精神疾患を克服した先に待つもの

よく私は統合失調症の症状が重かった頃、
『治る』ことを願った。

その先にはパラダイスが待っているはずだと。

ただ、実際今なら分かる。
ただやはり無力を感じたり、憤ったり、平凡な現実が待っているだけだと。

しかも社会はアップダウンを繰り返す人、暗黙の了解がわからぬ人用にはできていない。

つまり治った所で待っているのはそのような日常なのだ。

これはまあいわゆる教育虐待を受けてきた私が思うことだけど
病気を治し社会参加することになると
母を許さなければいけない。

容姿も頭も悪いのに子供をもち振り回して利用しようとした母を。

それは犯罪を犯した人間を手放しに無罪にするようなものだ。
私への執拗な行いはなかったことになる。

それが嫌なら病気治したくない治りたくないよね、となる。

でも今はちょっとだけ分かる。
母のことが。

許す許さないではなく、そのようにしか生きれなかった者の苦しさが。

パラダイスなどなくぽっかり空いた穴の中、
社会という現実のもと、私自身も許されたいのだなと。

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