑想するかに囚われており、今思えばそもそも「瞑想する準備」すらできていなかった。当然、そんな状態でいくら瞑想したところで、その質はしれたものです。しかしながら、これも瞑想の利点でしょうが、こうした状態で瞑想を始めても、時間をかければ、瞑想できる状態まで自らを整えることが可能です。皮肉なものですが、「瞑想をすることによって瞑想の準備をすることができる」、これもまた事実ではないでしょうか。これに関連するウ・ジョーティカ師の以下の言葉も、とても印象的なものです。

私たちは、気づきを痛み止めとして用います。人生があまりにも辛くなった時に初めて、私たちは静かな場所に行って瞑想したいと思う。そうでなかったら、私たちは気を散らす物事に、すこぶる満足しているのです。
(中略)
マインドフルであるなんて不可能だと思う時こそ、マインドフルであることが最も大切な時なのです

『スノー・イン・ザ・サマー』P26より引用 ※下段の太字は筆者による強調


 師は「私たちの能力的限界が存在すること」も同時に指摘されており、それでも「意識的にマインドフルであろうとすること」それ自体がいかに大事/価値あることであるのか、慈愛に溢れた言葉で綴っておられます。徹底的に瞑想修行をされた方によるこうした言葉は、修行者にとって、本当に励みになるものです。
 いずれにせよ、当時の私より彼らの方がよりマインドフルであったことは間違いないでしょう。そんなことを、寝台列車に揺られバンコクの喧騒を見ながら、ふと思い出しました。そういえば、あの道元禅師も、一度街に出たことがあるようですが、慌てて山に帰っていったという話をどこかで読んだ記憶があります。やはり、本当のやすらぎは街の中にはないのかもしれません。
 

 

 そんなわけで(?)今の私は、特段瞑想をしなくても、ただ森のような静かな場所で過ごすだけでも、それは充分に価値のある生活である、という立場です。もちろん、当時の私も言葉ではそのように言っていましたが、そこに私の実感は伴っていなかったように思います。その意味では、私も多少は成長(?)しているのでしょうか。
ここまでの話で誤解があるといけないので少し補足しますが、もちろん、私たちが生きるために”こそ”働かなければならないことは、さすがに私も承知しております。労働自体を否定するつもりは全くないですし(むしろ尊いことです)、実際、テーラワーダ圏の比丘がこうした修行生活ができるのは、労働者である在家者からのお布施があるからに他なりません。そして、お寺をサポートする在家信者の方の存在は欠かせないものです。
 私がここで強調したいのは、効率化されることを徹底的に求められる現代において、私たちが自働思考で思い浮かべる「”しなければいけない何か”は、はたして本当に”しなければいけない”のか、ゆっくり時間をとって考えてみると、案外そうでもないのでは?」ということです。このことに、私たちは余りにも無自覚な気がします。
 


 「自分が一体何をしたいのか、自分で見つけなさい」ということは現代日本で口酸っぱく言われますが(それどころか、「やりたいことを見つけること」を幼少期から急かされる方向に、ますますシフトしている)、それと同時に、自分がしたいと思っていることが、何かの条件付けで生じているに過ぎない(※少なくともその可能性がある)、ということにも、意識を向けるべきだと思います。この両輪で進んでいった先において、始めて私たちは、「本当にやりたいこと」が見えてくるのではないでしょうか。ただし後者については、瞑想のような実践をしない限り、「自覚できるようなもの」ではないかもしれませんが・・・。こうした「自動思考」について、この身をもって体感できることは、瞑想の持つ実利的な大きなメリットのひとつだと思います。このことについて、同著でウ・ジョーティカ師は「自らを知ること」だと言っていますが、瞑想を少しばかり続けてきた私の実感としても、瞑想をすることは「己を知る」ことであると、つくづく感じます(もちろん、最終的には無我の方向へ、ということになるのでしょうが)。
 テクノロジーの圧倒的な発達も大きな要因でしょうが、現代において私たちは、自らを含むあらゆることを知ったつもりになっています。このうちの自己理解の方については、その多くが「いかに不確かなものであるのか」、最近は瞑想を通して、切に感じるばかりです。


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